2017年3月17日金曜日

絵画について 表現について 魂の欲する純粋な本質について

(昨年5月の個展のstatement)
 今回の展覧会のステートメントとして、私にとっての絵画について、表現について、私の魂が求める本質について文章に記しました。
 生きることは謎めいています。私はずっとその謎を紐解きたいと考えてきました。真理を求める気持ちが私の絵には表れています。
 もしかしたら、多くの人は「時間」は未来に向かって流れていると考えているかもしれません。しかし実際は、流れているのは「時間」ではなく、「現在」という瞬間なのです。割り切れることなくどこまでも延びる「現在」という瞬間が、常に変化をし続けているだけです。無常でありながら永遠性を帯びた「現在」がどこまでも果てしなく続いているのです。これはオーストラリアの先住民であるアボリジナルの人々の時間感覚と似ています。この発想で絵画について考えてみます。絵画は「静止画」だと思われていますが、私にとって絵画は「動画」です。絵画は時空を切り裂く窓の役割を持っています。彼らは目に見えないエネルギーの間取りのようなものを感じ取る力を持っています。それは彼らの描く絵に表れています。動物の肉体を透かした絵や、先祖の念を読み解いた絵など、視覚としては確認できない世界を描いていることがわかります。
 直接触れることができない内面のイメージや知覚、直接触れることができなくても肉体で感じとることのできる光や現象、そして触れたり見ることができる物質たち。その境界はどこにあるのでしょう。その間を行き交っているのは、あるいは波のように寄せてはかえす漂流者は何者なのでしょう。私はそれを「目に見えないエネルギー」として絵の中で表現してきました。強さ、弱さ、緩やかなもの、静かなもの、尖ったもの、めぐるもの、様々な形で自身の内部から発信されるものを観察し、その行方、成れの果てを見届けることが絵描きとして私に課された使命なのだと思います。
 幼い頃から悟りの境地に達することを願って生きてきました。私にとって自我はほんの些細な現象でしかありません。自信を持つことも自尊心を育むことも本質ではなく、自我の先にある「生きるでも死ぬでもない何か」こそが純粋な本質なのだと感じています。私は自我の先を表現する媒体になりたい。そのために絵を描いています。精神と肉体が一体になり自我を越える瞬間は、時間という観念を突破し、無限のエネルギーとなって意識に力を与えるでしょう。
2016.5.21 fullmoon 林友深

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