日記を書くことで定着する記憶、忘れてしまっても外部に記録する装置になる日記
言語化することには様々なあり方がある
わかりやすく説明するためのもの
目に見えない感覚を省みて検証するためのもの
思いを言葉として刻みつけることによってより強く心に定着させるためのもの
誰かに心のうちをさらけ出すためのもの
言葉は嘘になってしまうことも、高まってしまうことも、縛り付けられることもある
私は何かを積極的に肯定しながら、省察の余地を残すために言語化を試みる
絵を描くことは何を意味するのだろう
絵を描くときにはまた、いろんなテンションがあって
最初は違うんだけど、途中からどこか懐かしい獣道を駆け回るような感覚に戻っていく
意味は社会的なものになってもいいし、個人的なものでもいいと思う
意味自体に意味があったらそれはもしかしたら意味じゃないかもしれない
湖の波紋が地面にたどり着いた途端に消えるとは限らないんじゃないか
これを読んで、私はこのときの自分を思い出すだろうか?
多分思い出さない。
ほこりっぽくて敬遠していた作業場を使い始めて2週間か3週間になる。
暇だから毎日絵を描くことができる。
何かに急かされることのない時間がものすごい癒しだ、そして活力だ。
活力だけど、怠惰だ。ごろごろと、めきめきが、ともにある。
どちらかではなくて、両方ある日々。
いいのかわるいのかまじめに考えるとだめな気がしてしまうけど
今はこれが私にとって支えになっているし、喜びになっている
好きな絵を描くこと
好きな絵
好きっていう気持ち
描きたいっていう気持ち
他人にうける、うけないじゃなくて、のめりこむ感覚。
久々に長居している作業場の本棚から、そういえばこれなんだっけと手にとったファイルには映画のチラシがファイリングされていて
お母さんとよく映画を観ていたことを思い出した。
お母さんだって、映画が好きだったのだ。
今のうち、母とたくさん映画を観たいな。
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