2014年7月17日木曜日

まとめの日

明朝。薄く、空に色味が広がっていく。
梅雨と夏のまじった虫の音がする。
ここに海がなくても、海をつくれる。
それが人の想像力だ。

そういう単純なことに気付く日々。

15日は地域アドバイザーの方が来ていて、アートやアーティストについても、きちんと言語化してくださった。
それはアーティストではないフラットな目線だからこそ、素直に受け入れられる新鮮で感嘆に満ちた言葉だった。
自分の言葉か、ミヤタさんの言葉を借りてしか言語化できなかった世界だったから、別の視座から本質を理解した上で話してくれたので、自分の頭の中の整理ができて、とてもよい機会だった。

12日、13日あたりの記憶がない。
13日はバーベキューをした。
アーティストの支援もしてくださっているNPOの一員であり、水府のこしらえ館で陶芸を教えている陶芸家の方とその生徒さんたちが集まったバーベキュー。
私のバーベキューのイメージって、野菜と肉を焼くものだったけど、秋刀魚をまるごと焼いていたり、イカとかとても豪華で盛りだくさんだった。
皆さんの持ち寄りの一品たちは全部美味しかった。
私の作った茄子の南蛮とインゲン豆の和え物も美味しかった。

そこで、アートってなんなの?現代芸術ってなんなの?という話で盛り上がった。
ここ数ヶ月、常陸太田アーティスト・イン・レジデンスの理念の説明をしているミヤタさんを見てきたし、自分もアートとはなんなのかというのを説明してきた経験がいかされて、またこれまでの活動も少しずつ積み重なってきたお陰で、オドオドしないでテキパキ喋れた。
こういうのもアートなんですよ!とか、今のアートって、壁にかける絵だけじゃないんですよ!みたいなことを話したり、レジデンスっていうのはそもそもはアーティストが一定期間滞在して制作を行ったり展示したりするんですけど、常陸太田での取組みは少し違うんですよ!って話をしたり。
ミヤタさんの見ているビジョンというのはとても明確で、それでいてとっても柔軟で、この人はほんとーに、自身にとっての「アート」というものをしっっかり捉えているんだ。
誰でも持っている「ぶれない軸」の部分と、向き合いきって理解しきって信頼しきって、そこに「自信」や「誇り」や「祈り」まで、まとっているんだ。
ミヤタさんの信じる「アート」には救いがあって、喜びがあって、だから広がるんだ。
なんてすてきな人なんだろうって、これまでよりさらに強く、そしてさらにあたたかく、尊敬してる。

そんでさ。ほんとすごいのはさ、最初は「アートってなんだい?」「え?現代アート!?むずかしいなあ」と言ってた人たちが、最終的に「あー!そうかそうか、これもアートなのだなあ!」っていう気付きを得てるの。

ここからわかることは、ほんとうにアートっていうのは誰の中にもあって、誰の日常の中にもあるんだ、ということだ。
私にとってのアートは超個人的な「自分語り」のようなものだった。
だから説明も難解だし、制作なんてさらに困難だった。
でも自分も、やっと自己の輪から抜け出せてきているみたいだ。

人に伝える言葉選びができるようになってきたんだ。
色んな言葉で気持ちを伝えられるようになってきたんだ。

常陸太田に来て、ミヤタさんに出会って、その2つでどんどんと私の頭は解体され、練り練りされ、様々な変化を遂げてきた。

今が、これまでの期間の総まとめのようなタイミング。

しみじみと自分の変化やぶれない本質について、ほんとしみじみと感じた、それが15日でした。

愛と創造の日々がはじまった。そう確信した。

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