2017年4月20日木曜日

昨晩の投稿

吉原弁財天に林友深の旗が増えてた!
インド帰りの友人が弁財天の前でマントラを唱えていたとき、風と鈴の音がお経のように聴こえた。
インドの話を聞いていたら、ものすごいトランス状態に入ってしまった。意識が川のようだ。東京も茨城も特別でどっちも好きだけど、東京の広告の量はやばい。茨城で、完全な暗闇の中で自然の中に潜む命の気配を感じながら眠りについたり、まだぼんやりと暗くて寒い時間から農作業をはじめる近所のおじちゃんとおばあちゃんたちを感じながらまた眠ったり、お日様の光に起こされて植物たちが息を吹き返す姿を、目を凝らして覗き込んだり
テレビがないから民謡聴いたり、アリの歩みに連れ添って田んぼのあぜ道を歩いたり、そういう生活が恋しくなった。
わたしは「社会」を生きるために面の皮を厚くし、意気揚々と煩悩を着込んでたんだな。
自分というものにかなり支配されていたんだな。
自分が自分を忘れると不安になるのは、漂流物である魂はいつだってどこかに定着したいと願うからなんだ。

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