2014年6月28日土曜日

大自然と人工物と私


19:00でもこんなに明るい。


家の跡地に点々とフサフサ草。
これを触ってみたら、触り心地も思った通りフサフサだった。


経年劣化


アートは人の営みの中に宿るもの
人を介してはじめて生まれるもの
だから人がいればそこにアートはある
切り離せないもの
何故人は絵を描くのか
も気になるけど
絵を描く人たちそれぞれの心の中のほうが気になるな。
自分に自信のない私は自分をかなり低めに見積もって、いつもデコボコに物を見てる。
絵を描くことで、静かに真っ平らに自分と自分のいる場が繋がる気がする。



今日はこの景色を描いた。
私は細かいとこに目がいく。
細かいの全部描こうとする。
そういうのがいつも作品に出てるんだな。
全部くまなく全て描きたい

でも絵画表現で一つの画面に全部描こうとするのは集中力散漫で良くない。

思考も構造物、心だって重力がある。
それを反転させたり、無重力にするにはより不自然な力が必要になる。

自然に生きることってなんなのだろう。
私にとっての自然って。

自然淘汰とゆう言葉がある。
自然は厳しい。
人の理想と自然の姿は相反する。

自然現象は輪廻の中の出来事。
達磨大師みたいに座禅し続けて手足なくなって丸くなるとか、不自然なこと。そうゆうことしないと解脱はできない。

どこまでも不自然な力の向きで
現実を掘り起こす

それがアーティストの自然の姿なのかな。

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