2019年7月29日月曜日

誤解をおそれない

芸術家がすき

最近まで学校の先生などをしていたせいか、むかし他人の噂話ばかりを気にして苦しんだせいか、自分がどう思われるかばかり気にして、かつ先生っていう役割がやだなあ〜なんて思っていたせいか色々と自己矛盾があり、不安があり、そして退屈さとやるせなさがあった気がします。
自分でありたいのに、自分ってなんだかよくわからなくなっちゃってたり
自分自分っていうエネルギーもなかったというか
先生にも芸術家にもうまくなりきれないモヤモヤした感じでした。

唯一、心が安らかになるのは、小さいお子さんと絵を描いているとき。
なんて素晴らしいんだろうって気持ちになれた。
4歳くらいの子たち、小学生もとっても楽しい。
こういうことがしたいなあって感じでした。

作品制作や予備校の授業は荷が重く感じられた。
そんな日々でしたが。

変わってきたぞ。
ひとつまえの文章にも書きましたが。


もういっかい言おう、芸術家がすき。

オリジナルという言葉

絵と言葉
絵本はその二つで構成されているが
そもそも絵の中には言語が隠されている
言語、鑑賞者が意味を認識できる仕掛けが絵に含まれている。
ドクロから死を想起するなど。
単純にいえばそういうこと。

今はイメージと言語の関係って、どうなっているんだろう?
なんとなく、ネタ的になっているものもあるだろうし複雑になっていたりもするかな。
バンクシーはものすごいクリティカルだね。

イメージと言語について。
よく考えてみよう。

授業案を考えているうちに22歳の頃につくった教育実習課題を思い出したんです。
それで、その内容を詳しく思い出そうとデータを掘っていくうちに、こんな時間です。

そもそも授業案を考えることへの取り組み方が、なんかね、がらっと変わった、というか、戻ったというか、自分の軸に着地した感触があったんです。
そこからふと、昔つくったはじめての授業案というものを思いだしたのです。
それと、今回のテーマが全く同じだったので、ではそれを今どう作ろうかと考え始めてですね。
この時間です。

もう頭がぼやけて何も考えられません。

自分のオリジナルじゃなきゃ楽しくないということがわかったんです。
それで、歯車が回り出したんです。




2019年7月24日水曜日

消し去れ!トラウマ!いいやそれはむずかしい

地球の絵を描いた。

電車の中で本を読むときは、電気グルーヴを聴く。


私、自分の方向性が全然わからない。
よどんだり停滞したり、何かしらの動きをしているなあって見てるだけ。

読書会が面白い。
正直ぜんぜん読めないんだけど、読もうとすること、何度も繰り返し読むうちに言葉が文章になってくること、語り出すことが感じられるようになってくる。


ともだちから白魔術と黒魔術の話を聞く。村上春樹のアンダーグラウンドに書いてあったことらしい。
小説は別の世界へ読者を誘うが、必ず現実の世界に戻してあげなければならないと。
白魔術でなければならないと。

この世には、内と外、内在と超越、さまざまな線や輪郭があり、界層がある。
現実の世界に戻れなくなる、というのは、どういうことなのだろうと考えてみる。

私にとって、夢の中、病気の時の視界の暗さ、これが非現実と言われるものなのか?とも思うし、
夢から覚めた時、下痢が治ったときのクリア過ぎる現実こそ非現実にも思えたりする。


世界は入れ替わっているんじゃないだろうか。


絵を描くことなんて意味ないんだ。

風船が浮いている絵だろうと、クッキーをかじったシルエットの絵だろうと。

全部目に見えないものの話なんだ。

意味わかんないけど、これは自動筆記なので許してください。

絵ってへんだ。フィードバックがある。

トラウマの話。憲法9条は柄谷行人に言わせると、日本の神経症なんだそう。
改憲が問題になっているが、例えばだけど、9条を守るかわりに日本人が全滅したら。
それはとても変な話でしょう。
9条は日本の抱えるトラウマの痕跡なので、それをなくそうとするとトラウマが爆発する可能性もある。
トラウマを乗り越えようとしてトラウマが爆発する、トラウマに触れないようにして全て失う、もし両方の可能性があるとしたら、私たちはどうすればよいのだろうか。

この話が言いたいことは、文明がトラウマを持つことはあり得るのかという話であり、トラウマを解消することはとても難しいことだが、乗り越えることはできるのだろうかという議論なのだ。

そういう考え方をしていくと、守りたい気持ちも、変えたい気持ちもわかってくるということです。

自分にもトラウマがあるからね。

ところで9条という大きな問題をものすごい軽い感じで、しかもよく吟味もしていない言葉で書いちゃってすみません。
でも、考えてみたかったんだ。

2019年7月17日水曜日

もりのきでんしゃの歌ができました!感謝(驚)

もりのきでんしゃの歌を、出版社のみなさんがつくってくださいましたよ♪
てれび絵本みたいだ〜
歌は編集さん。歌詞は社の代表。そして作曲は編集さんの旦那さん。もりのきでんしゃの仲間がちょっとずつ広がっていくと嬉しいです。
いろんな励ましや意見が、次作の原動力になります。
「みんなで幸せになる絵本」と掲げられた以上、「幸せってなんだ?」を考えていきますよ🔥
作詞 松崎義行
作曲 川口卓也
編曲 川口卓也・菅原新治
歌  Mitsuyo
「もりのきでんしゃ」
作・ナカオマサトシ 絵・はやしともみ
もりのきでんしゃ書籍ページ
http://poempiece.com/books/2387
動画はユーチューブで♪
https://youtu.be/CDOgibJbtuY





2019年7月13日土曜日

軌道

運命に任せるとか、乗るとか、変えるとか、
どれに当たるのかはわからないけど
軌道が見えた気がした。
人生のいろんなタイミングの、選択肢が一つ彗星みたいに。

私はいままで本当に全ての可能性に対して不安を持っていたんだ。
まず遠距離恋愛についてでしょ
子どもほしいほしくないというか希望が持てないとか
仕事、生活、恋愛、色々あるけどそもそもなんでいきているんだとかね
うだうだ

それを切り裂く「直感」と「素直な心」を与えてもらいました。

運命を乗り越えるのか、受け入れるのか
どちらでもないような気がするけど
どっちを選んだとしても人生なんだな。

心配かけてしまってすみません。
助かりました。

2019年6月27日木曜日

宇宙人と共同体/内在と超越/隠喩と事実/地平、景色、眺める

岸井大輔さん企画の読書会、2回目。おわって帰宅。
ふわっふわに泡だてた石鹸で顔をあらったし、お風呂入ったし、残り湯で洗濯した。

岸井さんの解説と参加者のたくみくんの読み解きが中心となっている。
おかげで少しずつ内容が明らかになる。 たくみくんは文章を読み解き言葉にする。すごい。
視力に例えるなら、たくみくんは表面をしっかり追えているが、私はおおまかな形と、動きしか見えていない。(■が▲にむかって横移動している、のような)

今日わかったことというか、キラーン!ときたこと。

著者ナンシーが言っている「共同体」っていうのは一般的な感覚とは全然ちがっているので読み解いていかなきゃいけないんだけど、これがだんだん見えてきた。
たとえるなら、それは「宇宙人」のような未知のものなんだ。
宇宙人を信じる人たちにとっては、地球外生命体である宇宙人、宇宙からの来訪者には未来への「期待」が込められている。これまでもいたし、これからもくる、そしてそれを見てみたい、と思っている。
これとおなじ構造が、ナンシーのいう「共同体」に見えてきた。

そのために、ともみはこれまで「UFOみた」とか「宇宙人いるよ、そのへんにいるよ」とか「宇宙人を呼び出す」とか、宇宙人の話全般を聞いているときに「まったく未知のものをなぜ知ったように話すのだろう」とか「まずここ(地球)にあるもので考えなきゃいけないんじゃないか」っていうモヤモヤを抱えていた。わかる気がするのに、なぜ引っかかるんだろう、と思っていた。
このモヤモヤも、本の中でちゃんと解説されてるんですよ。宇宙人信じる人と、信じない人の、この関係も。

ナンシーの本を読み解いていくことで、宇宙人を信じる人の言っていることがやっと「例え話」ではないことに気づいたんだ。
現実を言い換えたり例えたりしているわけじゃなくて、彼らは事実として、宇宙人の話をしてたんだって。
私は事実と隠喩の境界がわかっていなかったんだ、ということにも気づいた。
しかも、ナンシーは宇宙人信じてる人も、本当の意味ではわかってない(モヤモヤしてる)のである。という言い切りをしているの。
ああ、言葉にするのがややこしくなってきた!

宇宙人信じる人、信じない人、どっちも、ちゃんとわかってないんだよ!宇宙人のこと!
そもそもわかってるはずないよね、だって未知なんだもん!そしてこれからは「そもそも宇宙人のことよくわかってないじゃん」ということを受け入れて、かつ、「宇宙人って未知だ」についてを語っていかなきゃいけないんだ、みたいな・・・ヘヘ、こんな説明じゃ絶対むりだあ。
ま、そんな風にどんどん展開していくんだよ。すごいよなあ・・・・。

もちろんもちろん、「宇宙人」は私が勝手に持ち出したもので、ナンシーのいう「共同体」についてを、自分の実感で例えた内容ですよ。

下に原文を抜粋して載せたけど前後の文ないからなんの話かあまりわからないかも。
難しい本だけど、頑張ろう。
形がよく見えずおぼろげでも、この手で触れたいから!

なんかすごく楽になりました。

新しい構造がわかると、それに当てはまるいろんなものが見えてくる。

そしてそして、革命という言葉への強烈なイメージも拭われた。
革命ってかっこいいぜ!と短絡的に思ってた時期もあったけど、最近は「人がたくさん死んでかつ世の中よくなってないものの総称」くらいネガティヴな印象が強かったんだけど。
何かをひっくり返すことによって、たくさんの人が犠牲になったり、そこから新たに弱い立場の人が生まれてしまうことって全然いいことじゃないから。
でも、本を読んでいくと、革命という言葉のいい面が見えてきた。
人が死ぬ=革命じゃない、死なない=革命が見えてきた。

いやーこれ言葉にするの難しいな。

たとえば石鹸なら、いままで泡立たなかったのに泡立てネットのおかげで格段に泡立ちやすくなり肌への刺激が少なくなってモチモチ♪っていうのは洗顔業界のひとつの革命じゃないですか。これは「ひっくり返した」わけではなくて、新たな地平をもたらしてるんだよね。
何かを犠牲にしてのし上がったわけではなくて、違う視点が生じたの。
こういうことが言いたいの!

やっと、革命という言葉に希望を持つことができた。
おかげで「変化すること」の捉え方もすごーーく気楽になった。
仕事のこと、芸術のこと、様々な活動について、「動きはじめること」を躊躇する気持ちや迷いが薄れた。
気楽に一歩、足踏み出せばいいんだ!って気分。

いろんな謎の荷(謎の圧)が下りた。


芸術って、あらゆる地平とつながっているんだね。


●余談

昨晩思考がスパーークして眠れなくなった時に現れた考えの羅列↓
繋がること、なぞること、なぞることは過去の動作とは異なる時間に同一の空間的平行線上で同じ動き方をすること。時間は違うけど同じ動きをする!ってことはどういうことか?シャーマニック!というか追体験?シンクロ!太古とシンクロする方法。
描く行為について、繋がること、なぞること、結ぶこと、の動きの相違点
やはり私は描くことが大事なんだな

●個展のタイトルを考える、を常日頃からやっているが個展の予定はない。
「幻滅」 しか今思い出せない 言葉っておもしろいよね


●最後に

「無為の共同体」原文抜粋↓

彼らはおそらく(少なくとも現在までは)この語を使用するとき、どこからが隠喩(あるいは誇張法)でどこでそれが終わるのかを知り得なかったし、ましてやーー言い換える必要があるならばーー他にどのような比喩やあるいは比喩の抹消が、この「共産主義」という語を用いる時につき纏っていたものにふさわしかったのかを、知るべくもなかったからである。

ジャン・リュック・ナンシー「無為の共同体ー哲学を問い直す分有の思考」
訳:西谷修・安原伸一朗 以文社

2019年6月25日火曜日

展覧会の感想 6月 都現美 横浜美術館

悩みしかないけどそれはカルシウムになる。

私が急いで作った柄谷行人のレジュメはひどいもんですね!
明日は無為の共同体の読書会です。


たびたび美術館に行っています。
展覧会ってしんどい時があるし、感動することもあるし、落胆することもあるんだけど
一貫して「人間の体力」を感じるので、鑑賞自体は好きなほうです。

東京都現代美術館の「100年の編み手たち」

「アートって、不毛・・・だ」と感じた。
展示空間自体は広々してて楽しいので、途中からテンション上がって踊るように絵をみたりした。
触り心地のよいふわふわなスカートで行くのがオススメ。

みんな頑張ってるな…と思ったし、いいアイデアもうまれた。美術館の近くにすみたいとおもった。

でも、この日は、アートって、不毛って思った。
希望って思う時もある。
どっちもある。
自分が展覧会に何を求めているのか、でも変わる。
作家たちの作品が不毛、というより、この展覧会で何かを網羅しようとゆう取り組み自体が不毛、とゆうことかもしれない。


横浜美術館 meet the collection アートと人と、美術館

タイトルが最後に帰ってくる、って感じの素晴らしい展覧会だった。
これでわかった。やはり都現美は展覧会がつまらなかったんだ!

横浜美術館のコレクションのセンス抜群だし、運動会だった。
運動会っていい響きだな!
チームプレー。人間の体の力。学芸員さん素晴らしいと思う。DJ学芸員!
ビューーーティフルワールドだった。

みてくださいよ。この、章立て。素晴らしいですよね。

第Ⅰ部 LIFE:生命のいとなみ

  • Ⅰ- ① こころをうつす ゲスト・アーティスト:束 芋
  • Ⅰ- ② いのちの木 ゲスト・アーティスト:淺井裕介
  • Ⅰ- ③ まなざしの交差
  • Ⅰ- ④ あのとき、ここで

第Ⅱ部 WORLD:世界のかたち

  • Ⅱ- ① イメージをつなぐ ゲスト・アーティスト:今津 景
  • Ⅱ- ② モノからはじめる ゲスト・アーティスト:菅木志雄
  • Ⅱ- ③ ひろがる世界

生命のいとなみ!
いとなみ!
まなざしの交差!?
あのときここで!!
からの世界。

わあっとなりませんか。

この世の中は何でできてると思いますか
一次元、二次元、三次元、四次元という考え方もありますし
科学的な目線もありますし
イメージの世界、現象の世界、あとは仏教なら六道という考え方もあります。
どんなものでもいいけれど、この世っていろんな成分が混ざり合ってできてますよね。
この章立ては、構造と成分表のデザインがわかりやすいって感じです。私にとっては。
街めぐりをする際、山登りの際、いろんなルートがあったりしますね。
いろんな巡り方があるんだけど、このルートでどうぞ!って案内してくれるような感覚です。でもね、ちゃんと抜け道もあったり、玄人にも素人にも楽しめる街巡りなんだな。

世界という認識の前に、命への認識があるって感じがすごいわかる気がしました。



展示の内容に関してですが
浅井祐介さんはすごいと思いました。
めっちゃ壁全体に絵が描いてあるのに、他の作品たちを邪魔していない。
こんな風に融合できるのは何故なんだろうって思った。
浅井さんの表現は、私たちの目に優しいということなのかな。



情報だらけの世の中で私がこのブログを書く意味はなんだろう。
ひとりとひとりがつながる行為だと思っている。

2019年6月11日火曜日

世界史の実験 柄谷行人


読書会に行けなかったので書いたメモを公開。
しかし、まったくレジュメになっておりません。
内容、難しかった〜。読書会に参加できなかったことがとても残念。
なんども読み返す行為ってとても興味深い。



世界史の実験 柄谷行人 岩波書店 レジュメ            19/6/10 林友深作成

レジュメ
第一部
歴史の実験、実験の史学とはなんであるか/柳田を実験の史学に促した要因/柳田と島崎藤村の共通点/柳田国男と平田派神道/国学と古学/山人/日本は神の国/土着の信仰のこと

第二部
山人について/固有信仰/原無縁・山人・原遊動民/原父、超自我、トーテム・・

感想
“実験というのは素養あるものの、計測あり予測ある観察のことである。これには忍耐と、疑いを解こうとする情熱とを要するのである。”

日本は神の国であるという言葉に強い衝撃をうけた。
出来事を見る視点が「自らの視座」ではなく実験者のような目線。
観察者でありながら自然選択の一部になるような視点を持つこと。
土地と先祖という考え方が、なんだか日本らしいと感じた。地震が多い国だから建造物が流される、崩れるという経験が強い。私たちは家ではなく土に還る気持ちが強いかもしれない。景色というものの情報が強い気がする。(よくわからないほんとうに)
時間的差異と空間的差異のことから、水の波紋や花の形状や曼荼羅等の構造を想起した。エネルギーの流れ方。
自然実験という名の観察方法について。観察という行為について。私がもっとも大切にしている行為である。観察とは自我の影響と自然の流れの調和ではないか。調和なのか。超脱なのか。
自分の興味は仏教が80%くらいだと思っていたけど違うかもしれないと思えた。
日本とはなんなのか。

“原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の激しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいたったと思われても、それはまた青々とした芽吹きを見せるのである。日本の人民生活に真に根ざした「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収しつくしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。“


ワードメモ
マルクス資本論に依拠してマルクスを考えた。周縁。/デモクリトス/エピクロス/ヘラクレイトス/スピノザ/内的体系/論理的体系/交換/価値は交換において生じる/命がけの飛躍 salto mortale 神への信仰←→絶望 死に至る病/ヘーゲルの観念論的な哲学/唯物論/弁証法的唯物論/キルケゴール/生産様式から交換様式へ/柳田國男 体系化の難しい多領域の学問/吉本隆明/抽象というものの本質的な意味が生まれない。勘でつなぐ空間的な広がり(無方法の方法)/共同幻想論/数珠玉を集めた本をもとに抽象する/抽象する、/ヘーゲルにもとづく体系的な認識を試みた/モンテーニュ エセー/叙述形式/べつの内的体系 抽象の本質と無縁。抽象が自己完結したとたん、別の相貌をもってあらわれる。/風景の発見 近代思想の鍵/児童 近代につくられた/商品交換をコミュニケーションとして見る/先祖の話/想像ラジオ/山人 原遊動民/国木田独歩/日本近代文学(日清戦争の勝利)の起源と中国近代文学(日清戦争の敗北)の起源が深く連関する/魯迅/周作人/ジャレド・ダイアモンド『歴史は実験できるのか』/柳田國男『実験の史学』/複数のシステムの比較/定点観測の場として世界史を通観/網野善彦/カント/ルソー/憲法9条/世界同時革命/ロシア革命/国際連盟/新渡戸稲造/北村透谷/島の文化史上の意義/日本という島から「人」というものの発達を考えて見ることができる/エスペラント/政治を民俗学から得た認識を通して見ている/柳田「団結を抑制して個人を自由にする」「公民として病み、かつ貧しい」公民の民俗学/1920年代にはありえた「実験」の消滅/島崎藤村/新体詩/平田派神道/国学と古学/敬神/漢意/仏意/憲法/原無縁/武士の話/柳田の山人、網野の原無縁、柄谷の原遊動民が同じものを指している話/死の欲動/自我/超自我/ユーモア/トーテム/タブー/家父長制領域/兵農分離

2019年5月29日水曜日

直感を鋭く磨き上げよう



こんな絵(1枚目)ばっか描いてきたけど、絵本はいろんな絵を勉強させてくれる。そうだ。絵本を描こう。
私が大事にしていることは、直感を鋭く磨き上げることだ。
宗教の話も政治の話も、どうしてか敬遠されがちだ。
オウム真理教やあさま山荘事件のせいかもしれないが、なぜ嫌悪するのか、無自覚な人もいる。
アーティストは社会に迎合してはいけないと思う。
美術を学んだものが、この社会にまつわる様々な要素にたいして、こわいと敬遠してよいのだろうか。
宗教とか、政治とか、アートとか、隣人とか。
私にとっては、これまで所属した全ての場所が、社会に出てもずっと自分を鋭く磨き続ける体力と、希望と覚悟を学んだ場所だった。
だから自分の仕事場でも、絵本でも、人間関係でも、今の家族に対しても未来の家族に対しても、そうしたい。と思います。その熱意で。
あらゆる人に出会うが、バカとか賢いとかよりも熱い魂に惹かれる。
ところが、実はみんな闘魂がある。
みんな好きってことになってしまう。
きっと本来そうなのだ。
そうならないのは歪んでいるからなのだ。
自我がすごいからなのだ。
自分も他人も傾いていて、おもしろい。
そうだ、私が絵を描いた絵本。(2枚目の画像)

amazonでも買えますが、私から直接買うと、似顔絵でんしゃ&サインがもらえます。もし似顔絵描いてほしい人は私と会いましょう!笑

そしてアマゾンのレビューをお願いします。
私が描いたとは思えぬ、王道の絵本です。2〜4歳の子にとくにおすすめです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4434259792/

更新すすまぬ 読みすすめる

韻を踏んでいそうであんまり踏んでいない言葉を連ねて 行列だ 更新だ わくわくのはじまり弾けるクラッカー 弾けだす

クラムボンの、ライブ会場と限定販売店でしか買えないアルバム3種
そうするっきゃないよね 高いけど 買ってもらうのが一番だよね
届かない、川を散歩しながら追いかける 駆け抜ける

スラップスティックな恋
人生もそうだ
ラッシュライフ!

宗教 どこでもよいじゃないか

日々こつこつと調べ 索引を貯め 積みを減らし 眼を育てるのだ

クラムボンのアルバム視聴して思う
いいアルバムじゃないかってさ。
ライブ行ってみたい。

ブログの更新がなかなかすすまない。母が読んでいると思うとね。
アーティストは包み隠さずだ。
この人には見せられない、というのはなしだ。

恋人が寝転びながら笑う声を思い出し (んふふってやつ)
いづれ遠くへ旅立ってしまうことを先回りして名残惜しんだり
いない間は勉強頑張るもんねって思ったりね

本を読んで知らないことをたくさん知ったり考えたりするとどうしても恋人に話したくなってしまう
だからそんな風に  先回りをするのね

大事なことってなんだと思いますか?

私は直感を鋭く磨き上げることだと思います。
柄谷行人の本を今読んでいるのですが、論理的に体系づけられているそれ自体ではなく、内的体系を見究める、というようなことが書いてあって
それってつまりは直感による知覚あってのものだと思ったんですよね。
書いてあることから別の世界を見出すということは。

予備校は大学のためにあるんじゃない。腐った社会をコンポストで醸すためにあるんだ。
善悪でも優劣でもない自分と他人の水平線を上下左右に揺さぶりながら観察するんだ
講師だけど31歳だけどなんかそんな感じがしない自分と、年を重ねたせいか劣化しむくんだ部分をマッサージ
腰を鍛えていく

ブログも更新して 本も読みすすめていく

継続だ

2019年4月28日日曜日

絵本「もりのきでんしゃ」発売


「もりのきでんしゃ」
作 ナカオマサトシ
え はやしともみ
出版社 みらいパブリッシング

なんと、絵本が出版に!
シュポポポン!

絵本の購入はこちら

カピバラノートのご縁で出会った出版社さんからご紹介いただきました。
たくさんの人に届きますようにって思います。
なぜかというと
あったか〜〜い、なんか目にきらきらくる絵本だからです。
とても読み心地がよいです。
絵としては、登場人物の表情が最大の魅力だと思っています。

amazonのレビューをぜひよろしくお願いします!!

続編描きたいぞ〜

EGO-WRAPPIN' timeless tree

なんとMV制作に参加しました。
後半部分の作画・色ぬりを担当しています。

はじめて名前がクレジットされました。

みなさんみてね!

direction:最後の手段+はやしともみ
produce:平山純一

EGO-WRAPPIN' timeless tree 

感無量です。言葉にならん!!!!

 

2019年3月21日木曜日

わたしせんせいじゃない

ヨッス!オラともみ!
3年くらい前から先生なる仕事をいろいろチョロチョロしていましたが
3月いっぱいでとりあえず、しめます。
学校以外では今後も先生をやっていきますが
学校勤めは終わりです。

先生ってなんだ!?ゲシュタルト崩壊が起きています。
そして、自分が何者かもよくわからんです。
絵ってこれまで私にとっちゃあなんだったんだっけ?
どこに帰属するんだっけ?
帰属しなくていいんだけどね。
ツマリハデスネ
どこにも帰らず旅に立ちたいんだ。

愛している宇宙をなぞりがき。
音色をなぞりがき。
色っぽい手をなぞりがき。

村上慧のウェブサイト久しぶりにみたらめっちゃ更新されてた〜
会いたいけどなかなか会えないものね。
好きな友人も同志と思える作家も心の中ではずっと繋がっていてまったくさみしくない。
ただ、声を聞いたり話したりしたい時はある。
自分は、1年で美しくなれただろうか。

わからない。

自分ってなんなんだろう。

なんかいつも美しくないな〜って感じちゃうけどね
ポジティヴに感じたいな〜

とりあえずね、先生の仕事が終わるからブログ復活であります。
大丈夫、なにか鼻から吸引したりはしません。
花の香りは吸引します!

春だねえ

2018年9月2日日曜日

詩集「カピバラノート」 発売

9月13日、私が絵を担当した詩集が発売されます。
amazonのサイトはこちら〜。
amazon カピバラノート
1404円(税込)

高校からの友人、杉山悟の自費出版本です。
杉山くんの詩の楽しみ方は、音読だと思います。
声に出してみると面白いよ。

5月くらいから描き始めて、1ヶ月くらいで全部の絵を描きました。
全ページにイラストと詩が入っている、超豪華な本です。

カラーページが16ページ。
モノクロページは墨のシリーズとカピバラのかわいいイラストシリーズとあります。
フォント、色、目次もみどころのひとつ。めちゃ遊んでますよ。

帯にもこだわりがあります。お手にとってからの、お楽しみ!!


出版社、ポエムピースさんに感謝!!



2018年8月29日水曜日

thank you

感謝しかないでしょう。
敵はいないでしょう。
過去いろんな人に出会ったことを後悔してどうするの?
私はそれぞれに感謝している。

今目の前にいるその人を、そのままに愛することができなくて
それは一体誰か1人でも幸せにできるのか?

自分自身のことも


2018年8月20日月曜日

南画を研究しなくては。

グアァ

考えるのをやめなければ、元気がでる。

2018年7月24日火曜日

術と道について

絵を描くことは自分に暗示をかけたり、呪縛から解いたり、まさに「術(じゅつ)」としてあるのだと思った。

もう子供のように泣かないけれど
泣きそうな気持ちで、すがるような思いで、しっとりと画面を濡らしていく。

滲んだり沈んだり凝固したり混ざりあったりする紙の上、空気の中
それを見る。


私が付き合った人はなぜみな私の知り合いと付き合うのだろう。
なんとなく、最後は私がのけものにされてしまう感じがして悲しい気もする。

最近恋がから騒ぎしてないな。
もちろん、いい意味で。

悲しくも辛くもない苦しくもない暑いだけの日々。

目的のない絵に慰みを求める。
価値のない絵に慰みを求める。
そこで術をかけたい。術からとかれたい。
術から逃げ出したい。術を手に入れたい。

同じ言葉に別の意味がある。それはとても自然なことだ。
言葉の中にも、植物の種のような側面がある。
完全な栄養を持っていて、それは栄養として完璧だ。
いつ芽がでるかは環境による。
芽が育っていくと、そこからは枯れて種に戻っていくことを悟ることができる。

なんか、これからは、誰かの誕生日には自分が買ったこともない絵の具を贈りたい。


私は術を持ち合わせていない。
慰みでもなんでもいいから、私は画面と向き合わなければならない。

メモをとり
本を読み
絵を描く

それで私の人生はうまく回る

道は絵と似ている。
描かないと生まれない筆跡ということだ。

2018年7月17日火曜日

home coming

文章を書こうとするとき、絵が心の中を踊り始める。

らら〜ら〜ららら〜

夏は暑すぎる。だけど暑いからこそ夏は夏なのだ。
心よ静かに穏やかであれ。
雑に向き合おうとするくらいなら、思い切り背を向けて駆け出せ。

どうしても納得ができないことを一つスッキリさせられた。


原付のエンジンを1年ぶりにかけた。
キックスターターでガンガンキックした。
すごくスッキリした。
廃車申告書を見つけて、区役所で転入届を出そうと思ったのに見つからない。
がーーーん
ああ常陸太田に再発行に行かねばならぬというのか。
こういうことは早めにやっておくべきですよね。
なぜないのだ。

ああ

最近まわりで転職、退職、休職が相次いでいる。
星のめぐり的に、そういう時期なのだろうか。
皆にとってよい門出になりますように。
いや、きっとそうだ。
もしたとえ今立っている場所がどろどろの沼地であっても、
一歩踏み出していることで何もかもが今までとは違う。
祝福をたくさん、たくさんたくさんたくさん、贈ることはできないだろうか。

祈るだけではだめ。


「被災地」というひとくくりの中に、どれだけの人生があるだろう。

簡易トイレとツナ缶と水、マスク、防寒着
用意しておいて損することはない

エアコンもない。乾いた砂ぼこり、菌、泥、直射日光。
親しい人を亡くしても、生きるためにやらなければならないことでいっぱい。

いろんな情報をみて、できることを考えたけど、日本赤十字に義援金を送ることにした。


私は静かで穏やかな時間をドブに捨てて、イライラしている。
こわいからだ。
いろんなことが、こわいからだ。
私が今うたいたいことを歌えたらいいのだけど
ギターを弾いてみよう。

2018年7月5日木曜日

林的満月をすぎて

親しい人が国をつくるのが夢なのだと言っていた。
国とはなんなのだろう。
いろんな人がいろんな考えと言葉を持っているけど、国という表現はとても新鮮だ。
そしてめちゃ規模が大きい。
その話の続きを聞くのが楽しみである。


私がやるべきこと

徳島の方への作品制作にとりかかる(シヴァナンダヨガをはじめて瞑想を深める)
依頼されたデザイン作り2点
タブローへの取り組み


私は空回りと不安を繰り返す。
それを持ち直すために、瞑想が必要だ。
瞑想は、かならずしもヨガによって得られるものではない。
ヨガ が与えてくれるものではない。
なにもかも全て、入口でしかない。何も与えてなどくれない。
与えるのも見つけるのも決めるのも動くのも、全部自分だ。
そして自分というものがいかに曖昧な境界線上を漂うぼんやりとしたものかを思い知る。

全て入口だ。裏側も、現れた瞬間に表面に反転する。
それを繰り返している。
だから、どちらか、という分け方はできない。
無意味だ。

言葉すら無力だ。
私の言葉もずっと空転している。
声を出さなくちゃ。
サザンオールスターズの秘密のデートを弾き語らないと持ち直せない。

今自分がどこにいるかわからない。


直感に従うことが要だ。

それで大丈夫。

なんだかこわい。あまりに空回っていて、なんか苦しい。
絵を描く時だ。

女性は毎日生きることは変化ばかりなんだ。
変化ばかりなんだよ。ずっとずっと。

生理のことで悩みのない人は一人もいない。
ありとあらゆる痛みとありとあらゆる苦悩とありとあらゆる弊害がある。
それは私の偏見ではないはずだ。
まじ大変だなと毎月思っている。

あ、今生理なのかな、と読んだ人は思うかもしれないけど違う。
違っても違わなくてもどちらでもいいのに、違いますからって言いたくなるこの感じ、すごく自分でもいやだ。

林的満月というのは、叫びたくなる日のことを言う。
それがホルモンのバランス的にどのような地点なのかはよくわからないけど、様々な波が複合的に私を形成している。ということを常々感じるのが女性という生き物なのだ。

世界の表面に浮かんでいる、目に見えるものは全て入口

やっぱり夏は山下達郎でしょ!

私の制作部屋は夏でもクーラーいらず。

気づいたことがある。作品をコンスタントに作り続ける言い訳はなんだろうと。
そういうことからしか考えられないのは悪い癖ではあるかもしれないね。
でも私はここをスッキリさせていきたい。
この永遠の問いのようなものを毎回ちゃんと取り決めていきたい。
安心の約束。

言語化していくことも繰り返すことだね。
こういうところから、いろんな自然の成り立ちを現代語訳できる。

作品は入口なのだ。
作家は入口を作っているのだと思う。
決して、道を作っているわけではない気がする。
道というのはそれぞれの心の中にあるもの、というか、生起するものなのではないか。


道が目に見えないものだとしたら
そもそも道とはなんなのだろう。
よく歩くところ、ていうことかな。
よく踏みしめるところ、ていうことなのか。
道というものについても考えなくちゃいけないけど
道がそれぞれの中に生起するものだとしたら、私の目の前に広がっている世界の表面は、全て入口でしかないんじゃないか。

世界の表面は全て入口なのではないか。


作品を窓という言い方もできる。静止画とか、世界の一部を切り取ったものとか、そういうものじゃないと思う。
それぞれが覗き込んで、踏み込んでいく最初のきっかけが作品、入口で、世界の表面。
その中は可能性が無限にある。目に見えない繋がりで大きな空間が広がっている。
では、道とはそれぞれの歩みそのものなのか。

歩むことと同時にしか、道は存在しえないのだ。


私は入口をつくる人なのだ。
いろんなところに人を放り投げていく。そういう存在なのだ。
あいだを取り持つ人なのだ。
与えもせず、求めもせず、放り投げるために、絵を描こう。

絵を描くこと自体は目的も意義もない。
ただ、もし人に見てもらう意義を見出すとしたら、それはたくさんの人を放り投げるためなのだ。
入口に立たせて、その中に放り投げたい。
それぞれの歩みに踏み込んでいくきっかけになりたい。

ような気がする。


言葉にした瞬間になんか空回りしていく感じもある。
考えながら話すと空回りする。