2014年8月14日木曜日

水星

tofubeatsの水星聴いてる。2年前しょっちゅう耳にしていた。
都会の中で生活してた頃。
色んなところで雑魚寝した。
私の基地はシェアハウスの二段ベッドだった。
あの頃のわたしはまるで18歳だったような。

私のこれまでのドロッドロの内面は飽和した過去、停滞している現在、未知で膨れ上がる未来のまぜこぜだったんだな。
物語は知らぬ間に紡がれて糸になってるんだな。

自分の過去を否定しない。小さな小さなほんのり色づく安堵感や笑いに、幸せを感じる。
大切にしなきゃいけないことってなんなのだろう。

たかしさんの車に乗せてもらって里美の夏まつりの打ち合わせに向かう途中、ともだちのぶどう農園で買ったぶどうを一粒食べた。
種と皮を外の草むらに放り投げていいか聞いたらいいよって言われたのでポーイと放り投げようとしたら車内に落ちて、とても笑われた。

数年周期で更新される観念。
今あらためて、色々な当たり前の言葉を1つ1つ、考え直している。
地域に密着してアートをする。そこに転がっている沢山の当たり前。
「日常」「生活」「待ち合わせ」
普通に見えて普通じゃない、でも私にとって普通はどれだけあっただろう。
ここに来てから色んな「私の当たり前」を目の当たりにしている。
考え続けること、変化し続けること、それは私の当たり前で、本質の話しかしないっていうのも私の当たり前で、でもそれはみんなの当たり前ではなかったりした。
そうやって自分のシルエットが見える。

影って面白いね。長くなったり、短くなったり、連続して追いかけてきたり。
自転車が好きだな。
歩いたり、自転車で行ける距離にいる友達っていいな。

宿題やってるんだけど文章書いてると情熱的になっちゃう。
ちょうど中間みたいな文章って難しい。

窓を開けておけば近所の人が「いる」って認識できて、そうすると尋ねてくれたり誘ってくれたりする。
だから最近はリビングで窓全開で暮らしてる。
家の窓を開けると外が近くなる。

となりのおうちのリンちゃん(犬)が、台所の窓に私が通りかかるたびに吠える。
原付で出かけるときも吠える。帰ってきても吠える。
だからいつも手を振る。
嬉しいな(^。^)

お昼ごはん、お隣さんのおうちでお赤飯食べた。豆がホクホクで柔らかくて味がする。
お隣のおじいちゃん、60過ぎてから定時制の高校に行って、新聞に載ったりして有名人だったのだって話などを聞いた。
それで頭のいい人の話になって、通信簿で5を取ったりしてすごい頭がいい人がいてね、というので、5を取る=頭がいいんじゃなくて、超頑張ったから5を取れるんだって、逆なんだって思って、「私は本気で5取りました!」と言ったら笑われた。

今日は2度も大笑いを聞けたので嬉しい。


遠くにいる人の目を自分の中にも持ってみようと試みることがある。
慣れないことをしてぶれる感覚もあるけど演じたり素になったりすることは多面的な現実を、重なる様々なレイヤーを意識することができて面白い。

私は、めげそうな時はよく心の中でお母さんや友達を作り出して、心のお母さんに律してもらう。お母さんならこう言うなあって。


明日6時に家出るんだけど宿題と仕事が・・・・。
明日からあざみひら。新潟だ。


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