タイトルは、
「はっ」という呼吸です。
「はっ」という呼吸を、漢字変換したものです。
最後の手段という3人組の展覧会を観てきた。
上北沢 オープンレターというスペースで行われている。11月5日まで。
3331が閉館したので、そこから移転してスペースらしい。
最後の手段はチーム名。3人は私の大学の先輩たちだ。
大学生の時から、制作のお手伝いしている。
大学入ってよかったのひとつ。
先輩たちに出会えたこと。
とてもよい展示だった。
心地よい刺激と喜びを受け取って帰ってきた。
会いたい人のことを先月書いたが
思い浮かぶ人たちは、なんとみんな絵を描く人ばかりだった。
自分には画家の友達がいない。なぜなら、全員ライバル視してしまうからだ。
と思い込んでいたけど、私は変わったようだ。
会いたいと思う人、思う人、みな独立して「描くこと」を生業にしている人ばかりだ。
とても尊敬している、心の輝く人たちだ。
ここ最近の生活習慣の変化などによって、何か大きなカサブタが取れたのかもしれない。
あ、これを、つきものが落ちたというのか。
つきものがおちたシリーズでいうと、最近、現世だけで物事を考えないほうがいいんだなって思うようになった。
というか、そういう心地に戻ってきたとも言えるかもしれない。
世間では「切り抜き動画」や「ショート動画」がとても流行っていて、何かと要約したりパッとわかるものが好まれるようなんだけど、それってどうなんだろうって思ってたんだよね。
そこから気づいたんだけど、現世だけで物事を捉える、人生を憂うってことは、切り抜き動画みたいなもんなんじゃないかって。
いやいや現世だけで捉えられないよ!物事は他面的で、そして端がないんだよ。って、自分に言われたような気がしたんだ。
ぱちん!
(※腕を上げ指を鳴らして、世界線を変える音)
うむ。
だいぶフリースタイルな文章の書き方をしている。
輪廻があろうとなかろうと、どっちでもおうけい。
先祖代々って考えてもいい。
母、祖母、曽祖母、みたいな感じでいい。
林家、とかでいい。
過去世、現世、来世、と、繋がっていく。
じいちゃんばあちゃん、かあちゃんとおちゃん、わたし、むすめむすこ、とか友人知人でもいいよ。おいっこ、めいっこでもいい。
私という単位だけで、不幸とか幸福とか考えちゃうとすんごいみみっちい。
わあー、私、なんにも達成できなかった。と悲しむことなかれ。
私のかけらが誰かの養分になっている。むすめむすこかも、友達かも。
それがまた誰かのかけらになって、続いていく。
来世の自分に引き継がれるかもしれない。
そもそも私が今生きている基盤は、えっさほいさと沢山の過去世がつないで耕してきてくれたもの。おじいちゃんおばあちゃんが肥やしてくれたもの。
あー、私は何も達成できず死ぬんだ。
なんてことはない。
そう思ったら、いいバトンを渡したいなって思った。
私なりに手入れして、気持ちをこめたバトンを、来世なり、次の世代に渡したい。
次の世代ってあんまり現実感ないから、私はやっぱり来世って考えるのがしっくりくる。
過去世のわたし、ありがとう。現世の自分、できることしよう。来世の自分が幸せになるように。
長い長いスパンでものを考えよう。幸せを自分の人生だけの大きさで測るのをやめよう。
そんな感じで心が軽くなった。
私って、打てば響くんだ。描けばひろがるんだ。
ぐん、と音を立てて、何かがまっすぐに伸びるのを感じた。
多分、寝ている間に穂先はくるんと渦巻いて、羊のツノのようになるんだろう。
私の好きなかたちだ。
自然なエネルギーの流れだ。