2014年11月30日日曜日

the water is wide

雨に濡れた朝の紅葉はいつにも増して鮮やかで、美しい。
新しく開けるペンキは絵の具が柔らかく、滑らかな描き心地が程よい。

描いているものと、その場の風景が繋がってることが嬉しい。山を背景に、山を描いていることが嬉しい。
現実とイメージの世界が直接的に、親しげに繋がっている様子は私の創作意欲を余計に鼓舞する。
そして、ここに描いている精霊たちは、水府に住む子供達と繋がっている。
私は目に見えるものと見えないものを編み合わせるシャーマンだ!

最近とくに、繋がること、途切れてしまうことについて想ったり、感じる。

繋がり、途切れ、結び、解き、編み込む…そういったいろんな形の「繋がり方」や「余白」が作り出す絶妙なバランスの文様を、見つめられるようになってきました。

1年前とは生きている次元が違う。




2014年11月24日月曜日

あらためて繋がる

途切れていた何かが、少しだけまた繋がりを取り戻すように、動いた。
それでいい。

私が私を見失ったら、私と私は別々に引き裂かれてしまう。

色んなことが繋がっていくと、それがどんな形で、どんな配置なのかを考えてしまう。
それを絵にしたくなる。
この時の自分の心を全て、画面に打ち明けたくなる。
そしてその深淵を覗き込みたい。
私の謎を教えてもらうために、私は絵を描く。

空は青く、地上は浮いている。


yogee new wavesの歌詞にはよく「アーメン」とか「神」とか出て来る。
なんとなくキリスト教の文化を持った人なのかなと感じるところが多々ある。
私の中でだんだんと、色んな宗教の様々な教えの意味や本質が、全て1つのところで繋がりはじめている。
今までは「キリスト教はあんまり」とか「宗教ってのがな・・」とか思っていたんだけど
「宗教」自体がとても大きな大きな大きな、色んな意味を持つ単語に変わりつつある。

私は全ての事実を受け止めてこれからも受け入れて生きていくだけだ。

昨年から感覚が鋭く開きはじめた。
色んなことがなんとなくわかる。「なんとなくわかる」という感覚に気付くようになった。
感覚が鋭敏であるということはスピリチュアルであるということと同じことなんだ。
本来人は、全部透明で、目に見えないものを見ることができたり感じることができる、時空を越えることができるんだ。

感覚はどうやって開くんだろう。
なんで私は、あの瞬間から開き始めたんだろう。
なんか、自分の生きるべき道にしっかりと切り替わった、という大事な瞬間だったのだろうな。

絵を描く行為は、4万年の「絵画」の歴史をなぞる行為でもある。
洞窟画の時代にタイムスリップしたり、憑依する行為でもある。
学部4年生の時に7メートル×7メートルのベニヤを床に敷いて絵を描いたことがある。
そのときに、そう感じた。
絵を描くという行為そのものの長い長い歴史の中を旅しているという感覚。

そう考えると、あらゆる身体的な動きは、大昔の人々の動きと繋がっている。
その繋がりを作り出す装置がきっと精神なのだろう。
精神世界というのは時空を越えるエレベーター。

私はシャーマンのように絵を描く。
そしてチベット僧の「砂曼荼羅」という修行のように、祈りを込めて絵を描く。

yogee new wavesから感じるキリスト教の雰囲気。
The Inoccence Missionのカバーアルバムに入っている古い民謡?あるいは賛美歌?のような伝統的で宗教的な曲。荘厳な祈りを感じる。そこにもキリスト教の一片を感じる。
これまではそういうのを「自分と違うな」と思っていたけど、今は宗教の違いにとらわれなくなったのでそうは感じない。
大きな意味での「祈り」や人間の本質みたいなものを強く、感じるようになった。
美しいと思う気持ち、好きだという気持ち、むかつく気持ち、色んな気持ちで色んなものと結びついて揺れている。

こうやって心境を吐露するだけでなく、思考を組み立てなければならない。
私の安定した城をいったん築いてみないといけない。
そこから見える風景も描写しなくてはならない。
芸術家だから。

先週、作家のお手伝いで荒川修作の話になり、読んだことあるやつだったけど、本を貸してくれた。
そして、あらためて読み返している。
その作家、弓子さんの息子の名前は「渉」。
とても尊敬している山洋平さんという画家の息子の名前は「ルアプカシ(道を歩く)」。
つい先日子供が生まれた、今もっとも東京で熱い女にして最愛の親友の名前は「歩音」。
最近つい「歩く」ということに気を向けることが多い。
こんなに人を変化させた慧くんは偉大だ。
これからずっと、私は彼の研究者だ。
偉大な人が、生きてそばに存在していることが嬉しい。
偉大な「アーティスト」である以前に偉大な人間味の塊だ。
人間であることを受け入れて、でも、受け入れていない。
それが人間らしさかもしれない。
あがいて、あがいて、あがいているところが、胸を打たれる。
悔しいとかさみしいとか嫉妬とかそういう気持ちではなく、ぐっときたり、感動したり、嬉しくなったり、わくわくしたりする。
なんだかとてものびやかな心持ちになるのだ。
草原にふわりと横たわるような開放感が呼び起こされるのだ。
リラックスしながらも、世界に声を発したくなる感じ。

優れた作家は、作品によって、鑑賞者の全身の神経や器官を目覚めさせる。

ああ、最近いろんなことが辛かった。
疲れていた。
ありがとう、色んな人にありがとう。
感覚が蘇ってきた。
よみがえってきた。

残らない日々

タンタンタン ピアノの音に耳を澄ます。
Somewhere a Star Shines for Everyone. La La La La.... 音に乗せてふるえる美声が骨に響く。

私が救われる瞬間は、言葉を紡ぐ時。自分の言葉が溢れてくると安堵する。
ギターを抱えている時。指で弾いて正しいチューニングで音が重なると、安心する。
絵を描いている時。そこには必ず救いと祈りが含まれているから。

The Innocence Missionのアルバム「now the day is over」を聴いている。
Over the RainbowとかMoon RiverとかEdelWeissが入ってる。なんて素敵な声なんだ。
自分の心の青みがかった闇にロウソクの火が灯る感じがする。
私はBye-LoとNow the Day Is Overという曲がお気に入り。
途中、インストゥメンタルも入る。
Sonata No.8は昔、ピアノでよく弾いていたから好き。

私にとって最も落ち着く、原点の衝動が「会いたい」という気持ち。
「ああ、会いたいな」と誰かを想う時って幸せじゃないかな。

出会い、別れても心に留まるあの人、この人。
軌道がまた交差する相手もいれば、もう二度と会わない人も、いるだろう。
どうであろうと心にふっと現われる。あの人、この人。
嫌なことも良いことも、心は不意に引っ張り出してくる。
感覚が作り出すリズム。私の呼吸。

今はこんなセンチメンタル。

忘れちゃうんだよな。
書き方、喋り方、考え方。
私のリズムを忘れちゃうんだ。
最近、その日その日で精一杯で、夕方になると今日が何日なのか思い出せない。
さっきから今日が何日か全然思い出せなくて、明日の予定から今日の日付を割り出してみたけど、まったく腑に落ちなかった。
どうして11月24日なのだろう。
何がどうしたら11月24日になるのだ。
私の心はいつから止まっているのだろう。

泣きたい。
散歩しながら恋人に電話したい。
恋人いなかった。

人の、優しい声は、ほんとにほんとに、私の想いを、悲しみを、ぎゅっと抱きしめてくれる感覚がして、泣けるよね。
昨日電話で話したお友達にありがとう。
心からのありがとう。
倒れ込んだ私を優しく受け止めてくれたその温もりに心を解いてもらったよ。
どれだけ彼女に元気づけられたか・・・。

この前2人で行った飲み屋がすごく美味しくて、あの日がとても心に残る。
残らない日々で、私をうっとりさせてくれる出来事。
また会ってあの店に行きたい。
会える日を楽しみに待つ、残らない日々。

2014年11月18日火曜日

観念と経験的観測と常識と一般論、言い切れないこと、言い切りたいこと、鋭く 切り込むことで自分の心を乱すこと

予備校時代の恩師である古川弓子さんのアシスタントを微力ながら、かつ短期間ですが、させていただいております。現代美術家として活躍するアクティブでエネルギッシュで美しい弓子さんとお話するのがとても新鮮で楽しいです。絵を描く行為、作家の生き方などは、今の私にとって一番リアルなテーマです。
時間は有限で、しかも止まらない。考え過ぎて思い詰めることもある。それでも日々は流れるので金もかかり、それに伴って働く必要性が生じ、思考をどこにも着地させられぬまま、追い立てられるような生活に息が詰まる。そうしているうち、いつの間にか日常に埋もれそうになることがある。
自分を覆う観念や習慣を「皮膚」と考えるのか、「壁」と考えるのか。それだけで視点がガラリと変わる。いつも何かを選択したり、削ぎ落としたり、判断したり認識したり疑ったり構築したり解体したり回避したりする。疲れる。
言い切りたいけど言い切れない時、自身の寛容性が問われる。


一つの確信をたずさえて、あらゆる可能性の中でもがき続けることが私の人生だ。


2014年11月12日水曜日

愛にまかせ 風にまかせ

本日の仕事が終わったので自分の時間。0時28分。

先日、焼酎飲んだ瞬間に涙ポロポロ流す事件があったばかりなのに、なんと一升瓶の焼酎を頂きました。芳醇で甘く、一滴一滴が食道を熱く焦がしながら胃に駆け下りてゆきます。

寒い。

明日は7時に起きて壁画を描くのだ!

いそがしい!

書くことが思いつきません。
最近すこしナーバスなので。
お。目の前にあるものが全部、澄んだ薄黄緑色だ。
1000札も含め。

yogee new wavesのPARAISOというアルバム聴いてます。
はいはいキスとか離れたくないとか会いたいとかね。
はいはい。
でも
「愛にまかせ 風にまかせ」って歌詞すきだよ。

2014年11月11日火曜日

文字も絵も歌も繋がっている

スーパーからの帰り道、甘そうに黄色いお月様と、真っ黒いシルエットのお山。光と闇のコントラスト。まるで昔話の世界。


最近ブログがかけません!

2014年11月3日月曜日

一年

はじまって溶けてゆく恋も
強がって崩れてく嘘も


今は何かためる時期なのかな。
言葉になる、なり方が違うのかもしれないな。


昨年の12月からどんどん精神世界と現実世界が繋がっていく。
感覚が鋭敏に、豊かになっていく。
契約はまじないだ。
縛りつけることで魔除けにもなるけど、自由になるべき心を深く閉ざし封じ込めることにもなる。

悪魔と契約しないことだな。

移住して一年が経つ。

明日は委嘱状交付式だ。


移住してはじめて行ったイベントは里美のかかし祭りだった。
今年のかかし祭りはお客さんではない。
一年はあっという間だけど、そのあいだになんという沢山の学びがあったのだろう。
三年間で慣れる部分もあるだろう。でも新鮮さを失うことはないだろう。

ふてぶてしさが少し身に付いてしまった。
そういうのはよくない。
でも私はギラギラし過ぎているのでつい鋭く切り込みそうになる。
ごたくは良いのでシンプルにやっていこうよってさ。

人にどのように愛を持つか
底知れぬ愛を感受する気持ちを、しっかり携えよう。
脇に抱えず、懐に抱こう。

人に自分をよく見せようとはしない。
でも、自己プロデュースはしっかり自分で行うこと。
素直でまっすぐであること。