2016年9月24日土曜日

気になるイメージたち

でもね、よくわかんないんだけどね、言葉じゃなくて形で頭に浮かぶんだ。「なんか…こんな感じなんだよな。スイ、スイ〜って。」というもやあっとイメージが湧くの。
それ描けばいいのかな。ところが描き始めるとわからなくなるんだよな。
心の中のイメージを撮影できたらなー。でもそれもなんかちがう。
イメージは写真におさめられない。こいつらはいったい何物質なんだ。何成分なんだ。何次元の何奴なんだ。名前はなんだ。誰のものなんだ。どこから来たんだ。

深すぎてやめそうになるきもち

教え子に「今日展示行くね!」て言われて、スーっと遠ざかりながら光に包まれる相手に向かって「もう終わったよーー!!行かないでえええー!」と叫ぶ夢をみた。
夢だった。よかった。

4月から居住環境が変わり、少しずつ精神状態が変わり、夏から体質が変わり、1年かけて体型が変わり、卒業して数年が経ち、自分の自然体や素性や現在地が全然わからない現在。

全てが嘘のようで、スキマだらけだけど突き刺さるものもなく、凡庸で感情が穏やか。
恋と酒と遊びでできていた私は、今はそのどれもない。
友達と話すより、制作をしたり、仕事をおぼえたり、勉強するのが楽しい。
大人になったのか?
でも恋とか酒とか遊びを軽視する輩にはなりたくないんじゃ。

いやなことがあんまないので楽だけど、テンションが高まるわけでもない。

変化が最近たくさんあったので、何が理由なのかが定まらない。

いろんな外のものへの興味が薄れてる。
展示終わってひと息ついてるのかな。
でもめちゃめちゃ攻め続けたい。
何をもって攻めるというのかもよくわからないんだけど。
コンスタントに展示がしたい。バリバリ制作したい!

遊んでる人たちが何が楽しくて遊んでるかわからないのでそんな自分はやだな。
都会の喧騒の中歩きながら、遊んでる子たちを見て、楽しそうで羨ましくなる。
わたしの存在がおぼろげ。
自分がどうなりたいのかよくわからない。理想が見えない。

多分、お金がないからだ。
大体いつもお金がないと新陳代謝が落ちる。

感情的なのもいやだけど、落ち着きすぎるのもいやだ!

自我……ってなんなんだ!

2016年9月19日月曜日

忘れてはいけない気がする

わたしの話をみんなが聞くという状況が、優しさに溢れすぎてて感極まってトークのあと泣いてしまった。泣けるということがどんなに嬉しいか。
たくさんの人に作品を観てもらうことが何故こんなに嬉しくて泣けてしまうのか、まだよくわからなくて、うまく説明できない。


観られなかった人も、観てくれた人も、どっちも必要な感じ。わたしを通して繋がっている感じ。


人に「良い」って言ってもらえるそのおかげで、わたしはわたしを好きになれて、そうするとすごく心が自由になるのだ。ありがとう。