2017年5月22日月曜日

saisei

昨日女友達に偶然会って、二人ともあまりにピカピカツヤツヤキラキラしてたのでうかれた。
強い言葉が口をついて出る時がある。そういう時の自分は好きじゃない。
みんな笑ってくれるけど、私が言いたいことってそれじゃないのに、って心の底で思う。
日頃からいろんなことを素直に言いまくろう。
強い言葉は弱さの表れだと思う。

学部時代の「いつものメンバー」とも会った。
あらためて考えてみると、みんなの作品の作り方とか、考え方とか、まったく普通じゃないから好きだな。
ものすごく個人的なところが良いんだ。
自分の底から出てくるメッセージを紐解こうとしているように見える。
表面的な真面目さとか、浮き彫りになっている社会問題とかを、根こそぐような個人的感情。個人的意識。
個人的になればなるほど遠くの世界とリンクしていく。

綺麗事のように出来事を整理しない。優しさもほどほど。

CoolとかSmartって、恥や狂気の先にあるものだと思う。
そつなくこなしちゃう先にはなんにもない。
良い子ぶっても悪い子ぶっても良いけど狂気がないと現実に飲まれる。
狂気は心の拠り所になる。
ときどきふんわりした作家を見て、まだ自分の中の魔物と対峙してないんだなって思う。

他人は、自分の思った通りにいかない。
同一化したいと願う気持ちもわかる。
仙ちゃんに悩みを話すといつも「林がんばれよ!」 って言われてた。
私のおもーーい悩みを全部「林がんばれよ」で終わらすっていう遊びでもあった。

真剣に話を聞いてくれることと、アドバイスは別なんだ。
話聞いてくれるだけで良いんだよ。
これが差異性かなって。

自分が思った通りにならないとしょぼんとしがちだけどその差異はとても面白くてクリエイティヴなヒントにあふれていると思う。
みんながウンウンそうだね、ウンウンって答えて優しくアドバイスしてくれて、ウフフ!ウフフ!っていう世界になったら、多分わたしは憤怒して面の皮をはごうとすると思う。
ほんとはそういう世界が理想なのかもしれないけど、いや絶対にちがう。絶対にちがうと私は思う。
なんのために思春期があって、なんのために性欲が爆発する活動期があるのさ。
狂気と恥は、自我の深みと向き合うイニシエーションなんだと思う。





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