2017年1月4日水曜日

展示はミラクル

自分の作ったものが注目されるなんて、自我としてはウアアアアアアって感じです。
発表するのを当たり前と思って生きてきていれば、こんな違和感はないかもしれない。
私の友人じゃない全く見知らぬ人が観るってなんかモゾモゾする。
自分の匂いを神妙な面持ちで嗅がれたらどうですか?そんな感じ。
でもね、展示を当たり前と思えるくらいやりたい。
注目されるの当たり前って思えるくらい。
何が当たり前か、っていう定義を覆し続けたいから。

自分は何を想って、どうして作品をつくるのだろう。
作品って意識は、「集中」とか「想いを込める」という意識と同義なんだ。
私にとっては、作品を作る= 精神統一 =自我を越える修行 みたいな感じ。
あと、想いを込める = 感謝 = 祈り っていう感覚がある。
表現 = 宿命 だとも思ってる。
作家 = 人生 だし。
字面を見るとおもしろいな。表現は命のお宿。なんて。かわいいね。

だから私にとって作品作ることは高尚でもないし、遊びでもない。
いや、遊び半分、高次元半分、半分ずつ要素は入っているかな。

生きる為に必要なんだ。

では展示はどうだろう。
あれはちょっと恥ずかしい。まだ慣れない。
学校のコンクール展とか、大学の卒業制作とか、アートプロジェクトで、とか、名目があって沢山の人が出る形態だとすんなりできる。エネルギーが分散するからかな。埋もれているって感じで、あったかいな〜ほかほか。みたいな感じか。
やることが当たり前、って空気がある。
でも個展はどうだろう。めっちゃ意味ありげだし、有意義でなきゃいけない感じするし、みんなが私の作品を観るために来る。見知らぬ人が通りがかりできても、私という存在を目の当たりにする。
こわい!恥ずかしい!想像が追いつかない!こわい!恥ずかしい!の連続。

まだ慣れない。常陸太田でやったときは、地域に移住してこんな創作活動していたよっていう成果報告でもあったから、意義や目的が明確だったんで当然のようにやってた。

個展をやったり、テレビで自分の作ったアニメーションが流れたり、そういう機会を今年は増やしていきたいな。そして自分の当たり前がひっくり返されるのを感じたい。

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