2017年5月29日月曜日

言葉が持ち去る感覚

言葉は気持ちを覆う薄い膜みたいなもの。
イラストレーターのパスみたいなもの。
解像度をあげていくと、少しずつズレているのがわかる。
完全にフィットする瞬間は、モンスターボールがクリティカルヒットすることよりももっと神秘的で大波のような気迫がある。

写真を撮りながら、絵を描きながら
いろんな出来事が写真や絵の用語で置き換えられていく。
網膜に「焼き付ける」とか
ピントを合わせるとか

カメラができる前、この「焼き付ける」感覚は、なんと表していたんだろう。


展示でいただいたスパークリングワインをやっと開けた。
美味しかった。
ウィスキーグラスで2杯、もうそれだけで、酔った。
頭が痛くて2時に起きた。
鼻水が止まらない。
日が出てきたので、写真を撮りに行った。

輪廻が真実かはわからない。
だけど、毎日微かに自分の中の何かが死に、それを温床にまた何かが生まれ続けているような気がするんだ。

何度も繰り返し死んでは生まれている私たちが新しい、と言えるのはやはりこの瞬間の命の表情なのだろうか。




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