2015年7月28日火曜日

「おとなもこどもも考える ここは誰の場所?」東京都現代美術館


話題になっている会田家の「檄文」の作品や、会田誠の首相スピーチの映像を見届けたくて東京都現代美術館へ観に行った。



はじめに言いたいのは、twitter上で交わされている、この撤去問題に関するツイートは良いのが多かったこと。
美術館という制度のこと、行政や組織が関わるこの仕組みの在り方など、色々な問題が浮き彫りになった出来事だと思う。

そしてこの展覧会の主旨の良さ。
子供の邪魔をするのはいつも親。その親が受けている教育の問題。

展示は開館時間ちょうどに行ったので最初は空いていたけど、途中から混んできて親子連れの姿も目立った。
でも、もはや子供も親と別行動をとって自分の好きな物をみようとできないのかと思った。
何かをつぶさに感じる自由を、子供たちは親に制限されているようにも見受けられた。
確かに子供を放っておくことはできないけど、子供の行動と感覚を大人も刮目せよと思った。

展示の見方一つとっても、この展覧会の主旨としても、自分も少なからず(てか多いに?)絡んでいる日本教育の問題に繋がっていると思ってる。
あまりに滞った教育の在り方から形成されてきた大人たち。
大人というものの凝り固まった存在。
そこに風穴を開けよう、一石を投じようという試みをこの展覧会から味わいとった。

見て体験してほしいと思うけど、例えばキャプションの横についている「これはなんとかという作品だよ。こういうのってなんとかだよね。でも、これはこういうことなんだよ。」みたいな子供向けの説明が実際は大人に向いている感じとか。
大人自体が現代美術を「わからない」から遠ざけたりしがち、絵を見ることを「説明できないもの」として敬遠しがちだと思うし、子供は「わからない」ままを受け止めることができる大きな透明な器を持っているのを忘れがちだと思う。
キャプションだったり、展覧会の構成の仕方を見て、「大人よ気付け、子供を呼び覚ませ」という声が聴こえるようだった。

一番最初のヨーガン・レールさんは最初はゴミのカケラが綺麗に色ごとに床に集めておいてあり、沢山の欠片でいっぱいだった。その壁に作品の形態を模索しているドローイングが貼ってあり、「ここにあるものでこのような形態の作品はないけどな?」と隣の部屋に入っていくと、今度はそのゴミの欠片たちで作った美しい様々な形状の照明が飾ってあった。これのことかあって思った。
美しい。光を照らすために作られたものではない。廃材なのに、ぼんやりと色あせたプラスチック容器から漏れ出す淡い光がとてもあたたかい。
ゴミのロープでつぎはぎされていたり、洗濯用洗剤の容器そのものが光の一部となっていて、細部にまでとことんヨーガンさんの美意識がつまっているのを感じる。

その部屋の次の部屋に行くと、今度は写真が貼ってある。浜辺の写真。
浜辺の美しい植物や波肌を写した風景写真の隣に大漁の流れ着いたゴミの写真がある。

テキストがどんと大きく壁に書かれている。40年以上日本にいて、日本の移り変わりを見て来たヨーガンさんが目の当たりにしている、沖縄の浜辺のゴミの現実。
人が消費し捨てていったあまりにも多くのもの。残酷なまでに浜辺を荒らし、生態系を荒らす人間の消費行動の成れの果て。
ここで、アーティストがゴミの欠片を拾い集める理由、それを美しく彩って作品化する理由、そしてその活動の元になっている大きな問題に対峙する。
彼は、このゴミ問題を、作品として自分の美徳も美意識も詰め込んで表現することでしか語れない苦しみも抱えているのだ。



※岡﨑乾二郎さんTwitterより画像を転載いたしました。

岡崎乾二郎(当展示での作家名は「はじまるよ、びじゅつかん(おかざき乾じろ 策)」となっている)の作品は、中学生までしか入れない美術館の作品だった。
大人はテキストしか読めない。プラスチックのカラフルな段パネで仕切ってある。高校生は大きな声でテキストを読み上げたら入れるらしい。
ここで親子の行動を切り離すことは素晴らしいことだと思った。
親はここで美術館の見方をあらためて学び直すことになる。
テキストには美術館ってなあに、アートってなあに、みたいなことが書いてある。
大人は頭でっかちだから説明できないことがあんまり好きじゃないんだ、みたいなことがわかりやすく書いてある。むかつく感じではない。
ああ、そっかあ、頭でっかちになっちゃってるかもなあ。みたいに思える。
子供しか入れない美術館には都現美のコレクションが展示されている。
好きなようにヘンテコを感じて、ヘンテコを心の中でまさぐってみよう、という感じで子供向けテキストには書いてあった。
そこから出てきた子供がいったいどんな想いで出て来るか。
いいなあ。

会田家の作品群は量も雰囲気もやはり会田ワールドで異様な感じ。でも外国の美術館でみる現代美術はこんな感じだったなって思った。
よくわからんものがふざけて置いてあったりする。
日本で観るから異様に感じるという印象もある。
内容はとても良かった。
息子の寅次郎くん(中2)のトークセッションでの受け答えの映像だったり、幼稚園くらいの時からチンポムのメンバーとかと喋りながら映像に残してきた寅次郎の頭の中に存在する「たんたたたん」という世界、寅次郎くんの世界観や今の活動・・・凄かった。
お母さんもお父さんも作品が素晴らしかった。
首相に扮したスピーチも、つたない英語で首相っぽく、丁寧に、偉そうに喋って、最後に「ああなんで英語でスピーチしなきゃいけないんだこのやろう」みたいな感じになっておっさん臭く管を巻き始めて画像がバグって終わるの。

奥さんの岡田裕子さんの多摩美の講義の映像は会田誠との馴れ初めから、会田家というものについて語っていて面白かった。生まれて三ヶ月で親子展をやったという話とか。
一つ一つのキャプションも面白い。
会田誠が小学三年生風に描いた絵、中学生風に描いた絵の展覧会キャプションには「これは会田誠さんがおとなになってからかいた絵なんだって。どういうこと!?」とか書いてあって。
私は前に森美で観たことがあった作品だったんだけど、確かに、こどももおとなも、きっとそう思うよね。面白いよね。

私も中学生のときや、小学生の時に来てみたかったなあと思ったし、自分だったらどんな反応したろう、と思う。

ものすごい嫉妬とかをしただろう気はする。
自分も小さい時から物を作ってばかりだったから、寅次郎くんの環境は羨ましいとか、自分だって小学生の時こういうことしてたし、とか、思ったし。
まあ、そんな風に思っちゃうこともあるね。

色々含めてすごい一家だ。

さいごの作品は、会田家の展示でる瞬間に「なにからなにまでくだらなかったな」て大声で言ってるおじさんがいて、なんかどぎまぎして、その次の作品で「いやーこれはほんと面白いね」て大声で言ってて、あんまり正気で観られなかった。そして疲れてしまったというのもあってあんまり覚えてない。
夫婦で作った作品だったので、いいなあって思った。



この展示ってなんだか「自由」や「革命」って言葉も絡んでくるんだけど、
本当に「自由」や「革命」や「芸術」ってのは、考えて言葉にするのが難しい分野だ。


物を作っていく人たちのパワーに生気を与えられた部分もあり、自身がアーティストとして・・・という現実にぶつかった部分もあり。



一番印象に残っているのは、会田誠扮する首相スピーチでの一言。


「さあ、再び、お互いに、孤立しましょう。」




都現美のサイトのテキストを読むだけでも面白い。↓

おとなもこどもも考える ここは誰の場所?



※追記
ヨーガン・レールさんはファッションデザイナーだったらしい。なるほど!だからこのデザイナー美的センス。この表現になるわけか。と合点がいきました。






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