2019年6月27日木曜日

宇宙人と共同体/内在と超越/隠喩と事実/地平、景色、眺める

岸井大輔さん企画の読書会、2回目。おわって帰宅。
ふわっふわに泡だてた石鹸で顔をあらったし、お風呂入ったし、残り湯で洗濯した。

岸井さんの解説と参加者のたくみくんの読み解きが中心となっている。
おかげで少しずつ内容が明らかになる。 たくみくんは文章を読み解き言葉にする。すごい。
視力に例えるなら、たくみくんは表面をしっかり追えているが、私はおおまかな形と、動きしか見えていない。(■が▲にむかって横移動している、のような)

今日わかったことというか、キラーン!ときたこと。

著者ナンシーが言っている「共同体」っていうのは一般的な感覚とは全然ちがっているので読み解いていかなきゃいけないんだけど、これがだんだん見えてきた。
たとえるなら、それは「宇宙人」のような未知のものなんだ。
宇宙人を信じる人たちにとっては、地球外生命体である宇宙人、宇宙からの来訪者には未来への「期待」が込められている。これまでもいたし、これからもくる、そしてそれを見てみたい、と思っている。
これとおなじ構造が、ナンシーのいう「共同体」に見えてきた。

そのために、ともみはこれまで「UFOみた」とか「宇宙人いるよ、そのへんにいるよ」とか「宇宙人を呼び出す」とか、宇宙人の話全般を聞いているときに「まったく未知のものをなぜ知ったように話すのだろう」とか「まずここ(地球)にあるもので考えなきゃいけないんじゃないか」っていうモヤモヤを抱えていた。わかる気がするのに、なぜ引っかかるんだろう、と思っていた。
このモヤモヤも、本の中でちゃんと解説されてるんですよ。宇宙人信じる人と、信じない人の、この関係も。

ナンシーの本を読み解いていくことで、宇宙人を信じる人の言っていることがやっと「例え話」ではないことに気づいたんだ。
現実を言い換えたり例えたりしているわけじゃなくて、彼らは事実として、宇宙人の話をしてたんだって。
私は事実と隠喩の境界がわかっていなかったんだ、ということにも気づいた。
しかも、ナンシーは宇宙人信じてる人も、本当の意味ではわかってない(モヤモヤしてる)のである。という言い切りをしているの。
ああ、言葉にするのがややこしくなってきた!

宇宙人信じる人、信じない人、どっちも、ちゃんとわかってないんだよ!宇宙人のこと!
そもそもわかってるはずないよね、だって未知なんだもん!そしてこれからは「そもそも宇宙人のことよくわかってないじゃん」ということを受け入れて、かつ、「宇宙人って未知だ」についてを語っていかなきゃいけないんだ、みたいな・・・ヘヘ、こんな説明じゃ絶対むりだあ。
ま、そんな風にどんどん展開していくんだよ。すごいよなあ・・・・。

もちろんもちろん、「宇宙人」は私が勝手に持ち出したもので、ナンシーのいう「共同体」についてを、自分の実感で例えた内容ですよ。

下に原文を抜粋して載せたけど前後の文ないからなんの話かあまりわからないかも。
難しい本だけど、頑張ろう。
形がよく見えずおぼろげでも、この手で触れたいから!

なんかすごく楽になりました。

新しい構造がわかると、それに当てはまるいろんなものが見えてくる。

そしてそして、革命という言葉への強烈なイメージも拭われた。
革命ってかっこいいぜ!と短絡的に思ってた時期もあったけど、最近は「人がたくさん死んでかつ世の中よくなってないものの総称」くらいネガティヴな印象が強かったんだけど。
何かをひっくり返すことによって、たくさんの人が犠牲になったり、そこから新たに弱い立場の人が生まれてしまうことって全然いいことじゃないから。
でも、本を読んでいくと、革命という言葉のいい面が見えてきた。
人が死ぬ=革命じゃない、死なない=革命が見えてきた。

いやーこれ言葉にするの難しいな。

たとえば石鹸なら、いままで泡立たなかったのに泡立てネットのおかげで格段に泡立ちやすくなり肌への刺激が少なくなってモチモチ♪っていうのは洗顔業界のひとつの革命じゃないですか。これは「ひっくり返した」わけではなくて、新たな地平をもたらしてるんだよね。
何かを犠牲にしてのし上がったわけではなくて、違う視点が生じたの。
こういうことが言いたいの!

やっと、革命という言葉に希望を持つことができた。
おかげで「変化すること」の捉え方もすごーーく気楽になった。
仕事のこと、芸術のこと、様々な活動について、「動きはじめること」を躊躇する気持ちや迷いが薄れた。
気楽に一歩、足踏み出せばいいんだ!って気分。

いろんな謎の荷(謎の圧)が下りた。


芸術って、あらゆる地平とつながっているんだね。


●余談

昨晩思考がスパーークして眠れなくなった時に現れた考えの羅列↓
繋がること、なぞること、なぞることは過去の動作とは異なる時間に同一の空間的平行線上で同じ動き方をすること。時間は違うけど同じ動きをする!ってことはどういうことか?シャーマニック!というか追体験?シンクロ!太古とシンクロする方法。
描く行為について、繋がること、なぞること、結ぶこと、の動きの相違点
やはり私は描くことが大事なんだな

●個展のタイトルを考える、を常日頃からやっているが個展の予定はない。
「幻滅」 しか今思い出せない 言葉っておもしろいよね


●最後に

「無為の共同体」原文抜粋↓

彼らはおそらく(少なくとも現在までは)この語を使用するとき、どこからが隠喩(あるいは誇張法)でどこでそれが終わるのかを知り得なかったし、ましてやーー言い換える必要があるならばーー他にどのような比喩やあるいは比喩の抹消が、この「共産主義」という語を用いる時につき纏っていたものにふさわしかったのかを、知るべくもなかったからである。

ジャン・リュック・ナンシー「無為の共同体ー哲学を問い直す分有の思考」
訳:西谷修・安原伸一朗 以文社

2019年6月25日火曜日

展覧会の感想 6月 都現美 横浜美術館

悩みしかないけどそれはカルシウムになる。

私が急いで作った柄谷行人のレジュメはひどいもんですね!
明日は無為の共同体の読書会です。


たびたび美術館に行っています。
展覧会ってしんどい時があるし、感動することもあるし、落胆することもあるんだけど
一貫して「人間の体力」を感じるので、鑑賞自体は好きなほうです。

東京都現代美術館の「100年の編み手たち」

「アートって、不毛・・・だ」と感じた。
展示空間自体は広々してて楽しいので、途中からテンション上がって踊るように絵をみたりした。
触り心地のよいふわふわなスカートで行くのがオススメ。

みんな頑張ってるな…と思ったし、いいアイデアもうまれた。美術館の近くにすみたいとおもった。

でも、この日は、アートって、不毛って思った。
希望って思う時もある。
どっちもある。
自分が展覧会に何を求めているのか、でも変わる。
作家たちの作品が不毛、というより、この展覧会で何かを網羅しようとゆう取り組み自体が不毛、とゆうことかもしれない。


横浜美術館 meet the collection アートと人と、美術館

タイトルが最後に帰ってくる、って感じの素晴らしい展覧会だった。
これでわかった。やはり都現美は展覧会がつまらなかったんだ!

横浜美術館のコレクションのセンス抜群だし、運動会だった。
運動会っていい響きだな!
チームプレー。人間の体の力。学芸員さん素晴らしいと思う。DJ学芸員!
ビューーーティフルワールドだった。

みてくださいよ。この、章立て。素晴らしいですよね。

第Ⅰ部 LIFE:生命のいとなみ

  • Ⅰ- ① こころをうつす ゲスト・アーティスト:束 芋
  • Ⅰ- ② いのちの木 ゲスト・アーティスト:淺井裕介
  • Ⅰ- ③ まなざしの交差
  • Ⅰ- ④ あのとき、ここで

第Ⅱ部 WORLD:世界のかたち

  • Ⅱ- ① イメージをつなぐ ゲスト・アーティスト:今津 景
  • Ⅱ- ② モノからはじめる ゲスト・アーティスト:菅木志雄
  • Ⅱ- ③ ひろがる世界

生命のいとなみ!
いとなみ!
まなざしの交差!?
あのときここで!!
からの世界。

わあっとなりませんか。

この世の中は何でできてると思いますか
一次元、二次元、三次元、四次元という考え方もありますし
科学的な目線もありますし
イメージの世界、現象の世界、あとは仏教なら六道という考え方もあります。
どんなものでもいいけれど、この世っていろんな成分が混ざり合ってできてますよね。
この章立ては、構造と成分表のデザインがわかりやすいって感じです。私にとっては。
街めぐりをする際、山登りの際、いろんなルートがあったりしますね。
いろんな巡り方があるんだけど、このルートでどうぞ!って案内してくれるような感覚です。でもね、ちゃんと抜け道もあったり、玄人にも素人にも楽しめる街巡りなんだな。

世界という認識の前に、命への認識があるって感じがすごいわかる気がしました。



展示の内容に関してですが
浅井祐介さんはすごいと思いました。
めっちゃ壁全体に絵が描いてあるのに、他の作品たちを邪魔していない。
こんな風に融合できるのは何故なんだろうって思った。
浅井さんの表現は、私たちの目に優しいということなのかな。



情報だらけの世の中で私がこのブログを書く意味はなんだろう。
ひとりとひとりがつながる行為だと思っている。

2019年6月11日火曜日

世界史の実験 柄谷行人


読書会に行けなかったので書いたメモを公開。
しかし、まったくレジュメになっておりません。
内容、難しかった〜。読書会に参加できなかったことがとても残念。
なんども読み返す行為ってとても興味深い。



世界史の実験 柄谷行人 岩波書店 レジュメ            19/6/10 林友深作成

レジュメ
第一部
歴史の実験、実験の史学とはなんであるか/柳田を実験の史学に促した要因/柳田と島崎藤村の共通点/柳田国男と平田派神道/国学と古学/山人/日本は神の国/土着の信仰のこと

第二部
山人について/固有信仰/原無縁・山人・原遊動民/原父、超自我、トーテム・・

感想
“実験というのは素養あるものの、計測あり予測ある観察のことである。これには忍耐と、疑いを解こうとする情熱とを要するのである。”

日本は神の国であるという言葉に強い衝撃をうけた。
出来事を見る視点が「自らの視座」ではなく実験者のような目線。
観察者でありながら自然選択の一部になるような視点を持つこと。
土地と先祖という考え方が、なんだか日本らしいと感じた。地震が多い国だから建造物が流される、崩れるという経験が強い。私たちは家ではなく土に還る気持ちが強いかもしれない。景色というものの情報が強い気がする。(よくわからないほんとうに)
時間的差異と空間的差異のことから、水の波紋や花の形状や曼荼羅等の構造を想起した。エネルギーの流れ方。
自然実験という名の観察方法について。観察という行為について。私がもっとも大切にしている行為である。観察とは自我の影響と自然の流れの調和ではないか。調和なのか。超脱なのか。
自分の興味は仏教が80%くらいだと思っていたけど違うかもしれないと思えた。
日本とはなんなのか。

“原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の激しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいたったと思われても、それはまた青々とした芽吹きを見せるのである。日本の人民生活に真に根ざした「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収しつくしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。“


ワードメモ
マルクス資本論に依拠してマルクスを考えた。周縁。/デモクリトス/エピクロス/ヘラクレイトス/スピノザ/内的体系/論理的体系/交換/価値は交換において生じる/命がけの飛躍 salto mortale 神への信仰←→絶望 死に至る病/ヘーゲルの観念論的な哲学/唯物論/弁証法的唯物論/キルケゴール/生産様式から交換様式へ/柳田國男 体系化の難しい多領域の学問/吉本隆明/抽象というものの本質的な意味が生まれない。勘でつなぐ空間的な広がり(無方法の方法)/共同幻想論/数珠玉を集めた本をもとに抽象する/抽象する、/ヘーゲルにもとづく体系的な認識を試みた/モンテーニュ エセー/叙述形式/べつの内的体系 抽象の本質と無縁。抽象が自己完結したとたん、別の相貌をもってあらわれる。/風景の発見 近代思想の鍵/児童 近代につくられた/商品交換をコミュニケーションとして見る/先祖の話/想像ラジオ/山人 原遊動民/国木田独歩/日本近代文学(日清戦争の勝利)の起源と中国近代文学(日清戦争の敗北)の起源が深く連関する/魯迅/周作人/ジャレド・ダイアモンド『歴史は実験できるのか』/柳田國男『実験の史学』/複数のシステムの比較/定点観測の場として世界史を通観/網野善彦/カント/ルソー/憲法9条/世界同時革命/ロシア革命/国際連盟/新渡戸稲造/北村透谷/島の文化史上の意義/日本という島から「人」というものの発達を考えて見ることができる/エスペラント/政治を民俗学から得た認識を通して見ている/柳田「団結を抑制して個人を自由にする」「公民として病み、かつ貧しい」公民の民俗学/1920年代にはありえた「実験」の消滅/島崎藤村/新体詩/平田派神道/国学と古学/敬神/漢意/仏意/憲法/原無縁/武士の話/柳田の山人、網野の原無縁、柄谷の原遊動民が同じものを指している話/死の欲動/自我/超自我/ユーモア/トーテム/タブー/家父長制領域/兵農分離