2014年6月7日土曜日

雨と風と水星逆行と重い精神が今日も私をどんよりさせた。
そんな心細い夜に電話があり、かかってきただけで泣きそうに。
それだけでとても救われた。
ほっとして、うるっとして、切った後また落ち込んだ。
瞬時に元気にはなれないけど、元気になる支度は整った。
電話のコミュニケーションは難しいけど、ひとりぼっちでどこにも逃げ出せない今の自分にはとってもありがたいものだった。

今日は関東の形が変わって、茨城がぎゅーっと神奈川まで延びる夢を見た。
願望!
それほど恋しいとは。

梅雨。神奈川も雨、茨城も雨。
東北も梅雨入りしたから東北も雨。
日本全体が雨。

私は高校三年生のとき芸術学科に所属していたので、卒業作品ではなく論文を書いた。
フンデルトヴァッサーという建築家でありパフォーマーであり画家である芸術家についての論文を書いた。
ただ彼の軌跡を追い、自分なりに言葉にするのでは中身がない。ちゃんと自分で感じたことだけを言葉にしなければならない。だから、彼の気持ちになろうとし、彼の文章を沢山読み、絵を解読し、かなりどっぷり浸かった。学部1・2年の頃まで影響受け過ぎて自分の考えだかフンデルトヴァッサーの考えだか、わからなくなって。危うかった。
そんな風になるくらいフンデルトヴァッサーの気持ちになって世界を見てた。
彼は好きなモチーフがいくつかあって、その中の一つが渦巻き模様だった。
また、彼は雨が大好きで、自分の家である船に「雨の日号」と名付けるくらいだった。

渦巻き模様は絵の中で記号の役割をするものだし、自然なエネルギーの動きを表現するのに適した形だから、納得できる。
雨が天地を循環する命の源でありエネルギーであるから雨が好きなのも、なんとなく理解できた。
でも雨は自然現象そのものだ。理屈ではない。彼は直感に生きる人だ。雨とゆう現象自体に、どこか、惹かれるところがあったはずだ。
それがなんなのか、ずっとひっかかってた。

いつかは忘れてしまったけど、大学に入ってからかなあ。取手校舎を大雨の中傘を差しながら歩いてた時、地面を見てびっくりした。

雨が地面に当たってできる模様が、フンデルトヴァッサーの描く渦巻き模様にそっくりだった。

足元だけでなく、そこらじゅう、地面一体が雫の波紋で覆われていた。
それを見て私はとっても嬉しくなった。
フンデルトヴァッサーの見ていたもの、感動した雨の風景はこれなんじゃないかって。
水面に打ち付ける雨が作り出す、波紋の浪を、彼は見ていたのではないかって。

これは私だけの気づきだ!!

って少し得意げになった思い出。

フンデルトヴァッサーがそこに感動したかどうかはわからないけど、それからずっと、雨の日はコンクリートや水たまりの波紋を見て楽しむようになった。

雨が降ると思い出すんだ。

といって、波紋の写真じゃなくてごめんなさい。
今日撮った写真。






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