2014年9月8日月曜日

呪詛の筆致

土曜日、守谷のアーカスで今年のレジデンスアーティストいらっしゃいパーティーがあった。
夜、小泉明朗さんの2003年の作品映像などを拝見した。
その映像で守谷の子供たちが歌っていた「まっかだな」が頭から離れずに目が覚めて、この日記をしたためている。
面白い作品だった。
前年度のキュレーターの方に「you're welcome.」の発音がよいと褒められた。
しかし褒めてくれた英語が聞き取れなかった。
隣の人が教えてくれた。

日曜日は後輩でお友達の山田愛ちゃんが同学年の3人で結成した「らくだいぬ」の第一回朗読会を3331の3階「日々の明々後日」スペースにて拝見した。
最後の回に遅れてしまい、メンバーの彼氏と私だけのために再演してくれた。
ごめんなさい。ありがとう。

セットが綺麗だった。繊細に張り巡らされた薄い膜。きちんとしていた。
言葉への意識はとても自覚的にあるようだが、声への意識は少し低かったように思えた。
朗読である以上、言葉をのせる声にも「人に伝える」質というのが、技術ともいえるものが必要になる。
わざとの棒読み、わざとの舌ったらずなのかなとは思うんだけど、お客さんに声が届くところまでは質を上げないとならないな。
しかし面白い部分もある。自覚と無自覚の境界のようなところでふわりと浮かぶ言葉。どこにもたどりつけない言葉。スっとお客さんに響く言葉。
お客さんは朗読者3人に囲まれて朗読を聴く形になっているので、3方向から言葉が飛び交っている感覚があった。
面白いな。未熟な部分もちゃんとその空間ににじみ出ていた。
空間と質が一致していることがなんだか面白いな。
ゆるいタイムであった。

面白さはなんにでもあるのだ。
地域おこしもそうだ。教育もそうだ。地域の魅力、子供たちの魅力、それぞれの面白さを見つけ、引っ張り出していく。
そういう部分が楽しいんだ。


5日〜7日は藝祭だったようで、夕方は移動した。
藝祭のフリマで素敵な後輩たちのグッズ販売を拝見した。
これかわいいのう、と言ったらプレゼントしてくれた。
それがなんかずるい気がして申し訳なくて、何故私はお金を置いてこなかったんだ、と今もずるずる引きずっている。
今度、お茶をおごろう。そして、ポストカードなどをプレゼントしよう。
おごれる身か?やはりポストカードだけにしよう。
あの良心的なお値段。次はぜったい買おう。
絵がとてもキレイなんだな。

サンバは最高だった。
芸大生の青春はやはりサンバ。
1年生の時は戸惑った。なんでサンバなの!?とびびった。

今のわたしは永遠に踊っていられる。
あのグルーヴ感はやばい。
サンバ隊は、この祭を盛り上げるのは俺たちだってわかってるからかっこいい。
そしてめっちゃ練習してるからクオリティがめちゃ高い。
サンバ聴くと超楽しくなっちゃう、それが芸大生の共通点ではないかしら。


ひとしきりサンバで遊び、飲み、移動して素敵なメンツで回転寿司食べた。
さんま美味しかった。

都会はいやなことも思い出させるので、少し涙ぐんだ。
何故いやか。
それは覚えているからだ。
恋愛の溝は恋愛にしか埋められないのだろう。しかしその溝は急いで埋めなければならないような致命的な溝ではない。
命はちゃんとまわる。
まわるようでなきゃならないし、まわることで忘れるんだろう。

日常は過去を洗い流し、物事を風化させる。
相手の匂いが消えるまで日常を繰り返さなければならなかった。

命をちゃんとまわす。
反復のエネルギーを筆触にのせて
画面にめぐらせるんだ。

呪詛の筆致は祈りの墨蹟に変えよう。


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