2015年1月1日木曜日

振り返ってみます

最近、今まで失ってきたものを思い出すことが多い。
それは後ろ向きな感情ではなくて、むしろ、失ったものを肯定的に受け止める準備ができた、ということなんだと感じる。

これまでの色んな苦しいことは、大抵乗り越えることができなかった。
ずっと死にたいと思って生きてきたことと、自分に自信が持てなかったこと。
これが一番大きな課題だった。
余計な我慢をしてしまったり、エネルギーを消耗してすぐ疲弊してしまったり、感情の浮き沈みが激しかったり、時にあり得ない程滑稽で衝動的な行動をしてしまったり・・・。
今思うと信じられないような出来事ばっかり。
自分の人生は「失態」という言葉がよく似合う。そんな感じだった。

生まれてこのかたずっと、山の頂には届かず、登り続けるばかりだった。
時々自分を慰めてくれたり励ましてくれるのは、その道中で出会う野花だったり、草原一面に朝日を反射する朝露だったり、人との出会いで生じる追い風だった。

2014年は、一つの山の頂にたどり着いた一年だったのかもしれない。

失ったものを振り返る日々なんて絶対につらい。
だから忘れたり、別のことに集中したりする。
けど、今は失うことによって心がぐんと広くなることに気付いているから、今までどれだけのものを失ってきたのだろう、なんて考えをめぐらせることができる。

失うのが怖くて壁を作っていた部分も、あまりに自然にほどけてしまった。
まったく別のドアから、それは丁寧に、私の心にやってきた。


小学生の頃は自分の生まれ育った家を失った。
今思うと、それはとっても大きな出来事だった。
中学生の時も家庭裁判所の判決を待つ前に、あまりに自分が精神的に参っていたため、母が強引に引越しを決行してくれた。
何度も何度も、自分のよりどころが揺らいできたんだなと思う。

物理的なよりどころから、精神的なよりどころまで、様々なものを突然失ったことを振り返っていました。


30日は親友のしおりちゃんと会った。
しおりちゃんは自分に自信が持てないという。
私も本当に気持ちがわかる。
そのとき話したこと。
自分に自信がないのは、実は皆一緒なんだよね。
根拠のない自信を持てるという、素晴らしい才能を持つ人も沢山いると思うけど
やっぱり人は、生きている以上、自分の命を脅かす出来事に対する「恐怖」は持ってる。
そこに注目するほど、人は自信を失ってしまうのかもしれない。

自信を持つことと、自分を肯定することは、ちょっと意味が違うんだと思う。
自信のない自分すら、まとめてちゃんと目を向けることが、自分を肯定することの一歩だと思う。
自信が持てなくても、自分のどこか一部だけでも、肯定できたらそれが希望になるはず。

本当は、しおりちゃんの心は、自分を心底愛してあげたくてたまらないんだよ。
弱いところと向き合うのが怖い自分と、弱いところもちゃんと向き合ってあげたい自分と、両方いるんだよ。
どちらか1人じゃないんだ。
だからこそ、あらゆることに目を向けなくちゃいけない。
人の心も自分の心も、とっても色んな表情を持ってる。
醜さも愛らしさも含めて、それが命の様相なんだもん。

そんな感じのことを言えるようになった自分。


いやあ。2014年はほんと。
最悪の出来事からはじまり、最高の出来事で幕を閉じました。
神様という存在じたいは信じていないんだけどね
神様からのご褒美だなって感じました。

私は胸がいっぱいなんだ。
これからどんな人生が待ち受けていてもいい。
こんなに幸せなことは初めてだ。


昔のブログに書いてあったこと。

いつのまにか自分と向き合わなくなったのかもしれない
恋愛なんてしたからかな いやそんなことない!
恋愛したら、かわいい気持ちいっぱい知ったし柔らかくなった。


そう思います。


完全に満たされた状態なんて、あるものか。
あるとしたら、それは何かが空間を満たしている状態ではないと思う。
全てが一切ない空洞の中を、風が目一杯に強く吹き抜ける状態なのかもしれない。


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