2014年8月27日水曜日

バランスの自由

バランスとは、左右対称や天秤が釣り合って「静止」している状態を指す言葉ではないと思う。

私の修士論文に「絵画は静止画ではない」と書いてあって驚いた。フムフムと思った。
ずっとまえ、私は写真うつりが悪いなあ、不細工だなあと言ったら、大学の友達が「人間は静止画じゃなくて動画だよ」て言っていたのも心にずっと残っている言葉。
表情と仕草で愛らしければいいよね。

絶えず変化し続けるものに対して静止した状態を求めるのは不自然なことだと思う。
だから「恋愛」でも「生」でも期間が決まってる。いつか終わる。
今日友達と電話で話してて、相手がバランスをとりたいと言っていて、私はそのときスっと透き通った気持ちで呼吸できていたから「自分は今バランスがとれているのかも」と感じていた。でもひとしきりお互いの話をして電話を切ったあと、少しまたバランスが崩れそうになる揺らぎを感じた。
そうだ。私は鉄棒でぐるぐると回っていて、たまに足をかけたまま棒の上で停止して言語化してるだけなんだ。その期間が終わるとまた足はぷるぷると揺れはじめて、堰を切ったようにまたぐるんと回りはじめるんだ。何回転して止まるのかはわからない。
ぐるぐる回りながらその目は何を見てるんだろう。きっと一生懸命、急速に流れる景色を見ているわけじゃない。残像なのか今見ているものなのか定かじゃないような景色の中で、過去と現在と未来を全部いっしょくたに見つめているんだろう。

人によっては、左が長くて右が短い状態が心地よい人だっていると思う。
人に利き手があるように、地球が少し傾いて自転しているように、星の軌道はそれぞれ長さも角度も違うように、どこに基準を置くかでそのバランスは変わってくる。
歪んでいるとも、正しいとも言えない。ある基準からは外れているかもしれないけど、基準の角度を変えてしまったら、それは正位置に変わる。

バランスにも自由がある。釣り合いのとりかたにも重きの置き方にもそれぞれがある。

李禹煥の作品の美しさも、そこにある気がする。
余白の芸術。真ん中でもない、上でもない、下過ぎもしない、絶妙のバランスで配置された、絶妙な厚み、色合いの筆跡。
その画面には、そのときの、その瞬間の「調和」が「緊張感」が、細くて脆いたった一本の糸の上をつーっとつたる雫のような「瞬間の永遠性」が刻印されているんだ。


私は安定している。そう思った瞬間、不安定になる。
その原理を知っているから私はうまくバランスをとろうとできる。
人の価値観に振り回されない、自分の軸の取り方を知っている。


友達に、大人だなあ、とか色々と感心されて、
素直にとっても嬉しかったんだけど、分析したくなって考えてみた。
バランスってどういうことなのかな。なんで私はこんなにスッとしてるのかな。この感覚ってどうやって手に入れたんだっけ。どうして私はこんなに落ち着いているのかなって。
でも確かに電話では落ち着いてたけど、今日一日を振り返ってみるとものすっごい心がしっちゃかめっちゃかしていたんだ。
安定なんてしてない。でも落ち着いて自分の気持ちを毎回ひっつかまえて「どうどう」って唱えていたんだな。感情の裏をしっかり見つめようとしたり、人の言葉だけじゃなくその発言の持つ背景や全体像を見ようとしたんだな。
疑問があったら聞いて、いつもの角度とは違う接し方をしてみたり、試行錯誤して足元の土をふみふみ、馴らしていたんだな。



いつも感じるんだ。電話切ったあとに電話で話した一切が覆りそうになる感覚。
それを初めて言語化してみた。

このブログを更新したあとにもまた、なんらかの揺らぎが待ち構えているんだろうな。


今salyuの「to U」を聴いているのも、きっと影響してくるんだろうな。
ブログに書く、ということ自体、誰かに伝えたい、人と話したいって感情の投影だからな。

私の想う色んなことが大切に丁寧に、外と繋がっていきますように。




2014年8月26日火曜日

ぶちょうと面談だったよ

アーティスト・イン・レジデンスで受けるべき依頼、受けた依頼との関わり方、アーティストがすべきことっていうのがよーやくわかってきた。
同時に自分がレジデンス事業としてやっていきたい3つの軸も見えてきた。
最も中心となるべきなのは作品制作。
そして3年の任期が終わったとき、私はどこでなにをして生きてゆくのか。それも確実に考えて、実行していかなきゃいけない。

こんな素晴らしい立地条件で、平屋一軒家で、この家賃。間違いなく最高の住居。
ここは地盤がとても固い。地震にとても強い。近所の方々ともとても仲良くしている。
野菜も育てられる。

すばらしーおうちです。

あーわくわくわくわくわくわく


とかいってられないや。イベントまでに、しぬほど制作しなきゃいけないんだ。

乙女座の新月

感覚の中の心が外の情報をキャッチして「どれどれ」と重い腰をあげて扉を開ける。すると思ったものとは違う景色が広がっている。
さっきまでリビングの白い明かりを浴びながらパソコンで音楽かけつつ殻にこもって問答していたけど、「今日は新月」「土星と火星が最接近」とゆう情報を見つけて外にでてみたら、曇天と暗闇。涼しくてゆったり流れる空気、全方位から虫の声、生物がうごめくカサカサとゆう音。用水路や貯水タンクの水が流れる大きな音。自分の家の外観。外灯に照らされる自分の体。シャンプーの匂い。自分の呼吸の音。
「夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌なことでしょうか。」
この意味がとうとうわかった。

内から外に出て、そして自分に戻っていく。

2014年8月25日月曜日

最終列車

地球が猛スピードで回転している実感て、どうして持てないんだろう。
地球は丸いという実感て、どうして持てないんだろう。


今は遠ざかっていく一方でも、いつか少しずつまた近づいてくるんだろう。
星の軌道みたいに、これから近づいてきて交差する時も来るんだろう。

そんな感覚の中にいる。
心は感覚の内部に存在する。

体を動かすと脳が動く準備をはじめる。脳の準備が整うと、心が動き始める。

体動かすのっていいなあ。表情や顔つきがよくなる。
心に変化があるんだろうね。
自分の体と向き合うことと、他人の体と向き合うことは、同じ効果があるのかもね。


鷹の爪と生の唐辛子は辛さが違うみたい。唐辛子2本って書いてあったから鷹の爪2本刻んで入れたらものすごく辛いおかずになりました。

原付に毎日乗っていて気付いたことは、縁石のあたりに草がぼうぼうだと、草が道路に身を乗り出しているのでものすごい量の草にハイタッチ求められてる感じになって楽しいということ。
トラックとすれ違うとき、とても強い風が吹くのでグラつく。トラックが対向車で近づいてきたら速度を落とさなきゃ危ない。

歩いていて気付いたことは、夜の外灯がとてもまぶしいということ。原付だと暗く感じるのに。原付では左折時の確認しかしてなくて気付かなかった公園の草の伸びっぷりに気付けるということ。空いた土地のあちこちに植わっていたコキアが成長してまんまるふさふさになっていたこと。
原付をゲットしてから全然歩いていなかったから、色んな変化にびっくりした。

ようやく事故の事情聴取があった。
げっそり。
交通事故は本当にこわいものだ。
命がかかってるんだ。
車は、走る凶器だ。
原付だって爆弾の横をかすめるナイフのような存在だ。
高速警察なんてものがあって、その人たちはなんでこんな矛盾に満ちた乗り物の存在を許して、事故が減るようにと努めなければならないのか。
私も私とて、明日も原付に乗るんだ。殺すことも、殺されることも覚悟で。


最近近所のおじいちゃんおばあちゃんや、大工さんと仲良くなってきた。
けどお散歩したり酒を飲んだりデートをするような友達がいない。
友達よ。どうせいたってあんまり会わないけど、もうすこし簡単に会えたらいいのに。

先日ある人から唐突に連絡がきた。
まともな感覚ではいられなかった。
残った傷は時が経っても痛むんだと知った。
気持ちが狭くなって、汚い言葉を吐き出しそうになる。
書いてさらに気持ちをけがしてはいけない。
よく人と付き合えるな、よく恋ができるな。
私には近づくことができない。

面白い歌手がいたので調べてみた。そしたらいやな気持ちになる知恵袋の質問やら、記事やらが出てきた。
誰を調べたって、ネットにはくだらない、虚しい、気持ち悪い記事が沢山出て来る。
吐き気がする時がある。

どうせ旅するなら自分の気持ちで旅したい。


でも、これも世界の様相の1つなんだ。

素敵な予感が遠のいた。

自分で自分の心をよごしてしまったよ。

くるりの最終列車を聴いてる。「奇跡」という映画でも使われた曲だね。
まえだまえだ、かわいかったな。
センチメンタルで感情的な夜。新月のせいなの?
でもくるりでかなり癒される。

くるりは電車がすき。私も電車がすき。
田舎を走る電車が一番好き。ここにはないけど。
私は目的地が移動していたらすごく楽しいと思う。
移動する目的地に向かって歩いたり走ったり電車を乗り継いだりする。
それはとっても楽しいわくわくする旅になると思う。
全部移動してるんだ。
心はどこにでも旅に出ることができるよ。旅の最中でも、家のリビングでも。

2014年8月22日金曜日

彗星

今日の一曲は、salyuの彗星かな!

17時半から0時までお隣さんちで晩酌&晩ご飯&おしゃべりした。

コーヒー3杯くらい飲んじゃって目が冴えているし、色んなことを言語化しておかなければならないので軽く仕事をした。その延長でブログを書く。


人と比較して自分を卑下したり、負けん気で持ちかえしたり、それは無駄な力の使い方だなと冷静に感じてバランスをとったり、人の言葉をてらいなく受け止めたり、現実を見据えたり。
自分が見た自分、あの人の見る私、お隣さんが見る私、ミヤタさんの見る私。色んな私に励まされる。高校の小論文の数々、卒業論文、芸大の修士論文を読み返して鼓舞される。圧倒される。感動する。私が色んなことを教えてくれる。

ありがたい。

私は魅力的だと思う。

これからだと思う。

がんばろうと思う。

今日はそういうこと思える日だったんだ!
色んな人の超あっったかい眼差しと、超あっっったかい言葉で、それを感じた。
感じられるようになれたことにもとっても感謝しています。

色々なことを感じる自分が好きだ。
前向きに感じられる眩しい感じも時々あって、それもすごく好きだ。
センチメンタルではあっても。
ゆきすぎず、少しずつ発散しよう。

早くこの話を人としたい。外部の人と、もっともっと。


莇平で色んな友達と喋って、スンゴイスンゴイ色々な雑念が洗い流されて、東京帰ってあらためて匠くんや仲良しの女の子と喋ってどんどん思考が深まって
それでこの前ハと気付いたのは「報われない恋はない」ということでした。

結局恋愛すると終わったり、告白してフラれたり、なんらかの形で「失恋」をするけど、「失恋」=「報われなかった」では決してないなと思った。
自分のこれまでの経験とか、友達の失恋とか、色んな恋を見ててとってもナイーブになってたし消極的になってたけど、なんだか前向きに思えてきた。
失恋しても大丈夫。だから恋をしても大丈夫。してもしなくても大丈夫。
愛に名前をつけなくたって大丈夫。
自分の心に自信を持とう。
好きって気持ちに自信を持とう。
損なうことなんてないな。裏切りもない。
もう「裏切られた」なんて思いはしたくない。思い方もしたくない。そして相手にもさせたくない。

失っても、損なっても、打ち砕いてしまっても、恋で自分は成長する。
膨らみ過ぎたり、極端にしぼんだりするけれど、そこで何か一歩、踏み出せる。
それを「報われない」なんて表現するのは、いかがなものか!

人を好きになるなんて良いよね。素晴らしいことだ。

わたしはわたしの愛の世界がある。
誰かと交差したり、すれ違ったり、流れ星のように一瞬のひとときで燃え尽きたり。
どうなるかなんてわからない。

好きだと思える人と出会えただけで幸せだ。


素直な気持ちで、心を込めるんだ。
私は強くならなくちゃ。



2014年8月18日月曜日

莇平の夏

「考えすぎだよ」の真意は
「考えるのをやめろ」ではなく
「考えるべきところから逸れている」とか
「何も考えないくらい必死で絵を描いてみろ」という意味だった。

なんで私のことそんなに見透かしているの?と思うようなアドバイス、山山山のみんなからもらった。
あああああああああ、こういう会話、ひっっっっっさしぶり・・・・・と思った。
褒められてばっかだったから、ちょっと忘れかけてた。他人に指摘されること。
けっこう自分で自分を律したり、緩めたり、自分でなんとかする感じだったんだけど
ああーーそう。山山山のみんなや、先端のみんなって、言葉にしてくれるんだ。
優しかったり遠回しだったり直球だったりひねくれてたり、どんな言い方であっても、いつもまじめに言葉にしてくれる人たちなんだ。
ていうか彼らは、私の駄目なとこをちゃんと知ってる。
あらためて教えてくれてありがとう。

アーティストをカッコイイと思うのは、勝負してるところ。
だってまず、稼げない福利厚生もない生活を覚悟してるんだもん。
それに頑張りどころを見極めたり、心も体も集中して真剣に向き合わないと作品て厚みを持てないし、自分であれ他人であれ、何かにぶつかって成長していかないと生き抜けないもん。
空鼠と同様、山山山のみんなも接点が多くて、すごく色んなイベントで一緒だった。彼らと出会って6年だし。ものすごい葛藤したりボヤけたり不安定な時期からお互い知っているから、彼らのめまぐるしい成長を目の当たりにして本当めっっっっっっっっちゃ嬉しかったし、驚いたし感動したし彼らすげい、いい働きをしていた。
山山山という化学反応というか、抜群なコンビネーションというか相性というか。
彼らは莇平だからこそ活きる部分がある。彼らをプロデュースする能力はわたしにはないけど新しい時代のアートのあり方が垣間見えた。
私は悠くん、山山山、慧くん、ミヤタさんの活動にものすごいものすごいものすごいものすごい可能性感じる。
ちなみにくるり(新曲すごくいい)にも感じる。

もちろん、自分にも。笑

私ほんとすごく応援してる。
そんで自分も彼らのように、たとえほんの一時でも、真価を発揮する瞬間を迎えたいから、頑張るんだ。

あざみひらに行ったあと想像力がふつふつと湧いてきたので気付いた。
「あ、絵が描きたくなるときって風景が自分の身近な感覚と結びついた瞬間なんだな」って。
風景そのものに感動しても、それが絵を描きたいという気持ちに繋がらないことが常陸太田にいて少し申し訳ないな〜って思ってたところだったんだけど、ああそういうことかって。
常陸太田でも、近所のおばあちゃんと話している時に見る山や、そんな日々をすごしている中で見る風景って、すっごく愛着を持てるし感情移入できるんだよね。

あら。また当たり前なこと言ってる気がする。


最近のラップはルーツが見えやすくていいね。
ネットのいいところはルーツを調べやすいところかも。
あるいみ、ルーツを探ることや知識を深めてくことが当たり前過ぎて、厚みのない大味な体験になりやすくなっているかもしれないけど。

sugar's campainとavec avecと一十三十一とKOJI-1200(今田耕司!)とNAOHIROCKなどが気になってます。
tofubeatsはピーシャリラ〜!とか水星とかno.1とか好きだけど本人の声があんまり好きじゃないです。しかしとうとう水星とno.1を購入した。

松任谷由実や井上陽水が良過ぎて、アルバム借りよ〜と思った。
松任谷由実は魔法のくすりって曲が、井上陽水はとまどうペリカンって曲が気になった。
あとはタイトルがわからない!
魔法のくすりの歌詞は至言だった。


14日〜16日の3日間、新潟県で行われている大地の芸術祭の関連プロジェクトに参加するため、十日町にある莇平という集落に行った。
莇平(あざみひら)は2003年の芸術祭のとき日比野克彦さんがアートプロジェクトをはじめた集落で、今年は11年目。

まじで行ってよかった。ほんとにほんとにほんとに行ってよかった。
そして行ったおかげで私は少し変わったと思う。
もう内向きになり過ぎない。色んなところに力強く踏み込んでゆく。
そんな気概を手に入れた。
素晴らしい素晴らしい日々だった・・・。


到着した14日(木)は大地の芸術祭のプログラムの1つである北川フラムさんと日比野克彦さんのトークを聞きに、越後妻有里山現代美術館【キナーレ】へ。
内容は、日比野さんが莇平でアートプロジェクトをはじめた頃から今までに至るプロジェクトの全貌を話して、そこに北川さんが「美しいですね」と合いの手を入れる感じで全然トークではなかった。
でもアーティストと地域がマイナスから土台(ゼロ)を作り、その地域での活動が活発になっていくと同時に各地に広がってゆくというアートプロジェクトのモデルケースを勉強できてとてもよかった。


まーなによりほんっと、今年の夏まつりの内容がさいっこうだった。

人が輝いてた。


あまりにも感じることが多過ぎたので、今日はここまで。



2014年8月14日木曜日

水星

tofubeatsの水星聴いてる。2年前しょっちゅう耳にしていた。
都会の中で生活してた頃。
色んなところで雑魚寝した。
私の基地はシェアハウスの二段ベッドだった。
あの頃のわたしはまるで18歳だったような。

私のこれまでのドロッドロの内面は飽和した過去、停滞している現在、未知で膨れ上がる未来のまぜこぜだったんだな。
物語は知らぬ間に紡がれて糸になってるんだな。

自分の過去を否定しない。小さな小さなほんのり色づく安堵感や笑いに、幸せを感じる。
大切にしなきゃいけないことってなんなのだろう。

たかしさんの車に乗せてもらって里美の夏まつりの打ち合わせに向かう途中、ともだちのぶどう農園で買ったぶどうを一粒食べた。
種と皮を外の草むらに放り投げていいか聞いたらいいよって言われたのでポーイと放り投げようとしたら車内に落ちて、とても笑われた。

数年周期で更新される観念。
今あらためて、色々な当たり前の言葉を1つ1つ、考え直している。
地域に密着してアートをする。そこに転がっている沢山の当たり前。
「日常」「生活」「待ち合わせ」
普通に見えて普通じゃない、でも私にとって普通はどれだけあっただろう。
ここに来てから色んな「私の当たり前」を目の当たりにしている。
考え続けること、変化し続けること、それは私の当たり前で、本質の話しかしないっていうのも私の当たり前で、でもそれはみんなの当たり前ではなかったりした。
そうやって自分のシルエットが見える。

影って面白いね。長くなったり、短くなったり、連続して追いかけてきたり。
自転車が好きだな。
歩いたり、自転車で行ける距離にいる友達っていいな。

宿題やってるんだけど文章書いてると情熱的になっちゃう。
ちょうど中間みたいな文章って難しい。

窓を開けておけば近所の人が「いる」って認識できて、そうすると尋ねてくれたり誘ってくれたりする。
だから最近はリビングで窓全開で暮らしてる。
家の窓を開けると外が近くなる。

となりのおうちのリンちゃん(犬)が、台所の窓に私が通りかかるたびに吠える。
原付で出かけるときも吠える。帰ってきても吠える。
だからいつも手を振る。
嬉しいな(^。^)

お昼ごはん、お隣さんのおうちでお赤飯食べた。豆がホクホクで柔らかくて味がする。
お隣のおじいちゃん、60過ぎてから定時制の高校に行って、新聞に載ったりして有名人だったのだって話などを聞いた。
それで頭のいい人の話になって、通信簿で5を取ったりしてすごい頭がいい人がいてね、というので、5を取る=頭がいいんじゃなくて、超頑張ったから5を取れるんだって、逆なんだって思って、「私は本気で5取りました!」と言ったら笑われた。

今日は2度も大笑いを聞けたので嬉しい。


遠くにいる人の目を自分の中にも持ってみようと試みることがある。
慣れないことをしてぶれる感覚もあるけど演じたり素になったりすることは多面的な現実を、重なる様々なレイヤーを意識することができて面白い。

私は、めげそうな時はよく心の中でお母さんや友達を作り出して、心のお母さんに律してもらう。お母さんならこう言うなあって。


明日6時に家出るんだけど宿題と仕事が・・・・。
明日からあざみひら。新潟だ。


2014年8月13日水曜日

竜神灯ろうまつり

吊り橋の灯ろうまつりだった。風鈴とロウソクの入った行灯が道も橋もずっとずっと続いている。
雨の中、少しの晴れ間があった。それがちょうど日没の時間で、霧と曇天に広がる明るいピンク色が幻想的だった。
あっという間に暗くなる。
龍がいる、なんて言う人もいた。





いつ見ても、違うんだもん。
同じものなんて1つもないんだって、でもそれが当たり前なんだって、不思議なことだ。
ぶどうの一粒一粒食べながら思う。
同じ味ではないんだろうって。
そのものも同じじゃないし、食べるたびに私も違うんだ。
微細な変化、変化してるのかしてないのか、いや、絶対にしてる。
それを見つめることが好き。

自然があるのが自然。それが自然。
いいなあ。

2014年8月12日火曜日

title

作品展に出す作品のタイトルを考えている。
タイトルを考えるのって面白い。

日々駆け抜ける感覚のどこに矢を向け、射抜くのか。
どの地点の私に、投げかけるのか。


未来を見るのか地面を見るのか、過去を見るのか全体を俯瞰するのか。
その絵に対してどういう立場にするか、どういう役目を負うか。
どの視座に、時空に置くか。


今回は絵の前にタイトルが先なので、描きたい雰囲気をずっとずっと追い続けられるような、深くて心地よくて決まった言葉。掻き立てられる言葉がいいんだけど〜〜
難しいなあ。

流れ、移ろい、変化する。風が吹き抜ける。物語、しおりをさしこむ。観察、破壊、愛、こころ、触れるか触れないかの距離。心と体の距離。舞台。宿。

せっかく常陸太田1年目の成果展みたいなタイミングなので、常陸太田の人たちに、1年で学んできた、感じてきたアートについて、常陸太田について、何か投じられるような、問いかけられるような、ある瞬間の絶対的な実感、つかみ取れた何かを表現したいなあ。

そしたらなんだろうなあ。
山がふたつに谷ひとつ これなんだ

タイトル思いついた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
10月の展示を乞うご期待。

2014年8月8日金曜日

告白というテーマについて

常陸太田のレジデンスに参加してからアートのこと、アーティストのこと、地方のこと、社会のこと、教育のこと、文化のことを間近なものとして感じるようになった。
それまでは宙に浮いていた、個人の、学生のものでしかなかった言葉も表現も気持ちも
社会と関わることで新たに気付くこと、学ぶことが沢山目の前に現れるようになった。

私は気持ちを隠せない。
常陸太田の人たちと喋ってて思ったけど、私は本音を照れくさくて隠そうとすればするほど墓穴を掘ってる。
私は隠せないんだ。ほんとは。だから隠そうとすると裏目に出る。

私の最近のキーワードは物語と愛。
そこから導き出したテーマが「告白」だった。
上にも書いたけど、本当の気持ちや好きだという気持ちを人に言うのは照れくさい。
喜びを分けてくれる、こちらを見つめて微笑むかわいいその笑顔を直視するのは照れくさい。
だから昔の私は人に絵を描いたり、手紙を書いて相手への愛を伝えてきた。
多分ちょっとした一大決心をして、気持ちを素直に伝えてきたんだ。
そういう自分にとって大事なシーンが「告白」のシーンなんだなあと思ってる。

今まで以上に、私は自分の抱いている気持ちを大切にしようと思ってる。
投げやりにはしたくない。


私はいつも自分の変化を観察している。

アーティストは変化に敏感だと思う。
色んな人が感じ取る自分の変化、他人の変化、季節の変化、天気の変化、世の中の流れの変化、それはどんな風に映るのだろう。そう想像してみるのも好きだ。
考えることはやめられない。

物語、愛については今思考中。
その成就の形として告白のシーンを最近よく描いてる。
そこで起きる人の変化について。
人は関わることで少しずつ変化している。
その変化をつぶさに感じたい。
そこに自分が作用する愛、自分に作用する愛を見つけ出したい。

ヘ(ё)ヘ ぴよ! Σ^)

東北のほうは、大雨なのか…………。
茨城は晴れていたのに。

Facebookで、冷蔵庫を使わずに野菜を冷やすには砂と鉢と水があればよいって記事をチラリと見た。
そうゆう生活いいなあ。
冷えてることにも感激できるだろう。

明日は結構動き回る日だな。
寝なきゃ。
なんとなく、自分の名前で検索したら昔のブログでてきた。22歳の言葉。
年上とゆうのは何光年か先の星に似ているって話が面白かった。
私はいつもいつも色んなことビシビシバシバシ感じて生きてた。
そうでありたい。今もそうでありたい。
将来どうなりたいか書いてあって、そこに素敵な男の人と結婚する!て書いてあってうけた。
結婚する人は、みずみずしい人がいいって書いてあった。

http://papilloner.blog13.fc2.com/

2014年8月7日木曜日

武将あらわる

とうとう、大工のまさやさんと出会った。
出会うべくして出会った。
水府で、心強い仲間ができた。
まさやさんが「信長の野望」というゲームにたとえて、アーティストを「武将」って言ってたのが印象的だったので、タイトルは『武将あらわる』。
さいこうだってミヤタさんも、まさやさんも、ずっと言ってた。
色んなことが水府でも、巻き起こっていく感触。
私にとってもありがたい、心強い。

ミヤタというカリスマについていくぜ!
って言ってた。私もそうだ。

言葉も心意気も信念も、地に足がついている。みんな。

心も体も、頭も動いてる。ちゃんと生きてる。全身を生かしてる。
彼は破壊のクリエイティヴィティーを知ってる。
それは本当にすごいことだと思う。
構築することだけが「作る」「築く」ことではない。
それを知ってる大工さんなんて。

慧くんのことをすっごい楽しい人だよねって言ってた。
そういう印象を持つところもわかってらっしゃる、と思った。

私は尊敬する人、応援したい人、支えてくれる人と沢山出会っている今を強く噛み締めている。強く、噛み締めなければならないと感じる。

新しい方向へのシフトは、簡単じゃない。すこしずつになっても、観念を破壊して、作り出して進んでいきたい。
私に決まった道はない。決まった未知なんてない。未知は未知。道もまた道。

10月、11月、色んな催しがある。ミヤタの野望。
それは関わる人みんなの夢を押し広げてくれるものになっている。
そうでなきゃ、やる意味なんてない。
それができること、それはミヤタさんの愛の力なのだろう。

私の愛の力はどうやってめぐっていくのだろう。
重くならないように、軽やかにしなやかに風に吹かれて雑草を忘れず、あらゆるものをつぶさに感じ取りながら頑張ろう。



更新のお知らせ

プロフィール、作品のページが古くなっていたので更新しました。

2013年7月〜



私にできること

私にできることはなんだろうと考える。
私は何者なんだろうと考える。
まず、私は絵描きだと思う。
そして、教員免許があるので、頑張れば先生にもなれると思う。
私はその2つだけじゃない。作ること、表現することを生業とする「表現者」であると思う。
そこに「アート」の視点や教養がのっかり、「アーティスト」を自称して活動をしている存在。
常陸太田アーティスト・イン・レジデンスという事業に参加し、地域おこし協力隊のアーティスト枠、という形態で活動しているため、ここでは私は「アーティスト」として挨拶をし、振る舞っている。
だから私は「アーティスト」というのが今の役割なのだろう。

ではアーティストは何を作り出すのか。
作品を作るのか。
作品を作るとしても、李禹煥は必要最小限しか作らず、最大限の効果を発揮したりする。もの派というのは「作らずに作る」人たちのこと。作品を否定し、物を「利用」することを否定する。
マルセル・デュシャンの「泉」があって、そっからずーっとかけて「作品」を「作る」っていう概念や定義って、曖昧になって覆されつつあるはずなのだが、一般の人たちの意識はそうはなっていない。


作品ではなくプロジェクトを作るアーティストがいる。
場を作り出すのもアートといえる。


 ”「作品」を「展示」し「鑑賞」する” ことだけが「アート」ではない。

最初からそれだけが「アート」じゃなかったはずだけど、アーティストの役割や活動や定義が徐々に変化して、ようやく今大きな流れになっているんだと思う。


たとえば地域でアーティストが活動し、場や仕組みを作り出したり、人にヒントを与えたり、一工夫で自分の視点は変えられるということを伝えたりしている。
これは作品ではないかもしれない、でもアートではあると思う。

私はアートが何かってうまく言えないけど
最終的には「愛」だとは思ってる。
アーティストはあらゆる形で「愛」を示しているし
プロセスは「愛」で結果は「成就」だと思うし、そこには必ず終焉、「別れ」がある。
維持される仕組みがあっても、いつか形骸化され、空洞化し、生まれ変わってゆく。

私は全人類がアーティストだっていうのを信念に地域に関わってる。


で。
私が「アーティスト」という肩書きで
表現者として、絵描きとして、地域で何ができるのか。何をしたいのか。

私も当然?協力隊のように、ミヤタディレクターのように、場を作ったり、地域に残る仕組みを作らなきゃいけないのか。
作ることをまず目標にして、考えて、やんなきゃいけない。
ああ未知だってビビることも容易いんだけど
つべこべ言わずやってみるぜ アーティストおお! って行動するのも容易い。

どちらも容易い。

でも一度は疑わなきゃと思って疑ってみた。
私が、私がアーティストとしてすべきなのはそれなのか?

そんなこと考えてたら、そもそもアーティストってなんだ。私ってなんだ。っていう話になってきちゃって。


要するに、自分が一番したいこと。夢。そして信念。それを表現することが私の人生なのだろうと思うに至る。
(その内容について説明しないのかよ)

前半に書いてあることって、今生きてるアーティストたちにとっては、「え?何いまさら気付いたの?え」っていうような内容かもしれない。
でも私はほんとに井の中の蛙だった。
だってずっとずっと、美術畑の中で過ごしてきたんだもの。
ともみ美術畑。外の畑も知らないし、畑以外も知らなかった。
殊更アートに関してはともみ美術畑オンリーだったかもしれない。
芸大で揉まれたけど芸大も美術畑だし。
先端はさらに孤立してるし。

アーティストはすごいって思う。
思う。そして私もそういう風に、表現することで、自分を作り変えていきたい。
こんな考え方をしていたら、会社員になんてなれないと思うわ。
なれる会社があったら入りたい。

私って実は働くのが好きなんだ。
お金もらう口実になるから。

けどアートをお金と結びつけられない。
私はそこがまだまだ弱い。社会でアートやるのってほんとにわけわかんなくて難しいよ。


と同時並行で考えなきゃいけないのは、この事業の任期が終わってから、私はどうやってお金を稼いで生きていくのか。


とりあえずできることをコツコツやりながら、どういうことしたいか、アイデア出しして、でコツコツ人と知り合ってく。みたいな。
仕事のやりかたわかんないからさ、いきなりスピード出せないよ。
人と比較してちゃだめなのわかってるけどさ
ミヤタさんのスピードと行動力と企画力みたいなの。みてると血の気がなくなる。

私はこんなことでブレちゃだめだ。自分を信じろ。そう言い聞かせる。

やってみたいことも、できるかわからないことも、できる全てもやり尽くさないと。
泣いて、踏ん張って、助けられながら、歩き続けなきゃ。

私、1人でいることは踏ん張れるんだ。
誰にも執着しないことでようやく自分を律することができるから。
でも私、これからも1人なのかな。
私はパートナーという存在にすごい憧れがある。
漫才コンビとか、ジョンとヨーコとか、建築家の夫婦とか、岡本敏子と太郎とか、クリストとか、日比野さんとこづえさんとか、「目」とか、はるかと瀬尾ちゃんとか、ちょーかまとか(多いな)
なんでずっと一緒にいられるの?この、出会うべくして出会った、出会ったことで色んなことがめくるめく変化を遂げていくドラマみたいな、そういう物語につい憧れてしまうんだなあ。
お互い高め合える、言い合える、向き合える、同じ方向を見ることができる、でもちゃんと自立できる。そんな相手ほしい。
ミヤタさんとじゃ、釣り合いがとれないしね。私じゃ。
一緒に仕事するって、仕事するって、仕事ってさ。距離が近いと凄く大変なことだ私にとっては。でもほしい。気持ちを共にする人。私は誰かを手伝ったり、支えたりしたい。それが支えになって私は良い絵が描ける。
自分にとっても自分以外の視点が欲しい。信頼できる人。


作品も作りたい。色々やりたい。でも色々を全部手を出すことができない。
もどかしい。苦しい。

はっ。パートナーいなくても、同志がいるから、いいのかもと今思った。

2014年8月6日水曜日

李禹煥 & 目 の展覧会へ

常陸太田に帰る直前、10キロ以上ありそうな荷物を背負って展示を見に行ったよ。
私はバックパッカーも、山岳部も、移住を生活するのも難しそうだ・・・
と歩きながら思った。

銀座の資生堂ギャラリーでやっている現代芸術活動チーム「目」の展示「たよりない現実、この世界の在りか」を見てから、広尾のカイカイキキギャラリーで李禹煥の展示を見た。
目は大学の先輩3人で組んだチーム。
これまでは2人組のWah documentと荒神明香さん個人として活動していたのを、とうとうチームにして活動をはじめたようです。
これまでに2度、制作のお手伝いをしたことがあります。

で 展示が 本当に本当に本当に本当に くれいじーだなと思うくらいのクオリティで

鳥肌たった。

感動した。

ほんとに現実がゆらいだ。現実はゆらいでいるんだと感じた。
パラレルワールドかもしれないと思った。

景色を変える。視点を変える。ぐらりと揺らす。ひっくりかえす。
お盆に入った水がひっくりかえってびっちょり濡れているのを目の当たりにさせる。
自分の目がこれまでと違うものを捉え始める。

なんかネタバレしちゃうとまずそうな展示だと聞いてたので資生堂ギャラリーのページにのってるステイトメントも今、今読んだ。
ぐらぐらぐらぐらぐら。
http://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/index.html

インタビュ:http://www.cinra.net/interview/201407-me
これ泣いた。


李禹煥のほうが言葉にできる。


でも目は、言葉にしたくない。と思った。


すごく新しくて、ナウで、そして鼓舞されたりショック受けたり焦ったり泣いたりしてしまう存在。絶句。

なんかキーーンときた。ズーーーンと。眠れないかも。

2014年8月5日火曜日

うわついた月曜日

田舎から東京来ると、人が沢山いて、若い子も沢山いて、びっくりする。
1日3人くらいかっこいい男の人みつける。
1日1回はものすごくモラルの欠けた人と出くわしてイラっとする。

http://youtu.be/OKtV7rwJvOM
この環ROYと鎮座ドープネスすき。めっっっっっっっっっっっちゃ環ROYめっっっっっっっっっっっっっちゃかっこよくてしにそうになる。
うしろでスタンドの動きしてる鎮座ドープネスおもしろい。かわいい。
環ROYと鎮座ドープネスのユニット名が「KAKATO」なのもすっっごく良い。
なぜなら私は高校生の時、カナちゃん、カズヨ、トモミの頭文字をとって「KAKATO」というグループでアニメ作ってたから。
しかもRCサクセションの「きもちE」のPVを作って、入院してる清志郎に送って、サイン入りのカレンダーもらっちゃったりしてすごく良い思い出があるので!
同じチーム名でうれすい。
http://youtu.be/8D3hJUsljU8 おもしろい
http://youtu.be/yO9joVjNyDkこれもだいすき 環ROYはバナナを食べるか歌うかどっちかにしなさいっていうシーンがあって笑っちゃう。

ま、でも夏はこれでしょう。ブイ、エー、シー、エー、ティアイオーエヌ!
http://youtu.be/TXIle6DnZtQ しかも色んなヒップホップの有名な曲のフレーズが入ってて耳心地もよい。
彼らのような服装すき。変な力が入ってないとこが。

生意気な人、歯に衣を着せない人すき。
でもいちばんは、私のこと「見てる」って思える表情の人。
この人わたしの向こうにある自分を見てるんじゃなくて、私に話しかけてくれてる、私の心に語りかけてくれてる、って、わかるんだよね。
相手がこちらを見ているときの瞳と表情に、まじりけのない安堵みたいな、まじりけのないその人らしさとか、なにも防御せずに私と対話してくれてるというのが表れてると、すごくすごくすごく嬉しい。そういう顔見せてくれる人が好き。
てかそれって仲良しってことだよね。だから好きなのも当たり前だよね。
おかしな話ですな。

好きな人たちの共通点考えたらこういう分析結果が出ました。
あたりまえええ、かな。。?


みんな良い表情してたなあ。。大澤さんと中村さんとよしぴーはあまり喋ったことなかったからあんまり顔を見た事がなかったので、じっくり表情と仕草見られて楽しかった。

2014年8月4日月曜日

三越搬入&よしわら俄

原付での移動に慣れてると、久しぶりに自転車乗ったとき皮膚感覚とか重力とかバランスとかがあまりに軽くて、ぷるぷるしちゃうし何故か笑っちゃう。
んー暑い。昨日は暑かった。久しぶりに泳ぎたいなあ。
昨日は三越に作品の搬入したあと、よしわら俄(にわか)とゆう吉原のお祭りのお手伝いをしてきた。
手伝いの人たちも、町のおじさんやおばさんたちも、お馴染みの方々がいっぱい。
久しぶりに吉原さんに会ったら、女らしくなったなと言われた。
吉原さんはずっとずっと若くてかっこいいなあ。74歳とゆう年齢がこんなに若いなんて、今まで知らなかった。

昨日いっぱい褒められて嬉しかったな。
でも鈴の音のおばちゃんにはぽっちゃりしたねって言われた。笑
やっぱそうですよね。
友達が遊びにくると三食しっかり作るしお酒飲むから太るんだよね。
そしてご近所とどんどん仲良くなっちゃって、お呼ばれしてケーキ食べたり、羊羹食べたり、色んなもの出されて食べてばっか。汗

走ろう!
どうせ暑いんだ!汗かきまくろう!

で、昨日のお祭りでは、阿部くんが発明した枝まで食べられる桜色の綿飴(めっちゃかわいい)の売り子をやったり、提灯に絵を描くワークショップの手伝いやった。
提灯行列のチャリンって鳴らす担当もしちゃった。

わたし、サービス精神が旺盛なんだろうな。売り子やるのすごく好きだし、ワークショップで人を観察しながら声かけたり準備したり動き回るの好きだし、あと、人の手伝いするの好きだな。
今まではタダ働きはしなかったけど仕事してるからできるようになった。
いや、空鼠の手伝いは、あれはタダ働きとは言わない。色んなものをいっぱいもらえる。物ももらえるけど心が満たされる。
空鼠に限らず!
好きな人たちの手伝いとかってちょーしあわせだよねー。

あとあの町が好き。まちすきだなー。

はーみんなかわいかったなー。
大澤さんいい顔してたなー。
売り子途中までやって、3時から6時半までワークショップてつだって、提灯行列やって神社に戻ったら、中村さんと匠くんと大澤さんが電気グルーヴかけてニコニコわいわいしながら、でも真剣に綿飴売ってる姿を見て、それがとってもとっても可愛らしくて、素敵だった。

いやー、こんなにハードだとは思わなかった。

打ち上げも楽しかったし、空鼠での二次会もちょー楽しかったなー

切腹ピストルズも最高だった!!!!
かっっっっっっこいいいいいいいやあ


今日のビージーエムは佐野元春と矢野顕子がデュエットしてる「自転車でおいで」


ひやー、外蒸し暑くてびっくり。みんな夏休みだから事故に気をつけて。


あー瀬川康男の絵すばらしいなーー









2014年8月2日土曜日


最近、全然会わない友人が沢山夢に出て来る。
時には言い争ったり、うまくコミュニケーションがとれなかったりするけど毎日思い出してしまう。
元気?とメールしてみようかなと思える。
返事を返していない相手や、メールしなきゃいけない相手もいる。
メールしたい相手もいる。
好きな時にそのメールを書くのだ。それが私の楽しみだ。

どこにも書かない、誰にも話さない秘めたる言葉はおまじないの言葉。
無意識の気持ちにも言葉にできる確かな気持ちにも、神秘は宿ってる。
これは願いじゃなくて祈り。
絵に込める。

mw

ふくらみふたつ、たにふたつ。
人生のようかな。

1:00:01
友達と電話して切った瞬間の表示。

ハートが好き。やまがふたつに、たにひとつ。



「君の一番になりたい そう思ってるけど」

思ってても思ってなくても感情移入できる言葉だなあ。
なぜかな。
そういう欲求もあるっていうことなのかな。

今日選ばなかった選択肢で得られたであろう温もりや感動、学び
選んだ方で得たのは孤独と反省、そして立ち上がる真面目な気持ちかな

実際に歩いている人、実際に営んでいる人、ここにいる全ての人が何かを動かしている。
それを目を瞑って感じ取るとき、ぞわぞわと地面や空気が沸き立ってくる。
そう感じる自分の心が血肉に働きかける。

本を読むか、企画書を書くか、寝るか、描くか。
一番やりたいことを選んでいい幸せを感じよう。

負けたくない。負けたくない。負けたくない。馬鹿にされたくない。
情けないのはいやだ。何もしないのは阿呆だ。

変な絵描いちゃうと、ダメージが残る。絵ってほんとに難しいよ。
イメージと感覚に従って描くから駄目なとこはしっかり現われる。
重いよ・・・重いよ・・・

つらいようう!!

向き合いたい。何かと向き合いたい。どうしたらいいんだ。やりきれない。

仕事するしかない。仕事するしかない。私がすべきことは仕事だけだ。


2014年8月1日金曜日

晴れたり鳴いたり

近所の人たちに大切にされてる。
実家に帰って、荷造りをしたり、シュタイナー展や先輩のアートイベント行ったり、打ち合わせしたり、ごほうびのような花火を見たりした。

帰ってきたら3週間ぶりくらいのひとり。
わけわかんなくなっちまいました。
プレッシャーと惰性ばっかり。
見えないプレッシャーばっかり。
頑張ったひとつひとつが、すぐ消えていってしまう。

今日は昼間ものすごい暑かったのに、夕方は1時間くらいひっきりなしに雷が鳴り続けてて、しかもすぐそばで。家の中は安全っていうけど、家を背負って歩いている人は雷大丈夫なんだろうか。

考えて感じて貫いて、何かを投じなければ。
私は仕事をしているんだ。

ずっと動かない雲みたいなやつは、天の川なんだろうな。
当たり前のようにあるので、ちょっと疑っていたよ。

 今日はあんまり元気ない。

お母さんこのブログ見てるし。

それで昨年からブログ書くのやめてたってことを思い出した。

夏好きなんだけどあせもがひどくて辛いや。
今日はぶつぶつ沢山できてわけわかんなくて目もかゆくて無理だ。

http://youtu.be/bQWxxdGsSSk
http://youtu.be/1d7jsVnKpWc

でも制作する。

辛い時はこんな曲を聴いて。本気出せ。力込めろ。