2020年7月16日木曜日

これを読んでいるなら私はあなたの味方

どういう形かわからないけどここにたどり着いた人へ
私はあなたの味方であると思います

あなたと話さなくてもそれが伝わりますように。


最近自分の心が外、内、双方のある一定の角度へ、まっすぐに差し込んでいる。
親友というか、心の友というか。。そういう存在が一人いるだけで、急に色んな方向によい影響があることってありませんか?
逆も然りだと思いますが。

1つの出来事、人物、影響をきっかけに広がる大きな考察や直感。

人の恋の話を聞くと、なるほどと新鮮さを感じるし
そもそもその人の考えや心の動きを聞くと、なるほどと新鮮さを感じる。。

なるほどと、新鮮さを感じる。


今自分は一人だと感じている人がいるとしたら
もしかしたら奥底で私とつながっているかも、と思ってくれていい


このブログを読んでいるならば
きっとつながっているから 

自分の人生は大丈夫だと思ってほしい。

7/7

死は、神様が与えた「担保」なんじゃないか。

死を感じる時、亡くなった人に触れようとしている


その子の家の最寄駅で水を2本買い、献杯した。
屋形船と花火の絵が書いてあるやつ。
船に乗り換えて、私のいるところからは旅立ってしまったけど
もしかしたら、同じ花火を見ているかもしれない。


私は何かしてあげられなかっただろうかという思いと
ほんとうに気持ちを汲むなら、よくやったって言ってあげたい
でも、その中心にあるのは苦しさ、痛みだったよね
心の奥まであたたかく救われる経験は毎日できるものじゃない
晴れなくても、曇りでも雨でも命は育まれるものだ。
いきることと死ぬこと 両方を育てる
だから両方とも 互いを担保しあって、助け合っているように感じた


さみしいな

触れたいな

後悔するのは自分のためにならないからしない
だけど、すごくすごく大切な人
ありがとう
よくやった
ほんとうに偉かった
よく生きた
よく笑った
苦しいこともちゃんと友達に教えてくれた
へんな虚勢を張らずに
自分のために動いたこともとても偉い

家族の身になったらこんなことは言えない
だけど、

本当に、なんの役にも立てなくてごめん
さみしくて、辛かったね
偉かったよ
ほんと






7/8

死は神が与えた「担保」なんじゃないかと思う

やる気うしなっちゃったらあんま夜更かしした意味ないんだ
明日は明日でがんばるんだ
やることあるんだ

私の言葉は万人に見せるものじゃないから

2020年6月16日火曜日

言葉が通じない、言ってることがわからない、これが私の人生の半分って気がしてきたぜ
気持ちがのっている記憶って、変形しやすいよ。
熱で変形しちゃうのかな。

経験で強度を増していこう

あ からはじまる色々

甘え
抗う
愛してる

いないいない、ば

打ち返す、投げる、打ち返す、投げる

疑い



美味しいつけ麺

甘えたくない
抗いきれない
安心の声に耳をすませたい

いない、いない

打ち返して、投げて、落として、拾って、ぐきってなって、投げ返して、暴投して、鬱
また、立ち上がって、打つ

endless

美味しいラーメン



つづきもあいだもない世界には
つづきとあいだの余白がある



2020年5月26日火曜日

草に水

楽しい時間を自分の中に抱きしめて、こっそりと楽しむ感覚。

似ているのは、
昼間に寝転んだ布団の感触とか、
自分とぬいぐるみが育んできた時間と匂いの交わりとか。

嬉しいなって気持ちと、新鮮さと、感動と、居心地のよさと、懐かしさと、ありがたさ。
今までめっちゃ窮屈だったものがほどけたよ。
ありがとう。

1月からの私のキーワードは秘密、かくすこと、心の中にしまっておくこと、言葉にできないものをしっかりと受け止めること。
最近はなんでもかんでも出来事をぺらぺら喋って消費しちゃわずに、よく噛んでよく噛んで噛み締めて、幸せ〜な気持ちをいろんな感覚器官で味わって、最終的に絵に込めていくことが人生なのだ。

秘密が必要だ。余韻が必要だ。
余白の中に自分だけの核心が隠れているんだ。

夜中の楽しいひとときは、自分たちだけが知ってる秘密の花園みたいな感じだった。

家にこもって一人で散歩して家族とだけ話をして絵を描いて仕事を時々ちょっとだけしている時間は自分がいつもどんなことを感じているのかをひとつひとつ思い出したり、確かめる機会になっていた。

自分しかいないから、単なる自分の気持ちというよりも、他者が一切ない空間における私、たったひとりの私の気持ちっていう感じ。
今日はそこから展開があった。
その気持ち、人肌の温度、心地みたいなもの、自分だけで感じていた肌感覚が人に伝わっていくのを味わったんのだ。


たくさんの人に共有される言葉をつい疑ったり抗ったりしたくなる。
言葉の上べで繋がろうとしても本当には繋がれない。
つながったのは、自分にとってはなんだったろう?

私は友達の愛情を素直に感じとり、嬉しくなった。
自分の気持ちを伝えるとか伝えなきゃとか伝わってるかな、じゃなくて、伝わっているものが伝わっているなっていう肌感覚。
なんともいえないバランスの時間を穏やかに享受した。

友達と話すのが新鮮。
絵を描きながら喋るのが最高。
新しい出会い。
人が描いている絵をみるのが好きなのね。
感性がにじみでる人間性も好きなのね。
素直さ、純粋さ、優しさ、熱さがなんかにじみでちゃう人って魅力的なの。
ていうかものすごいみんな魅力的だなって思ったし
そう思えた自分も、閉じてないじゃん、よかったって思った

なんだかこれ人に見られると恥ずかしいかも

絵を描くことも好きだし友達も好きだ
友達と超いい時間をすごせてハッピーだ

どんどんおばかになってきたぞ
多分さっきまでクラムボン聴いてたけど今無音だからだ

誰かの横槍で壊されるものにしたくないから、あえてペラペラ人に話したくないなって私は思う。
でもブログにはかく。
これは緊急事態だからこそ噛み締められるのかもしれないし、書き残したいのだ。
stay homeとかいうのもあれなんですけどね。みんなと同じ言葉使いたくないっていう。


私は自粛生活で得たものが確かにあるな。


ちなみに今日は記念日なのだ。

夜更かしの林 3:33

いい絵は「描く」ものじゃなくて「なる」ものなのかもしれないぞ


いつもの夜更かしとは違う夜

遠足みたいだな

パレットと汚れた水とかぴかぴのグレープフルーツと濡れた筆が目の前にあって
絵が机に立てかけてある

林小林林小林
最後は林小林林
林林小林
小林林林

友達と喋りながらいっしょに絵描いた
もうねむくてなんもかけないけど
高校生の頃ってクラスメイト全員絵を描く人だったよなって思い出して
絵を描く人に囲まれて一緒に絵を描く状況っていうのは私の懐かしい情景の1つなんだなって原体験の1つなのかなって思い出したよ。
嬉しいなこんな純粋にお絵かきして互いの絵を慶びあって

こんなに素直に話せたのはだいぶ久しぶりだ
なんでかってのは わかってるけど頭が動かないので夢の中で

嬉しい変化を書き留めて次また同じところでつまづいても歩けるようにしときたいな

楽しいな〜〜

優しいな〜〜

あずさちゃんはいつもこういうのを楽しんでたのね。これはリア充と言って間違いない!

2020年5月6日水曜日

5.6 雷

人の考えたアイデア(課題)を享受することって結局自分と他人のズレを認識する機会なんだなって思った。そういう意味でクリエイティヴな面はある。
授業をうける機会も減ったけど。

人から人への伝達っていろんな形があって興味深いな。
授業とか。会話とか。作品とか。読書とか。


学問研究とか、勉強とは、またちょっと違う軸の話。

違和感を拾い上げる

世の中でよいとされているものに惑わされない感覚を持つと、おのずと自分らしさが浮きがってくる。

子供の頃に体験した
ロウでバラのキャンドルを作ろうとか、起き上がり小法師を作ろうとか、楽しいワークショップのあとの充実感とわくわく感と、そして違和感を思い出す
できあがったものに納得できない感覚、完成に到達できてない感覚
そりゃそうなんだ。ワークショップで出会う素材と向き合う時間は短いし。

いろんなことを教わっても自分の作品じゃないという感覚
自分が作り出したものなんだけど、先生のように洗練されていないし、なんかイメージと違って物足りない感覚
この感覚を1回きりで終わらせてはいけないのだと思った。
ここからのステップのほうが、より一層豊かなワークショップが待っているんじゃないかと思う。

だから、自分が講座なり授業なり、単発の企画なりをやるときは、「先生と一緒に作ってみた」の「その先」を用意したいなと思った。
これは、お膳立てをするということではなくて
「やってみた」からの展開を作家は想像することができるだろう、という気概のこと。
「わたしがつくったんだ」という実感へと近づくための、企画の想像力のこと

作家がすべきことは1回だけの楽しいイベントなのだろうか。
これは連続していくべきなんじゃないか。
作家の観察眼で、生徒のモチベーションや主体性と向かい合い、別の次元に一緒に歩み出すことができた瞬間の楽しさは最上のもの。
なんか、思ったのとは違うけど、これは大変なことだね笑
とか、本人も笑っちゃう楽しい世界
二人で一緒に歩む世界

自分なりに、作家としての企画との向き合い方を考え直してみる。

2020年5月5日火曜日

kotoba wo nokosu syoudou

日記を書くことで定着する記憶、忘れてしまっても外部に記録する装置になる日記

言語化することには様々なあり方がある
わかりやすく説明するためのもの
目に見えない感覚を省みて検証するためのもの
思いを言葉として刻みつけることによってより強く心に定着させるためのもの
誰かに心のうちをさらけ出すためのもの

言葉は嘘になってしまうことも、高まってしまうことも、縛り付けられることもある

私は何かを積極的に肯定しながら、省察の余地を残すために言語化を試みる

絵を描くことは何を意味するのだろう
絵を描くときにはまた、いろんなテンションがあって
最初は違うんだけど、途中からどこか懐かしい獣道を駆け回るような感覚に戻っていく


意味は社会的なものになってもいいし、個人的なものでもいいと思う
意味自体に意味があったらそれはもしかしたら意味じゃないかもしれない

湖の波紋が地面にたどり着いた途端に消えるとは限らないんじゃないか

これを読んで、私はこのときの自分を思い出すだろうか?
多分思い出さない。

ほこりっぽくて敬遠していた作業場を使い始めて2週間か3週間になる。
暇だから毎日絵を描くことができる。
何かに急かされることのない時間がものすごい癒しだ、そして活力だ。
活力だけど、怠惰だ。ごろごろと、めきめきが、ともにある。
どちらかではなくて、両方ある日々。
いいのかわるいのかまじめに考えるとだめな気がしてしまうけど
今はこれが私にとって支えになっているし、喜びになっている

好きな絵を描くこと
好きな絵
好きっていう気持ち
描きたいっていう気持ち
他人にうける、うけないじゃなくて、のめりこむ感覚。


久々に長居している作業場の本棚から、そういえばこれなんだっけと手にとったファイルには映画のチラシがファイリングされていて
お母さんとよく映画を観ていたことを思い出した。

お母さんだって、映画が好きだったのだ。

今のうち、母とたくさん映画を観たいな。

2020年4月22日水曜日

4/19

1/24に北京から帰国してかれこれ3ヶ月弱、張り詰めてたものが限界に達した。
今や月に10時間もない、勤務時間。
すくねえすくねえ。そのうちの2時間がすぐあとに控えていた。
うおおん、うおおんってむせび泣いて、すぐあとにリモートで仕事。
生徒の活動を聴きながら、今できることをそれぞれの想像力で実現しようとする姿勢に鼓舞された。
相手に伝える言葉が全部自分に帰ってきた。



ものすごいスッキリして、体がポカポカしてきた。

探り探りzoomやslackを生徒との間で活用していく中、小学生時代家が遠い友達とFAXを使ってお手紙交換していたことや、小学生の時にフリーのゲームをダウンロードして製作者に感想のメールをしたところから始まった年上のメル友のことや、心が孤立してインターネット上で知り合った人に支えてもらったことや、実は対面ではないやりとりの中で絆を築いていったいろんな出来事を思い出していった。

考えてみたら、デジタルも度を超えるとものすごいアナログに戻るんだなと思った。
光の速さで遠くの人と交信することで、野生的な直感を取り戻すようなこともある。

姉におねだりして貰ったホームスター クラシックで星を眺めながら寝るのが楽しい。
めちゃくちゃ自転車で爆走したあとだと、寝つきが良いので嬉しい。
散歩しすぎで筋肉でふくらはぎが太くなり、ずっとコタツの中で過ごしてたら太ももがぱんぱんに太くなった。

筋肉つけて体引き締めて軽やかなボディーを手に入れたい。
色んなことに気づけて、よかった。
特に、自分の未熟さと向き合えてよかった。

おしまい。

2020年4月4日土曜日

絵描いてる時って、普段と違って心に向き合うよね。
聴診器で心臓の音聴いてるみたいな感じかなって思う。
そして自分の心と対話する。だから、今何がしんどいかちょっとわかる。
そして心が少しずつ開く。
この気持ち、わかりません!?
沈む時こそ、意味のない落書き続けないとなーと思った。

3/25〜4/3

1週間が長くて短くて濃くて薄い。
朝起きるたびに、ニュースを見、現実がよくわからなくなる。
外はぽかぽかしていて、花がいい匂いで、トカゲがパササ、パササと走ってる。

命についてものすごく悩ましく思う日中と、自分の声に励まされるバスタイム。
虚ろな夜明け。オルテガの大衆の反逆をポッケに差し込んで週に一度だけ、電車に乗る。

2020年3月25日水曜日

ウィルス自粛:暇のこと仕事のこと

COVID-19の影響で土日月火水木休みの林です。
固定の仕事は金曜の3時間だけ。
派遣の仕事は応募したのに返事がなく。
月10万円の損失です。
そうはいっても、授業準備、Tシャツのデザイン、 絵本販促準備、新企画のアイデア出しなどいろんな形で仕事、やることが散らばっている自宅待機です。

暇だから本を読んだり、アニメーションを作ったり、プレゼントを作ったり、20kmひたすら歩いたり、いつもと違う体の使い方をしています。
絶望する時間ももちろんあります。
現実逃避にはいい面も、悪い面も、どちらもある。

私は大体いつも、いい面も悪い面もあるっていいます。どっちもあるに決まってる。
それは救いじゃないですか。

逆に、それが転じて、福となすことだってあるよね。

仕事をするときっていつも現実に追われて 仕事する。
その場の手札で最善の策を練ることもある。

でも今は、現実から離れたところから仕事に向かうことができる。

よい仕事ができる気がする

今読んでる本:中国の神話 白川静 中公文庫(水濡れ)




2019年7月29日月曜日

誤解をおそれない

芸術家がすき

最近まで学校の先生などをしていたせいか、むかし他人の噂話ばかりを気にして苦しんだせいか、自分がどう思われるかばかり気にして、かつ先生っていう役割がやだなあ〜なんて思っていたせいか色々と自己矛盾があり、不安があり、そして退屈さとやるせなさがあった気がします。
自分でありたいのに、自分ってなんだかよくわからなくなっちゃってたり
自分自分っていうエネルギーもなかったというか
先生にも芸術家にもうまくなりきれないモヤモヤした感じでした。

唯一、心が安らかになるのは、小さいお子さんと絵を描いているとき。
なんて素晴らしいんだろうって気持ちになれた。
4歳くらいの子たち、小学生もとっても楽しい。
こういうことがしたいなあって感じでした。

作品制作や予備校の授業は荷が重く感じられた。
そんな日々でしたが。

変わってきたぞ。
ひとつまえの文章にも書きましたが。


もういっかい言おう、芸術家がすき。

オリジナルという言葉

絵と言葉
絵本はその二つで構成されているが
そもそも絵の中には言語が隠されている
言語、鑑賞者が意味を認識できる仕掛けが絵に含まれている。
ドクロから死を想起するなど。
単純にいえばそういうこと。

今はイメージと言語の関係って、どうなっているんだろう?
なんとなく、ネタ的になっているものもあるだろうし複雑になっていたりもするかな。
バンクシーはものすごいクリティカルだね。

イメージと言語について。
よく考えてみよう。

授業案を考えているうちに22歳の頃につくった教育実習課題を思い出したんです。
それで、その内容を詳しく思い出そうとデータを掘っていくうちに、こんな時間です。

そもそも授業案を考えることへの取り組み方が、なんかね、がらっと変わった、というか、戻ったというか、自分の軸に着地した感触があったんです。
そこからふと、昔つくったはじめての授業案というものを思いだしたのです。
それと、今回のテーマが全く同じだったので、ではそれを今どう作ろうかと考え始めてですね。
この時間です。

もう頭がぼやけて何も考えられません。

自分のオリジナルじゃなきゃ楽しくないということがわかったんです。
それで、歯車が回り出したんです。




2019年7月24日水曜日

消し去れ!トラウマ!いいやそれはむずかしい

地球の絵を描いた。

電車の中で本を読むときは、電気グルーヴを聴く。


私、自分の方向性が全然わからない。
よどんだり停滞したり、何かしらの動きをしているなあって見てるだけ。

読書会が面白い。
正直ぜんぜん読めないんだけど、読もうとすること、何度も繰り返し読むうちに言葉が文章になってくること、語り出すことが感じられるようになってくる。


ともだちから白魔術と黒魔術の話を聞く。村上春樹のアンダーグラウンドに書いてあったことらしい。
小説は別の世界へ読者を誘うが、必ず現実の世界に戻してあげなければならないと。
白魔術でなければならないと。

この世には、内と外、内在と超越、さまざまな線や輪郭があり、界層がある。
現実の世界に戻れなくなる、というのは、どういうことなのだろうと考えてみる。

私にとって、夢の中、病気の時の視界の暗さ、これが非現実と言われるものなのか?とも思うし、
夢から覚めた時、下痢が治ったときのクリア過ぎる現実こそ非現実にも思えたりする。


世界は入れ替わっているんじゃないだろうか。


絵を描くことなんて意味ないんだ。

風船が浮いている絵だろうと、クッキーをかじったシルエットの絵だろうと。

全部目に見えないものの話なんだ。

意味わかんないけど、これは自動筆記なので許してください。

絵ってへんだ。フィードバックがある。

トラウマの話。憲法9条は柄谷行人に言わせると、日本の神経症なんだそう。
改憲が問題になっているが、例えばだけど、9条を守るかわりに日本人が全滅したら。
それはとても変な話でしょう。
9条は日本の抱えるトラウマの痕跡なので、それをなくそうとするとトラウマが爆発する可能性もある。
トラウマを乗り越えようとしてトラウマが爆発する、トラウマに触れないようにして全て失う、もし両方の可能性があるとしたら、私たちはどうすればよいのだろうか。

この話が言いたいことは、文明がトラウマを持つことはあり得るのかという話であり、トラウマを解消することはとても難しいことだが、乗り越えることはできるのだろうかという議論なのだ。

そういう考え方をしていくと、守りたい気持ちも、変えたい気持ちもわかってくるということです。

自分にもトラウマがあるからね。

ところで9条という大きな問題をものすごい軽い感じで、しかもよく吟味もしていない言葉で書いちゃってすみません。
でも、考えてみたかったんだ。

2019年7月17日水曜日

もりのきでんしゃの歌ができました!感謝(驚)

もりのきでんしゃの歌を、出版社のみなさんがつくってくださいましたよ♪
てれび絵本みたいだ〜
歌は編集さん。歌詞は社の代表。そして作曲は編集さんの旦那さん。もりのきでんしゃの仲間がちょっとずつ広がっていくと嬉しいです。
いろんな励ましや意見が、次作の原動力になります。
「みんなで幸せになる絵本」と掲げられた以上、「幸せってなんだ?」を考えていきますよ🔥
作詞 松崎義行
作曲 川口卓也
編曲 川口卓也・菅原新治
歌  Mitsuyo
「もりのきでんしゃ」
作・ナカオマサトシ 絵・はやしともみ
もりのきでんしゃ書籍ページ
http://poempiece.com/books/2387
動画はユーチューブで♪
https://youtu.be/CDOgibJbtuY





2019年7月13日土曜日

軌道

運命に任せるとか、乗るとか、変えるとか、
どれに当たるのかはわからないけど
軌道が見えた気がした。
人生のいろんなタイミングの、選択肢が一つ彗星みたいに。

私はいままで本当に全ての可能性に対して不安を持っていたんだ。
まず遠距離恋愛についてでしょ
子どもほしいほしくないというか希望が持てないとか
仕事、生活、恋愛、色々あるけどそもそもなんでいきているんだとかね
うだうだ

それを切り裂く「直感」と「素直な心」を与えてもらいました。

運命を乗り越えるのか、受け入れるのか
どちらでもないような気がするけど
どっちを選んだとしても人生なんだな。

心配かけてしまってすみません。
助かりました。

2019年6月27日木曜日

宇宙人と共同体/内在と超越/隠喩と事実/地平、景色、眺める

岸井大輔さん企画の読書会、2回目。おわって帰宅。
ふわっふわに泡だてた石鹸で顔をあらったし、お風呂入ったし、残り湯で洗濯した。

岸井さんの解説と参加者のたくみくんの読み解きが中心となっている。
おかげで少しずつ内容が明らかになる。 たくみくんは文章を読み解き言葉にする。すごい。
視力に例えるなら、たくみくんは表面をしっかり追えているが、私はおおまかな形と、動きしか見えていない。(■が▲にむかって横移動している、のような)

今日わかったことというか、キラーン!ときたこと。

著者ナンシーが言っている「共同体」っていうのは一般的な感覚とは全然ちがっているので読み解いていかなきゃいけないんだけど、これがだんだん見えてきた。
たとえるなら、それは「宇宙人」のような未知のものなんだ。
宇宙人を信じる人たちにとっては、地球外生命体である宇宙人、宇宙からの来訪者には未来への「期待」が込められている。これまでもいたし、これからもくる、そしてそれを見てみたい、と思っている。
これとおなじ構造が、ナンシーのいう「共同体」に見えてきた。

そのために、ともみはこれまで「UFOみた」とか「宇宙人いるよ、そのへんにいるよ」とか「宇宙人を呼び出す」とか、宇宙人の話全般を聞いているときに「まったく未知のものをなぜ知ったように話すのだろう」とか「まずここ(地球)にあるもので考えなきゃいけないんじゃないか」っていうモヤモヤを抱えていた。わかる気がするのに、なぜ引っかかるんだろう、と思っていた。
このモヤモヤも、本の中でちゃんと解説されてるんですよ。宇宙人信じる人と、信じない人の、この関係も。

ナンシーの本を読み解いていくことで、宇宙人を信じる人の言っていることがやっと「例え話」ではないことに気づいたんだ。
現実を言い換えたり例えたりしているわけじゃなくて、彼らは事実として、宇宙人の話をしてたんだって。
私は事実と隠喩の境界がわかっていなかったんだ、ということにも気づいた。
しかも、ナンシーは宇宙人信じてる人も、本当の意味ではわかってない(モヤモヤしてる)のである。という言い切りをしているの。
ああ、言葉にするのがややこしくなってきた!

宇宙人信じる人、信じない人、どっちも、ちゃんとわかってないんだよ!宇宙人のこと!
そもそもわかってるはずないよね、だって未知なんだもん!そしてこれからは「そもそも宇宙人のことよくわかってないじゃん」ということを受け入れて、かつ、「宇宙人って未知だ」についてを語っていかなきゃいけないんだ、みたいな・・・ヘヘ、こんな説明じゃ絶対むりだあ。
ま、そんな風にどんどん展開していくんだよ。すごいよなあ・・・・。

もちろんもちろん、「宇宙人」は私が勝手に持ち出したもので、ナンシーのいう「共同体」についてを、自分の実感で例えた内容ですよ。

下に原文を抜粋して載せたけど前後の文ないからなんの話かあまりわからないかも。
難しい本だけど、頑張ろう。
形がよく見えずおぼろげでも、この手で触れたいから!

なんかすごく楽になりました。

新しい構造がわかると、それに当てはまるいろんなものが見えてくる。

そしてそして、革命という言葉への強烈なイメージも拭われた。
革命ってかっこいいぜ!と短絡的に思ってた時期もあったけど、最近は「人がたくさん死んでかつ世の中よくなってないものの総称」くらいネガティヴな印象が強かったんだけど。
何かをひっくり返すことによって、たくさんの人が犠牲になったり、そこから新たに弱い立場の人が生まれてしまうことって全然いいことじゃないから。
でも、本を読んでいくと、革命という言葉のいい面が見えてきた。
人が死ぬ=革命じゃない、死なない=革命が見えてきた。

いやーこれ言葉にするの難しいな。

たとえば石鹸なら、いままで泡立たなかったのに泡立てネットのおかげで格段に泡立ちやすくなり肌への刺激が少なくなってモチモチ♪っていうのは洗顔業界のひとつの革命じゃないですか。これは「ひっくり返した」わけではなくて、新たな地平をもたらしてるんだよね。
何かを犠牲にしてのし上がったわけではなくて、違う視点が生じたの。
こういうことが言いたいの!

やっと、革命という言葉に希望を持つことができた。
おかげで「変化すること」の捉え方もすごーーく気楽になった。
仕事のこと、芸術のこと、様々な活動について、「動きはじめること」を躊躇する気持ちや迷いが薄れた。
気楽に一歩、足踏み出せばいいんだ!って気分。

いろんな謎の荷(謎の圧)が下りた。


芸術って、あらゆる地平とつながっているんだね。


●余談

昨晩思考がスパーークして眠れなくなった時に現れた考えの羅列↓
繋がること、なぞること、なぞることは過去の動作とは異なる時間に同一の空間的平行線上で同じ動き方をすること。時間は違うけど同じ動きをする!ってことはどういうことか?シャーマニック!というか追体験?シンクロ!太古とシンクロする方法。
描く行為について、繋がること、なぞること、結ぶこと、の動きの相違点
やはり私は描くことが大事なんだな

●個展のタイトルを考える、を常日頃からやっているが個展の予定はない。
「幻滅」 しか今思い出せない 言葉っておもしろいよね


●最後に

「無為の共同体」原文抜粋↓

彼らはおそらく(少なくとも現在までは)この語を使用するとき、どこからが隠喩(あるいは誇張法)でどこでそれが終わるのかを知り得なかったし、ましてやーー言い換える必要があるならばーー他にどのような比喩やあるいは比喩の抹消が、この「共産主義」という語を用いる時につき纏っていたものにふさわしかったのかを、知るべくもなかったからである。

ジャン・リュック・ナンシー「無為の共同体ー哲学を問い直す分有の思考」
訳:西谷修・安原伸一朗 以文社