2017年6月20日火曜日

良い絵

いい絵 がなんで いい絵なのか

いろんな外界の出来事に影響をうけて、私はこれでよいのか、私もなにかこの出来事に対してアクションを起こさなければ、などと考える時のこの揺動は後ろめたさからなる不安。
その揺動によって自分の中のズレとブレを認識する。
体幹が反応して体内時計が動きだす。
このぐらつきは俗世に生きているから感じるものなんだ。

SNSのおそろしさは自分の気持ちが正しいか、迷っちゃうところ。
自分の気持ちに、生真面目になりすぎちゃうところ。

いい絵、うまい絵、響く絵、違いはあれど
絵や世界と真剣に向き合う人の姿はやはり美しい。
活躍している画家たちは自分にないものをたくさん持っていて羨ましい、でもある。
羨ましい、悔しい この2つはなかなか乗り越えられないんだ。
この気持ちも大切なのだろう。 


世の中とのズレは簡単に捨てたり忘れたりしないほうがいい、じっくり向き合う価値のある感覚だと思う。 


私が自然現象だとするならば、私の意志は自然に生み出される波なんだろう。


波とか、現象のすべてを観察しよう。物とか人とか、何もかもの区別なしに。


そういう風に受け入れて、通る、透明な声を発したいと思っている。

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