2015年11月29日日曜日

白珪尚可磨(はくけい なお みがく べし)

白珪尚可磨とは、人の言葉はもし一度言い放ってしまうと、いかなる手段をもってしても、もう取り返すことはできない。
という意味と、小成に安んぜず、さらに磨いて向上せよという意味がある。

肝に銘じます。

Everyone has a melancholy.
迫ってきても怖気づかない。
負の気持ちの入った引き出しばかりつい開いてしまったり、帰ってきたら散らばっていたりする。
一掃する。
ブログに良いことを書けなくなっている。
SNSや都市には虚妄が溢れてる。
私の中にも。

でもハートも沢山ある。
だからハートを込めることはできる。
それならば、できる。



2015年11月16日月曜日

曖昧な合間

あわいはそこら中に漂っていて
私の家の中での出来事や物の配置は、外で庭を手入れしたり畑仕事をする人たちの蔵の中の物の配置と、大きさが違うだけで似たところがあるんだろう。
外で鍬を取ったりちりとりで落ち葉を集めたり、色んな作業の音がする。
私は家の中で、絵筆を握ったり食器を洗ったりする。


autumn morning


夜霜と朝露の間
雨と晴れの間
そんなあわいに見る死と再生




人を非難したり、人を区別することはよくない。批判は人にではなく出来事にすべきだと思う。
でも人を嫌いになることはあるし、否定してもしょうがない。
とはいえ、嫌いは好きの裏返しだし、無感情と無関心は異なるものだと思う。

遠くを思う歌が多いのは、それだけ人と人の心には距離があるということだなぁ。

その距離を遠いと見るか近いと見るかでも変わるし、大きく見るか小さく見るか、繋がっていると捉えるか切れていると捉えるかでも変わる。

実際はとても曖昧で目に見えないものばかりが存在する世界だ。