2017年4月10日月曜日

乱れを可視化する

人の苦しみの本質を眼差したいと思って、人の話に耳を傾ける。
相手との不和も調和も、波になって自分の体内をめぐる。それを感じる。
良いとか悪いとかじゃ判断できない。
好きとか嫌いという区別ができない。
愛しているから憎くて苦しいのは理解ができる。
わけがわからなくなると、闇の中に放り込まれるようでこわくなる。子供と同じ。

薄い味のスープが好き。
味がちゃんとする野菜が好き。
ゆるやかにやわらかい平坦な、ふっくらした地面に戻る。

便利な世の中だな。忙しさはいくらでも加速する。
少し休めば切り替えられる出来事もあれば、長い穏やかな暮らしが必要な人もいるのにそんな贅沢はなかなかのぞめない。
忙しくするのは苦手で、休むのも上手にできない人が何かでバランスをとろうとする。
目に見えないものに沢山縛られて苦しむ人たちが、明かりを点そうと闇をまさぐる。

ああ、もうSNSにも慣れた。戯言にも、仕事の愚痴にも、色恋の温度差にも
こんなに余裕を持っていられるのはいつまでかな
些細なことで乱れる波を可視化する。



苦しむ人をみると、どうにかならないか考える。
ずっとずっと同じことが引っかかっているんだね。
そういうのはきっと誰もが、持っている業だよね。
だからすぐ溶かせない。消えることがない。軽減させるにも毎日の努力がいる。
苦しまない努力が苦しいのもわかる。
だから性急になってはいけない。
こうすればいいじゃん、とか、そういう言い方がかえって相手の心の傷口をひらくことにもなりうる。
傷つくワードがわかっていたら尚更、 避けなくちゃと思う。
苦しんでいる友人に対してわたしが持っている心をみてほしいと思う。
でもそれは言葉にはなかなかならなくて
話のつじつまを合わせることでいっぱいになってしまって
そういうとき絵を描こうって思う。
私の気持ちに気付かなくていいから、私の絵を観て、メッセージを心の奥に届けてほしいと思う。
いつか届くんじゃないかと思う。


何をしても「傷つけられた」と感じてしまうことで、人を遠ざけてしまう。
愛されたいのは皆おなじなのに、どうして器用にできないのかと悩む。
素直でいたいけど、素直でいることは自信がないと保てないからできない。
ていう感じなのかなと、話を聞いていて思う。
何を言っても傷ついてしまうんだなと思うと、何も言えなくなる。

だから絵を描いたり、笑ったり・・・我慢をしないで本気で生きようと意気込む。

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