2014年6月3日火曜日

現象と心象を描いて向き合うこと

文章のはじまりで日記のリズムが決まる。

うちはテレビがない。向き合う相手もいない。
茶の間で1人は物悲しくて、自分の部屋で過ごす。
何も観るものがない。でも目の前にパソコンがある。
radikoを聴きながらブログを書くことにした。
ちょっと疲れて心が狭くなっていて。
そういう時こそ言語化して心を整理したくなる。

チャキチャキ、好きなギターの音がしてる。

内容を忘れないように、タイトルに書きたいことをメモする。


はろー ワールド

自分がいつも聴いている曲でも、ラジオから流れると気分が全然違う。
生な感じがするからなのかな。世界中の空中を漂ってる感じがするからなのかな。
音が呼吸してるように感じる。

でもトークタイムに入ったので矢野顕子に変えちゃった。

大寒町。

原付での帰り道は、いつも肌寒い。
真っ暗なのでケモノが飛び出してくるのをおそれてのんびり走る。


このごろ、2人の友達に「根っからの絵描き」って言われた。
ふむ、そうか。自分のことをそう名付けることができるのか。と思った。
根っからの。絵(落書き)描き。
研修とかフォーラムでは落書きしないようにしてるけど、会議とかだと・・・
失礼だけど描いてしまう。

先日慧くんが来てたとき、慧くんの後ろから家を描いた。
これまで家を「生で見て」描くことはほとんどなかったし、大体空想のイメージばかり描いていたので、一手一手加えるたびにいつもと違う神経がぴきぴきと動き出して、色んな記憶をたぐり寄せ、俄然集中力が増し、最後までひたすら新鮮な気持ちで描けた。

私の頭の中で「住居」という存在が、その定義が、その概念が、その現象が、その物質感が、慧くんの活動や存在とも結びつきながら、私の感覚と結びつきながら、目の前の「家」を黒いペンで「描く」ことによってどんどんと流れ、立ち上がり、変化した。

頭の中で起きている出来事、運動と、私の目が家を捉えて右手に預ける出来事、運動が、ピタリとくっついてバランスを取り合っている状態。
目に見えない心象と、目に見える現象が「描く」ことによって結びついている状態。

それが好きなんだよねえ。 空想も好きだし、言語化するのも好き。
運動も好きだし、外の世界の様々なものを愛でたり、観察したり、向き合うことが好き。
そんな自分には「描く」ことはとても心地よい表現手段。

空想、夢想、幻の世界、ともみワールドが頭の中にあって
その世界は確実に外の世界と結びついてて
でもなんとなくいつも垣根があって
私はいつもそこを越えて自由に繋がりたい気持ちがあって

描くことってほんとに面白くて興奮する。


家描くの、楽しかった。
そしてそれ以降、家を見る目が変わった。
完全に、家を三次元的に受け入れるようになった。
なんかこれまではもうすこし二次元に近かった気がするんだ。
ドアあけたら中、ていう程度というか。
窓あけたら庭、ていう当たり前のもの。
屋根、壁、ドア。住むのが普通。いるのが普通。出入りするのが普通。
他人の家はただのかたまり。のっぺらぼうで平ら。

今や、そこに色んなストーリーを感じるようになった。
家は色んな構造や素材の組み合わせで重力に沿ってストンと建っているんだ。
外部も内部も緻密で、1つ1つに目を向けるとこんな表情があるんだって驚く。
種類も沢山あるし。同じ家なんてないし。住んでる人も違う。
別々のストーリーを持ってる。
これは三次元より四次元かなあ??三次元??

お。慧くんと宇宙の本読んでなんじゃこりゃー!てなったのを思い出した。


5月中旬か下旬くらいから、運動公園の休憩スペースの壁に絵を描かせてもらっている。
それも自分の超個人的なイメージの世界ではなく、常陸太田の4地区を描いているのでとても現実的。かわいらしい雰囲気を出しつつ、確実に描写する。それって大変。
辻褄を合わせなきゃいけないから大変なの。

終盤になって、ここは友深のいつもの絵描いていいよ、って言われたので描いてみたら、まじで意味わかんないカオスな空間が出来てしまった。
そこだけで見ると好きなんだけど。意味わかんなすぎて放置した。
明日も放置したい。

しかし久しぶりにめちゃくちゃ自分のイメージで絵を描くと、あらためて自分の脳内ナゾって思うね。
ちょっと異物感。


現象と、心象。
目に見えるものと、目に見えないもの。


観察すること、向き合うこと。

描くこと。愛すること。


考えたり感じたり、ゆっくりしたり、のびのびしたり、深呼吸したり息を止めたり、そんな感じで生きているな。


私、ほっとくとどんどん人の世界から離れてしまいそうな危なっかしい人間なんだけど
ほんとに、いつ死ぬかわかんないなってよく思うんだけどさ・・・

お母さんと姉はいつも心配してるんだろうなー
私も心配だよ、私が

それでもねえ 今がいちばん幸せな気がするよ とてもありがたいんだ

これまではすごく辛かったなあ 全然違う人みたいに思える。
どうしてこんなに変わったんだろう?
同じなんだけどね。ずっと同じなんだけど。
孤独に真っ向勝負を挑んで負けまくってきた。

生きるの大変だ。
星野源の「変わらないまま」聴いてると、そうだなって思う。
わかんないまま生きてる。


制作中聴いていた大滝詠一の「1969年のドラッグレース」で「景色のように 未来は変わる」と言ってるように感じて感激していたけど、実際は「景色だけが変わり 未来は過去になる」だった。
頭の中で解釈してた意味自体は、変わらない。
深い。
でも、時を猛スピードで味わっている、という感覚自体は、非日常かも。


今日の気付き。
あの人がいい。あの子に会いたい。会いたい会いたい
などは
目の前にいる人たちと比較して目の前にいる人たちと向き合えないノイズになることがある。

素直に素朴に目の前の人たちと 心を込めて向き合おう。

遠くの人々は、休み時間に愛でよう。

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