2017年3月31日金曜日

P.

透明な板に絵を何層も重ねてから裏返すと、時が逆行します。

木の板にグラスデコで絵を描いて乾いてから引っ掻いてぺりぺり剥がすと時を巻き戻せます。

時間は自分自身で操れるんですよ。知ってた?


子供たちの造形教室で絵を描く子たちを見ていると、完成「させる」ことより完成を「目指す過程」が大事なんだな、と思う。

完成は「紙が破れるギリギリまで絵の具を乗せる」ことでも「先生の求める正解に近づくこと」でもない。けっこう、先生が期待する完成像を通り越していくから面白い。そのままどんどん描き足してグチャグチャになってしまうこともあるけれど!

完成という地点に辿り着くのも、その地点を見抜くのも、簡単ではない。


この造形教室で教える先生たちはそれをわかってるから、完成の正解を押し付けない。また、子供たちにとっての「完成」にも囚われすぎず、「何をもって完成とするのか」や「完成の目指し方」を一緒に考えているんだと思う。

先生たちは先生である以前に、作家だからね。


教室には色んな子がいる。

イメージが頭の中にあって、それを目指して構築する子。やりたいことも絵もどんどん変わっていく子など。


完成を決めるのはその子自身で良い。

アドバイスは、するけど!みんなそれぞれが完成地点を選ぶことができるんだ。


絵は面白いもので、失敗しても巻き戻せることがある。巻き戻せなくても引き算することができる。進みながら捨てたり足したりしていける。絵が停滞しても、待ちながら移動できる。待つ=stay ではない。


こんなこと考えてたら、絵を描く子供の絵ができた。今一番描きたかったのはこの眼差しだったんだ。




まだ途中





2017年3月30日木曜日

頭痛この上ない

絵を描く目的はひとつじゃなくていい
なくてもいい
その都度変わっていい
ひとつ前の段階を悔しがるより前に進むしかない
進むことは足すことも捨てることも選べるってことだから大丈夫。
引き算も足し算もできる。

絵も人生も生気を大切にしていたい。




待つってstayじゃないんだぜ

手と空と気圧が出入りしている。
空気も土も、気分も、どこかに出かけて、新たな地に滞在して、長い時間をかけて戻って来ては、またどこかに旅に出る性質のようだ。
移動しないことは人類の歴史で見ても、新しい試みだ。
移動が制限される要素も沢山あるけど、移動を試みない理由はない。

最近自分の絵を見て「サラダ」とばかり思う。
なんだよ、馬鹿の一つ覚えみたいに、サラダサラダってよお。

栄養かな。土の、香りかな。

今後どうするか思い浮かばない時は焦って手を動かすというより、待つ。
気持ちを待つ時、移動することはとっても重要である。

待つ、ってstayじゃないんだぜ!


2017年3月26日日曜日

私の脳みそでは、色んな言葉にできない、目に見えないものが駆け抜け、線を残してゆく。それは感情の波動なんだね。言葉にできない、「理解」や「解釈」より深い「悟り」が、私の脳内に名のつけられない現象としてイメージを焼き付けていく。
それを描きたい、と思うけど、実際筆を握って作品を作ろうとすると色んな物質が障害になってなかなか表に出てこない。見ても「これこれ」ってならない。
お風呂に入ってる時は思いつくのに頑張って取り組んでる時は散漫になる感じで。

多分、洗練された一筆に乗せることがまだできないんだろう。
何度も何度も筆を重ねるしかないんだろう。
なかなか形にならないし、なんで目に見えない感覚を絵にしたいのかはよくわからないけど、「観察」を生業とする私には「画家」がよく似合うのかな、とおもう。

2017年3月24日金曜日

遊びを軽んじるべからず

本気で遊ぶっていうのは創造力も集中力も超凝縮した無我夢中の跳躍によって叶えられる。


外に発した瞬間全ては波紋のように他人に影響を与える。


自然の機微から兆しを読み取る。

教育の善し悪しは置いておいて、教育という観点は必ずしも1つの方向に向かうものではないし、またその過程を意識させてくれる。そういうところが好き。楽しい。




2017年3月17日金曜日

good vibesな夫婦

なおことさとし
すき
よく思い出す
どっちもすき
どっちもつよい

どっちもgood

芯が。バイブスが。

さとし君は私的には親友なんだよな
good vibesな人たち

最近わかるようになった。自分に良いバイブスを与えてくれる人。そうでない人。

私という存在の、成分がだんだん解析されてきた。

彼らの結婚式に行けないなんて、人生最大の不覚。
誰も悪くないんだけどね。まったく残念だ。


絵画について 表現について 魂の欲する純粋な本質について

(昨年5月の個展のstatement)
 今回の展覧会のステートメントとして、私にとっての絵画について、表現について、私の魂が求める本質について文章に記しました。
 生きることは謎めいています。私はずっとその謎を紐解きたいと考えてきました。真理を求める気持ちが私の絵には表れています。
 もしかしたら、多くの人は「時間」は未来に向かって流れていると考えているかもしれません。しかし実際は、流れているのは「時間」ではなく、「現在」という瞬間なのです。割り切れることなくどこまでも延びる「現在」という瞬間が、常に変化をし続けているだけです。無常でありながら永遠性を帯びた「現在」がどこまでも果てしなく続いているのです。これはオーストラリアの先住民であるアボリジナルの人々の時間感覚と似ています。この発想で絵画について考えてみます。絵画は「静止画」だと思われていますが、私にとって絵画は「動画」です。絵画は時空を切り裂く窓の役割を持っています。彼らは目に見えないエネルギーの間取りのようなものを感じ取る力を持っています。それは彼らの描く絵に表れています。動物の肉体を透かした絵や、先祖の念を読み解いた絵など、視覚としては確認できない世界を描いていることがわかります。
 直接触れることができない内面のイメージや知覚、直接触れることができなくても肉体で感じとることのできる光や現象、そして触れたり見ることができる物質たち。その境界はどこにあるのでしょう。その間を行き交っているのは、あるいは波のように寄せてはかえす漂流者は何者なのでしょう。私はそれを「目に見えないエネルギー」として絵の中で表現してきました。強さ、弱さ、緩やかなもの、静かなもの、尖ったもの、めぐるもの、様々な形で自身の内部から発信されるものを観察し、その行方、成れの果てを見届けることが絵描きとして私に課された使命なのだと思います。
 幼い頃から悟りの境地に達することを願って生きてきました。私にとって自我はほんの些細な現象でしかありません。自信を持つことも自尊心を育むことも本質ではなく、自我の先にある「生きるでも死ぬでもない何か」こそが純粋な本質なのだと感じています。私は自我の先を表現する媒体になりたい。そのために絵を描いています。精神と肉体が一体になり自我を越える瞬間は、時間という観念を突破し、無限のエネルギーとなって意識に力を与えるでしょう。
2016.5.21 fullmoon 林友深

2017年3月13日月曜日

2017.3.13

暗いパイプの中を行こう
隅々まで根を張る血管の中を想像しよう
底なしの器に滑り落ちて、いつまでもいつまでも、深く、さらに濃く、体を逆さまにして辿ろう

ぽちゃん

縁を便りにけもの道を辿り
どこに達しても懐かしく思い
自分という器が果てしない未知への手がかりであることを確かめよう


2017年3月11日土曜日

満島ひかりに釘付け

大倉孝二が出るのでみはじめたカルテット

満島ひかりに釘付け

ミッキーカーチス…

眩しいね!!ほんとにね

面白いドラマに大倉孝二が出て嬉しいし、大倉孝二がいろんなドラマでいろんな役やってるの嬉しい。
でも圧倒的にピンポンのアクマが強い。
フリクリのアマラオが良い。
あとなんだろ。
アフリカのツメのDJとか、HRのドミソピザとか、高校教師とか、わたしたちの教科書よかった。
もちろん、ぱんつぱんくろうははずせないよね!トイレ様はね!

ピンポン強いなあ。
美しかった。

あとはもう、本業というか、一番魅力的なのは舞台の大倉孝二ですよね。

しあわせだなあ
よくわかんないけどほんと

すごい役者さんだなあ

面白いのもシリアスなのも好きだよ

卑屈て器の小さい役はあんまり好きじゃない

ケイゾクの出方と、カルテットの出方似てた、いや似てないか、でもなんかすごく良い起用のされ方!嬉しい。
戦々恐々とさせて。
出方、ほんと、気持ちいいとこ。

映画、溺れる魚の変態もよかったね。




2017年3月3日金曜日

仏 物

ぶつ ぶつ

ちーん

ポクポク

私の頭の中こんな音ばっかり

新しい間抜けに転がり堕ちて、また深い闇を発見したところ。
みんな闇っておそろしいもんだと思ってない?
メンヘラとか病気とか死とかイメージしてない?
闇って未知のことなんだよ。
暗黒は「目に見えない」ってことなんだよ。
通過する時に触れて、感じて、鮮やかに見えて、そしてまた見えなくなっていく。
前も後ろも闇だよ。

私たちはずっとずっと絶えず移動し続ける透明な接続面なんだよ。

おしまい。