に、にせもの?いもむしってこんな大きいっけ?小枝でつん…
ブルル!!
わっ、生きてる!!(しかもいきがいい)
てくてく
さらに大きいバッタ ピョーン
おわぁ!
すかさず、
ちいさなgo気bring ))))))))
それは勇歩する虫たちと、人間の姉妹の帰路が重なった夜更けのこと。
別の日、帰り道にまたあのバッタに出会う。道のど真ん中に堂々と鎮座している。「さすが、この道の王者」と思った。
「真ん中、危なくないかな。小枝でつついたほうがいいかな。いや、でも、それは王者のプライドに関わるか」
そして今日の昼、道の真ん中で潰れている大きなバッタを見つけた。
王者は死んだ。多分、よく通るピザ屋のバイクかな。悲しかった。申し訳ない気持ちになった。
バッタは人間に比べたらとても小さかった。
地面を見つめて歩き出したら足元にちいさなカマキリを発見。
生まれてちょっと経ったくらいのカマキリ!小さいカマキリ!
青々としたフレッシュなカマキリ。まるでその辺に生えてる草みたいに眩しい夏の色。
そのまま駅に向かいながら、コンクリートの塀の隙間にトカゲを見つけた。
シマシマの胴体が顔を出してる。
うちの庭のトカゲみたいに逃げない。冷たくて気持ち良いのかな。隠れてるつもりなのかな。
そしたらまたすぐ塀の穴にトカゲ。
2匹とも、逃げない。なんかラッキー!
毎日、なんらかの生き物たちが現れる。人間や人工物以外の動くもの。
成長するもの。生まれ変わるもの。
移ろいゆくもの。
そういうものたちに出会えると嬉しくなる。
私は芸能人に全然気づかないタイプなんだけど、最近よく気づく。会う。
りゅうちぇる、水トアナ、MEGUMI、若旦那……
そして一瞬で忘れる。
絵を描いてると、覚えていることと覚えていないことの「意識の深度」の差がとてもよく、わかる。
何度も会う人、大好きな風景、網膜に焼き付けた印象はいつだってみずみずしく心に蘇る。自然に溢れる。
愛を込めて描くことができる。
もはや、食べなくても美味しいと思える。
匂いだけでも、噛み噛みすると深い味がしみ出してくる。
これがtelepathyか。sympathyか。psychokinesisかもしれない。
一度出会ったら、会わない間にも関わり続けることができる。
会ってもさみしい。会わなくてもさみしい。
会ったら嬉しい。会わなくても楽しい。
虚と実の関係。
ぽっかりと穴のあいた、容れ物。
中空、人間。
ぽっかりと穴のあいた、容れ物。
中空、人間。
水滴が落ちてしまえば、水滴が消えてしまっても波紋は広がり続けるように、虚は実る。
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