2016年11月24日木曜日

先輩たちに言っても「んもおーまたまたぁー」て感じだろうし照れ臭いから、私もいい作品を作って、楽しみながら勇ましく生きることでメッセージを送りたい、気持ちをお返ししたい、な。

先輩ありがとう

最後の手段という名前で活動してる先端の先輩、3人組。
2学年上で、学生時代からたまに手伝わせてもらってる。
とてもとても優しくて、あったかくて、芯があって、物を作らないと気が済まないという人たち。
その情熱、眼差しが圧倒的で、尊敬してる。
絵を描くことが好きで仕方なくて、まっすぐ物作りをし続けてるところにいつも感動する。

高校3年生の時はじめて取手校舎のアートパスという展覧会に行ったとき印象に残った作品が彼らだった。
先端の1〜3年生と油の学生が出展してるからたくさん観たはずなのに、よく覚えてるのは連くんと有坂さん(通称サブさん)の作品だった。

大学1年生の時にアトリエで1人絵を描いていたらドアを開けて覗き込んで、話しかけてきた先輩たちが連くんと浩貴だった。
(浩貴はメンバーではないけど絵描きの先輩)
今日その話を連くんにしたら、そのとき天才だと思ったって、なんだってー
嬉しかった……
お世辞でも嬉しい!


先輩たちを天才だと思ってるから、舞いあがっちゃうね

先輩たちは努力の天才でもある。
好きって力がすごい。
あくなき精神がすごい。

私も積み重ねなきゃ。
先輩たちかっこいい。
性格も意欲も感性も情熱も、真の芸術家だ!!愛がすごい!!
て思う。
じーーん。
素敵な3人組なんだ。
みんな得意分野があって、相乗効果があって、物作りに貪欲で…
かっこいいなぁ……

展示やってるよ!




2016年11月22日火曜日

今の自分は自己評価低め。不安が多い。何も不安に思わずリラックスする瞬間を求めてる。恐怖も強い。こんなのいやだけど、いろんな時期が自分を成長させてくれるはず。

2016年11月19日土曜日

歩音の展示と楽しい公園

金曜の夜は、小学校から高校まで同じ学校という幼なじみ、庄島歩音ちゃんの展示のオープニングにお邪魔した。
ASAGI ARTSは3階に移転していて、行くときは迷子になった。
歩音の作品は、クラフトと絵画とテキスタイルを横断するような絵。
軽やかなのに軽薄になっていないピュアな絵画表現だと感じる。
やっぱり、彼女が積んできたキャリア、絵と対峙する時間が、軽やかさと強度をバランス良く同居させているんだろう。
女子はかわいいと感じるし、男性は真似できない質感だと感じるような作品なのかなあ。
あゆの1番かわいいとこが絵に出てるから、クスッと笑える。

久しぶりの銀座楽しかった。
帰り道に日比谷公園で魚介のイベントに遭遇し、一人で生ビールを飲んだ。
久しぶりの生ビールは美味しかった。
銀座と表参道が好き。何か買うでもなく、ただ通るだけなんだけど。

展示で、久しぶりに同級生たちに会った。
学校で浮いてたの思い出したよ。
でも私にとって同級生は家族のような安心感があるよ。

気が強くて繊細な、女性という可憐な生き物…



2016年11月18日金曜日

なにも、楽しむ必要はないのよ

なにも映りこんでいない写真
なにも描きこまれていない絵

そういうものに 私はなりたい


とことん暗くなればいいじゃない
だれが明るく元気に生きろと決めたのさ
なにも、楽しむ必要はないのよ

それがおもしろいんだよ

2016年11月17日木曜日

現実での自分を支えるために、みんなSNSで小さな承認欲求を満たして安心したり、コンプレックスを共有して励まされたりしているんだろう。
それだけ現実は辛くて、甘えられなくて、気丈に振る舞う必要があるんだろう。
現実が希薄になってしまうことは、こわいな。
物作りの教室が増えたほうが良いんじゃないかな。て、思う。

ブログいろいろ更新

もろもろ加筆修正&インフォメーションというページを新しく作成しました。これで近い展示や開催中の展示の情報がブログに埋もれない!
あとは英語のプロフィールがひつよーです。

2016年11月16日水曜日

童人の3つの儀式

毎日かなしい。
人の気持ちがわからなくてかなしい。
樹木から落ちた枝葉がフェンスに引っかかってた。風に揺れてぷらぷら。

松の葉っぱ


こんなにたくさん。

そして、いいもの拾った。

親友が中1のとき着てた上着とGEZANというバンドのトレーナー、20歳の時ニューヨークのH&Mで買ったニット帽。

子供たちに教えるとか、子供たちと遊ぶとか、子供たちに見せて知的好奇心をくすぐるとか、そういう口実で童心のまま過ごすのは自分らしくいられて良い。
わたしが一番わたしらしくいられる服は、トレンドではないし色気もないし年相応でもない。会社とか学校には着ていけないかもね。
だけどそんなことどうでもいい。
婚期逃してもいい。
たまに自分らしくいられる日や、環境があることが救い。

ART WORK更新

ART WORKのページを更新しました。タイトル/サイズに明記がないものは後日更新します。

聖者の行進

最近
襟を正すような、常に常識を屈服させようとするような強気の正義感が私の思考において幅をきかせている。
説教くさくてチョット暑苦しい。
のびのびマイペースになりたいところだけど、きっと年齢やキャリアや将来への不安や過去の傷が急かすように尻を叩いて止まないんだろう。

でも、自分が未熟でほんとによかったと思うのは、私はもともと生意気で負けず嫌いで余計な一言を言っちゃうオマケにものすごい正義感強いタイプだから、完璧になんでもできてると思い込んだら他人の気持ちも理解できないだろうし苦しみも共感できなかったと思う。
「ひさびさに12時間働いて疲れたぜ」と思っても、毎日のようにそんな生活をしてる人もいる、育児や夫婦生活と両立しながらとか、独り身でも親元を離れてとか、色んな人が終電まで混み合った電車で通勤して……
て考えたらなるべく人の邪魔にならないように歩こうとか、座るのやめようってなる。
みんながぐっすり眠れますように、って思える。
辛さは比較のしようがないから、難民のことや飢餓のことや震災のことや事故やいじめや、色んなこと考え始めたらきりがないんだけどさ。

霊の供養もそうだけど、「忘れない」こと「気に留める」ことを繰り返し続けなきゃいけない事柄ってのはあるよね。

友達が教えてくれたどこかの大統領夫人かなんかの文章に、「残さなくても、置いてくる」ということが書かれていた。
私も。子孫とか作品とか残らなくても、私という存在はチリになりこの世に残らなくても、次につながっていく何かを必ず置いてくることになるんだろうと、残すことよりもどんな行動で何を置いてくるかが大切ということを、想う。

2016年11月14日月曜日

作ってる作品


ちょっとした展示のおしらせ

小田急線 読売ランド駅の駅すぐ近く、リフォームプロのギャラリーにて
母の陶芸教室studio rindの生徒さんたちのグループ展を行います。
私も出ます。画家の友人である庄島歩音も出します。もちろん母も。
毎日のように、生徒さんたちがせっせと作品作りをしにきています。
私も作ってますよ。
最近の休日の楽しみ。

ワークショップや販売もあるかも。詳細が決まり次第お知らせします。
お近くの方はぜひ〜。ほんとにアットホームな陶芸教室です。
studio rindについてはブログの横にあるリンクから飛べます。

2016年12月1日(木)〜6日(火)
11:00〜18:00(最終日は16:00まで)

会場:リフォームプロ
小田急線 読売ランド駅より徒歩5分(もっと近いかも)
神奈川県川崎市多摩区西生田4-3-29 マイタウン西生田1F




2016年11月13日日曜日

ほんとの愚か者は学習せず人生ループにはいってる

ほんとにあざとい人は「あざとくなっちゃってほんとの自分かわからない!」なんて言えないと思ふ。

人間はみんなピュアだ。けど、悪魔に魂売った人は素直じゃないのだと思ふ。

頭良くても馬鹿はいっぱいいる。
疑問を持て!

2016年11月10日木曜日

すこしさむい

岡さんは風のようにやってきて風のように去っていくなあ。落ち着いて。
でもそれが心地よい、というか、清々しい。
水戸芸の皆さんとか、岡さんとか、魅力的なお姉さんたちに出会えて嬉しい。

◎最近観たい展覧会
東博 「禅ー心をかたちにー後期」
中種美術館 「速水御舟」
ワタリウム 「ナムジュンパイク後期」

吉原芸術大サービス、さんざんの公演、内容的にエグそう…と思ってたけど案外そうでもなく、すごく笑えた。
えげつないけどエグみはないという感じ。演出もよかったな。初見の人はふんどし見てるだけで体力使うと思うけど。カロリー高めなんだけど、その分消費してる感じがヘルシーともいえる。。
渡辺俊介さんの馬と人の婚姻、さんざんの狸と遊女の恋愛という共通点。
無償のではなく情念にまみれた、だけどとても純粋な「愛」を扱った作品がちらほら。自分も含め。今年のカラーとしては、そんな感じがした。

最近肩に力が入りすぎなのかな。頭痛いなー。

↓男性器を模した3人と、それを艶めかしくなぶる純子ちゃん
 


冒頭のシーン。白蛇が純子を呑み込む。

隠喩・象徴を多用する彼らのアイデアが光ってた。ふんどし演劇と吉原が見事に融合。
匠くんがセリフ忘れちゃって新見くんが静かにさわりのセリフを耳打ちするんだけど、丸聞こえなのもうけていた。あったかいワールドだった。


夜の自問自答は意識が上にあがりがち。熱く固くなりがち。
朝リセットされる。落ち着いて、シンプルにできる。
表現のこと話したい。

2016年11月5日土曜日

波と穴

1年半前からの体調不良が良くなり、読書に集中できるようになった。今、あらゆることが鮮明で、スラスラ頭に入って適した場所に溶けていく。
言語で思考する次元と感覚的な手応えや反応、それが混ざり合うと自分のエネルギーが波のようにうねる。
思考と感覚をないまぜにしたエネルギーが波のように働き、深い穴を形作る。
この感覚、わかるだろうか。
第三の眼でみている、ような感じ。

ももちゃんの作品のように、先の見えない深い深い闇は、穴ではなく黒く塗りつぶされた画用紙なのかもしれない。

ギター弾いて、陶芸やって、仕事して。
本を読んだり、制作したり。
少しずつ動いて、少しずつ変化して。
やりたいことがあることが嬉しい。
昔はもっと無気力だった。
そして、やりたいことをやれる環境はありがたい。
落ち込んでるときのほうがそういうことに没頭できる。


2016年11月3日木曜日

今の秩序を壊せ

何事にもワンクッション置くためには、素早く伝えられる装置は邪魔でしかない。悲しさをごまかすために発信、受信、発信、受信。それが自らと対峙することになるのか。ごまかし、まやかし、はべらし。関係のキープ。状況の保留。そんな軽薄さがないか。実にぺらい。そんな自分がいやになった。自分を変えたい。長い習慣によって錆びた感性、安定してしまった不健全な秩序を解体。破壊。バランスを崩して、感覚を更新する。自分の暴力性はSNSとか他人とかじゃなくて、作品や生命力にあてたい。

消費 ネットワーク システム

スマートフォンにしてから何か良い事があっただろうか。
寒い寒いと思いつつ、たぶん普通の人より寒さに強い。
メールで人とわかりあえた試しがない。
顔が見えないと、すれ違いばかり。
せめて電話。
SNSを通じて相手の様子が見えてしまうから、自然に距離を置くのも難しい。
不和を生む。

何かを伝えようとすればするほど、遠ざかっていく。
そのたび、私はちっぽけなんだと悲しくなる。
つなぎとめる必要のない存在。

つなぎとめることになんて意味を見出したくないけどね。
愛はつながるとか離れるとかって出来事じゃなくて、それらを内包する運動、活動の全体を指すと思う。
局所的なものじゃない。連続性のある、ゆらぎだと思う。

インスタグラムにアップするという一つの慰め。
煙草を吸っている人にはわからない煙の臭さのようなものだ。
なんでも「使いよう」で良くも悪くもなる。
だからバランスの良い人はなんだって使いこなせる。
だけど、だからなんだ。
だからってインスタグラムはこの小さな画面の中で奇跡を起こしてくれるのか。
強く、太く、あたたかく、身体に作用する直観と対峙するためには、私は一つ、バランスを崩さなければならない。

恋人はいらないので、これ以上大切な人と疎遠になりたくない。