でもそう言われても、開き直ってる。メンタル強くなってると感じるところ。
人が、作品をどう見るかで、強調される印象は変化する。
作品を商品として見る人と、作品を自分にいいバイブスを与えてくれる存在だと思って見る人と、作品の展示の仕方や内容から様々な意図や思考の向きを考察する人と、情報が多すぎてどこ見ていいかわからない人と
だから展示の仕方は大事なんだ。
商品みたいと言われたのが悔しいのは、わたしは作品を商品と思いたくないからだと思う。
商品という定義を考える。
商品なんだけど。
言われるとくやしいよね。
そしてそれを言った村上慧くんは多分わたしのメンター。
彼とわたしの共通点と相違点を図にしたら、点対称の回転体が出来上がると思う。
もしかしたらもう1人の自分なんじゃないかなって感じてる。
別に何か名付ける必要なんてないんだ。さとしくんが自分だろうが自分でなかろうがメンターだろうがなんだろうがなんでもいい。
「実はマジで《なんでもいいじゃねえか!》」という世界をツマミに、いっくらでも人間性を変えて視点を変えて、人間をやめたり真人間になってみたり、無限に存在地点を変えながらおしゃべりを楽しめる仲間なんだ。
「実はマジで《なんでもいいじゃねえか!》」という世界をツマミに、いっくらでも人間性を変えて視点を変えて、人間をやめたり真人間になってみたり、無限に存在地点を変えながらおしゃべりを楽しめる仲間なんだ。
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