これは好き これは嫌い
それに惑わされる 振り回される
良いも悪いもレンズが歪んでいるだけなのに、好きと嫌いに振り回されてしまう
いや 好きと嫌いのグラデーションが 覆い隠されてしまうのか
どっちでもいい が良いわけじゃない
好きと嫌いに悩まされ その間を観察し 間を読むことを学んできたのだろうと思った。
万物斉同は鼻から辿り着ける境地ではないということ。
自分の「善悪も優劣も序列もない」という考えは万物斉同という四字で表せることを知った。
この言葉は見たことがあった。老荘思想だった。そうか、そこも繋がっていたのか。
絵だけじゃなかったのか。私の考え方は、とても東洋的な礎のもとに立ち上がるものだったのだね。
そりゃあアメリカで生まれたわけじゃない。当たり前なのだろうけど。
それでも自分は東洋、アジアというものに深く関心を持っているタイプなのだろう。
予備校の生徒もなんかダイナミズムというか、大地や風や、自然に根差す心を持っていて、まあ思想的には色んな国の人がいるだろうけど、スピリチュアルな感覚が鋭いなあと思う。
これこそ、コンクリートジャングルではない、自然環境によるもの、土地柄なのだろうか。
読むことは とてもおすすめしたいことだ
今までは観ること 観察すること まなざすことばかりだったが
目をうつすこと 次から次へと 流れるように文字に目をうつすこと
読むことにも意識を傾けるようになった
絵を描く者だからか観ることに全てを言い表そうとしすぎていたけど
今は秘めること 読むこと 受け入れること それらにも傾注している
何かと何かの間は面白い そこでしか見えないものがある
展望を眺め 頂で別世界を体感し また目をうつし大地を這い 一歩一歩踏みしめて展望を眺む