2014年7月13日日曜日

満月

今日は満月。スーパームーン。

月って不思議。遠いのにずっと見えてる。素敵。
太陽と同じ方向にあるときが新月。
反対にあるときが満月。
月と地球は引力で引き合っているから影響があるんだね。
月とは、夜のほんのいっときしか出会うことはないのにね。


積読が・・・・案の定。どんどん増えています。
読むべきものも増えています。どこから手をつければいい?

美術教育と、美術そのものと、アートというもの、アーティストという存在についてしっかり考え尽くしたい。仕事上、そのあたりを提示する場面もあるし、自分の軸に沿って指導だったりワークショップだったりを開いたりもするので、言語化したりあらためて考え直すことはほんとに大事なこと。
そのために、たまにアーティストに会うのも大事。
会いたいのになかなか来ないよねえ〜。台風で悠くんのワークショップが流れちゃって、結局会えなかったし。

あと、今一番力入れてるっていうか自分が主導でやってる事業について、もっともっと詰めなきゃいけない。コンセプト、目的、目標、予算、色んな手段について。
何が一番の優先事項なのか。私は何をすべきなのか。色々、この休日中に詰めないと。
って明日で休日終りだから今日。今日まずとにかく考えるだけ考え尽くす。

おや?0時まわった。ヒヤー!



人はそれぞれの違和感とか、満たされた気持ちとか、欠けている埋め合わせられない部分を感じる器官を持っていて、ほんとにそれぞれ違うんだな。
でもそこが色々なことを考えてゆくヒントになる。追いつめられたりモヤモヤしたりしたときは、実はチャァンスなのだ。

人から色々聞いて。ふむ、ほう、といつも思う。
でも1人になって自分の器官との違いを感じて その差異について考える
それは「この人の意見は正しいか間違っているか」の判別をしようとしているわけではない。
「この人が好きか嫌いか」でもない。
その差異をただ分析して、腑に落ちるとこに着地させたいという欲求。
その欲求が私は好き。
人の考えと自分の考えのすれ違い、隔たりでヘコんだり怒ったり悲しんでいるときって、それ自体とても大事な期間だけど、実はとても盲目的な期間でもある。
埋め合わせることはできなくても、距離を「掴む」ことはできる。
感覚は何のためにある?
豊かに生きるためにあるんだ。
怒りに任せて人を傷つけたり、憎しみで心を汚したり、色んな問題から目を背けて思考から逃げて感覚を閉ざしていると、どんどん感覚は乏しくなって喜びも悲しみも乏しくなってしまう。
乏しくなっているときは、とってもとっても傷つきやすくて、思い込みやすくて、そして落ちていきやすい。自分も他人も見えなくなってしまう。

でもそういう季節を乗り越えないと、次の景色は見えてこないから、何度も何度も繰り返すんだけど。

「自分の感覚はなんのためにあるのか?」
そこはアートで色んな活動していく上で、けっこう良いキーワードになるかもしれないなって思った。

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