2014年7月2日水曜日

大きなものと戦うために

最近まいにち同じ曲ばかり聴いてる。
じゃがたらの「もうがまんできない」

ちょっとのひずみなら何とかやれる ちょっとのひずみなら
心のもちようさ

という感じで歌詞が続いてく。
最後の歌詞だけ、同じセリフを三回繰り返して念押しする。

ちょっとの搾取なら 我慢できる
ちょっとの搾取ならば 誰だって我慢できるさ
それがちょっとの搾取ならば


それが、ちょっとじゃなかったら。

この曲を励みにして、毎日聴いて、暮らしてる。
「こころのもちようさ」ってずっとずっと言ってても、ずっとずっと聴いていられる。
暗示のように、ずっとずっと唱え続けてる。

いつも何かと戦ってる。
日々は小さいことの繰り返し。
それは微細に広がる根っこを通していつも大きな母体と繋がってる。
だから何も考えないで何もしなかったら、母体は朽ちていく。
いつも大きなものを意識して、小さなことを繰り返さなきゃいけない。

大きなものが夢ならば、小さいものは地道な努力といえるだろう。
大きなものが日本なら、小さなものは地方や自分自身といえるだろう。

抽象的なことはこのへんにする。
具体的な話はまとめるのが大変だな。毎日少しずつ積もってくし、仕事のことだとここに洗いざらい書けるわけじゃないし。
市から推薦されて、4月から茨城県の女性フォーラムに参加することになった。
2年間毎月1度集まって部会で話し合い、提言書を県に提出する。
新しい世界がいくつも拓かれていくのでこのお仕事は楽しい。
アーティストでも、こんなアーティストっぽくない世界に入っていけるのが新鮮。

そういうところに参加していったり、そもそも都市での生活から地方での生活に変化したことで考えもどんどん変わってゆく。
知らないことを知っていく、というほうが正しいかな。
私はそもそも、考えが及んでいなかっただけのような気がするし。
都市が特殊な環境だってことも自分は全然わかってなかった。
日本の大半が常陸太田のような地方なのだ。
私はここで、アートを用いて、自身の発想をいかして様々な活動をしていける。
そういう役割を担っている。
そこで私は何を発言し、何を求めて駆け抜けてゆくのか。
そのあたりがだんだんと定まってきている。
制作のスタンスとか、ライフワークとか、そういうのもちょっとずついい兆し。
都市を離れたことで逆に都市の生活に意識的になった。
人間関係も距離は離れたけど、様々なアーティストがこちらに訪れてくれて、おかげで1対1の対話などができたり、ダイレクトに心に言葉が届くような機会が生まれてて嬉しい。
私は尊敬するアーティスト、身近に結構いるなあ。
うれしーな。先輩たちの活躍みてても励みになる。
いつか常陸太田に呼びたいなあ。



さすがにじゃがたらに飽きてくると、youtubeなどで色々つまみ食いして、最後はやっぱりじゃがたらに戻ってくる。

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