2014年7月7日月曜日

ベンチに絵を描いたよ








常陸太田の玄関口、最南端の町 上河合町で子供たちとベンチに絵を描いた。
地域を歩いてまわれるように、常陸太田の宝を解説する看板とベンチをそれぞれ各所に設置するっていう取組み。
子供たちがいつも触れている「山」「川」「空」「田んぼ」「通学路」などなどをモチーフに、3グループで3脚ずつ描いた。
当たり前すぎて忘れている自分の住む町の風景、忘れかけてる色んな思い出、そういう外の世界と自分の中の世界の繋がりを行ったり来たりできたんじゃないかな。
そうやって内外がぐるぐるとかきまざって日常ていう時空が成り立っていることを意識するのって面白くて気持ちのスッキリする行為だと思う。

上河合町はとてもいいところ。
水府から金砂郷を通って上河合町へ向かう長い長い一本道はずっと田園風景が広がっている。
5月に植えた苗はもう随分伸びてさわさわ揺れる。
もう1ヶ月以上経つなんて嘘みたい。
あっという間だな。でも6月辛かったから良かったよ。

皆は毎日毎日ちがう顔を見せる、色んな表情を持ってる風景と共に育ってきたんだな。
人の動きじゃなく、自然の動きを見ることのほうが多いんだ。
鳥や虫の鳴き声や風でゆれる木々の音を聴いて、あったかい風や冷たい風が肌に触れて、快晴も豪雨も曇天も圧倒的な大きさの空に目撃するんだ。

自然の中にいると頭のすみっこがいつもくすぐられているようだ。
人の中だと意識的に遮断してる感覚をいつもソワソワさせて停止させないんだ。

都市は生活の場と働く場と遊ぶ場、全部分かれているし境界線だらけ。人の作った仕組みの中に生活が組み込まれている。自然と人がすっと繋がれるような場が少ない。自然は「あー自然だー」と感じるもので、目の前にいつもあるものではない。
都会はほとんどが人工だけど、地方は生活の場と自然の場があって、しかもその2つの場が繋がってる。


私がアーティストとして、その本質だと思うのは「観察」。
観察、解体、構築はアーティストが常に行っている行為だと思う。
あらゆる風景を切り取り、目に見えないあらゆる情報を観察して読み取り、自分の意識の中でそれらを解体し、表現することで構築しなおす。

常陸太田での生活で、色んなことがめまぐるしく変化している。
人は変化するものだけど、常陸太田での変化は私の「生きていく糧」というか、肥料みたいな役割で、特別に感じる。
心が強くなる、豊かになっていく変化だと思う。

内外の境界をせき止めていた観念が壊れ、外界とゆるやかなグラデーションで繋がっていった。
そういう変化が内外のコントラストをより強くして、本質を浮き彫りにしてくれたと感じる。




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