6歳のころの将来の夢:「本をつくる人」
ようするに作家(物を作る人)になりたいと思っていた。
今までずっと変わらない。
タイトル:「未知との調和」
中学二年「曼荼羅を描こう」という授業で描いた
これが、作家(アーティスト)を目指す具体的なきっかけになった。
6歳の頃の将来の夢。私だけ漢字。しっかりした字。でも今もこん な字。(中2の絵の左下の字と、特に右上の横に書いた名前の字を見ればおわかりいただけると思う)
身の回りにあるものが絵本、ぬりえ、画集と本の媒体だったからか 、絵を書いたり文章を書いたり何かを作ったら本にするものだと思 っていた。だから本をつくる人になりたかった。今と根本で変わっ てない。
幼児園のころ、幼児園のみんなを集めて勝手に折り紙教室を開いて た。
近所の友達のお母さんに教わって、それをみんなに教えてあげるの が好きだった。
小学生に上がってからはローマ字入力を覚えてよくパソコンで遊ん だ。最初は「一太郎」という地図を描くソフトで地図記号を使って 絵を描いていた。そのうちマッキントッシュが導入されたので、キ ッドピクスというソフトを使って1人で音声つきのアニメーション を作り始めた。漫画を描いて友達にあげたり、ワープロで推理小説 を書いたりしてた。そのころの座右の銘は「明日は明日の風が吹く 」だった。
自分や友達をキャラクターにして絵にするのが好きだった。みんな に色んな動物の着ぐるみを着せて、色んなストーリーを作った。
家ではスニーカーと横を向いた時の学生服とプリーツスカートのひ らひら、海賊の地図のぴろぴろした巻物っぽい感じやボロボロな紙 きれの風合い、革ジャンの光沢、ヒョウ柄の書き方などを研究して いた。
かってに改造という漫画ではじめてコンバースっぽいスニーカーを 知って、衝撃を受けた。それまではニューバランスと、ビリビリテ ープの子供っぽいスニーカーしかしらなかったから。コンバースを 一生懸命模写した。
うちは小学校が私立だったから近所に友達がいなかったし、姉は塾 だったし、父も母も遊んでもらえなかったので大体、近くの山を探 検するか、絵を描くか、アニメを見るか、ピアノの自動演奏で踊る 日々を過ごしてた。
1人女の子の友達がいたけど、あれで結構上下関係みたいなのを学 んだ気がする。
わがまましおんちゃん。
今年の6月くらいから、アート教室で講師を始めたのをきっかけに 、自分の幼少時代を思い返すことが多くなった。
それと、最近は、友達の結婚式のために似顔絵を描いたり、友達の 仕事のためにポスターの絵を描いたり、バースデーカードで本人を 描いたり、あとはイラストみたいなのを毎日描いてたのだけど、今 までは「奇跡的にうまく描けた」だったり「何度も何度も何度も何 度も書き直してちょっとうまく描けた」みたいなことの連発だった のに、なんだかとてもよく描けるってことが多くなってきた。
振り返れば、もちろん似顔絵も似てなかったり、もう少しクオリテ ィ頑張れたなとか、色んなことがあるんだけど、それは当たり前と して。
その瞬間に「やったー!すてき!」と思えるものが描けるようにな ってきた。
一体ここまでくるのにどれだけかかったんだって思った。
物心ついたときから、ほんとに絵を描いてばっっかりだった。
一生懸命塗り絵して、お父さんの持ち物だったライトボックスを使 ってセーラームーンを模写したり(特に毛先のくるんのとこ重要) 、幼児園の全学年の女の子達をお姫様の衣装で描いてあげたり、ピ カソの裸で踊ってる絵を見て、ものすごい深い謎を抱えたり、とに かく一日もかかさず絵を描き続けていたなって。
そしたらとても感慨深い気持ちになった。
今の自分を支えてくれる、幼児園のともみ、小学生のともみ、中学 生のともみ、高校生のともみ、予備校のともみ、大学生のともみに 感謝して仕方ないんだ。最近。
イメージ通りに絵を描く事って本当に難しい。
イメージができること自体、とても素晴らしいことだし、イメージ をめぐらせるのが好きって人はいつも感心する。
でもそれを起こしたい、って思うことに結びつかない人もいる。
結びついて、表現するのが好きでも、イメージ通りに絵にするのは とっても難しい。
諦めなくてよかったなあ。ずっとずっと悪戦苦闘してきてよかった なあ。
自分の絵なんてものがまったくなくて、自信はずっとなかった。
アユネは小学生のころから確立されたおしゃれなかわいい絵だった り、類がめちゃくちゃ肉体描くのがうまかったり、ミナトの絵はあ まりに大人びて技術があってなんじゃこれって思ってた。(卒アル みると、私と彼らとの差は歴然)
あゆねの絵を真似したり、真似してることがいやで違う路線を研究 したり、人物を漫画っぽくもなく、写実的でもなく、自分の絵とし て描くにはどうしたらいいんだろうとか、自信がなくてやめるって 選択肢はまったくなくて、どうしても描きたいから下手で死ぬ程だ さくてつまんないけど描きまくって、時々いいなって思っても誰か のパクリだったりしつつも、よく描いたなあって。
いや、絵を描く人はみーーーんなそうだと思うんだけど、それにし ても皆、よく描いてきたよねえ。根気づよくさ。
自分の中に熱意があったんだなってことを最近気付けるようになっ たよ。
もっと努力してる人は沢山いると思うけど、別に他人と比較するつ もりは一切ないんだ。
だから、こんなんで努力とかいってんじゃねえ!なんて、責めない でね。
月曜日から絶え間なく咳が出続けていて、昼も夜も眠れない、バイ ト先に迷惑かける、最悪な惨めな日々を過ごしていて、あまりに辛 くて夜中にラーメン食べてみたり独り言をぶつぶつ言ってみたりし ながら、最終的に自分の人生を振り返ってしまいました。
ちっちゃいころ、セーラームーンの塗り絵で「油断は大敵よ!」と いう言葉を覚えたんだ。
他にもあったけど、今は忘れてしまった。
20時間に一回くらい、咳が落ち着くときがあるんだけど
ちょうど落ち着いてきたようだから
寝ます。
(最後まで読んでくれた方がいたら本当にありがとう!面白くなく てすみません!)
6歳の頃の将来の夢。私だけ漢字。しっかりした字。でも今もこん な字。(中2の絵の左下の字と、特に右上の横に書いた名前の字を見ればおわかりいただけると思う)
身の回りにあるものが絵本、ぬりえ、画集と本の媒体だったからか 、絵を書いたり文章を書いたり何かを作ったら本にするものだと思 っていた。だから本をつくる人になりたかった。今と根本で変わっ てない。
幼児園のころ、幼児園のみんなを集めて勝手に折り紙教室を開いて た。
近所の友達のお母さんに教わって、それをみんなに教えてあげるの が好きだった。
小学生に上がってからはローマ字入力を覚えてよくパソコンで遊ん だ。最初は「一太郎」という地図を描くソフトで地図記号を使って 絵を描いていた。そのうちマッキントッシュが導入されたので、キ ッドピクスというソフトを使って1人で音声つきのアニメーション を作り始めた。漫画を描いて友達にあげたり、ワープロで推理小説 を書いたりしてた。そのころの座右の銘は「明日は明日の風が吹く 」だった。
自分や友達をキャラクターにして絵にするのが好きだった。みんな に色んな動物の着ぐるみを着せて、色んなストーリーを作った。
家ではスニーカーと横を向いた時の学生服とプリーツスカートのひ らひら、海賊の地図のぴろぴろした巻物っぽい感じやボロボロな紙 きれの風合い、革ジャンの光沢、ヒョウ柄の書き方などを研究して いた。
かってに改造という漫画ではじめてコンバースっぽいスニーカーを 知って、衝撃を受けた。それまではニューバランスと、ビリビリテ ープの子供っぽいスニーカーしかしらなかったから。コンバースを 一生懸命模写した。
うちは小学校が私立だったから近所に友達がいなかったし、姉は塾 だったし、父も母も遊んでもらえなかったので大体、近くの山を探 検するか、絵を描くか、アニメを見るか、ピアノの自動演奏で踊る 日々を過ごしてた。
1人女の子の友達がいたけど、あれで結構上下関係みたいなのを学 んだ気がする。
わがまましおんちゃん。
今年の6月くらいから、アート教室で講師を始めたのをきっかけに 、自分の幼少時代を思い返すことが多くなった。
それと、最近は、友達の結婚式のために似顔絵を描いたり、友達の 仕事のためにポスターの絵を描いたり、バースデーカードで本人を 描いたり、あとはイラストみたいなのを毎日描いてたのだけど、今 までは「奇跡的にうまく描けた」だったり「何度も何度も何度も何 度も書き直してちょっとうまく描けた」みたいなことの連発だった のに、なんだかとてもよく描けるってことが多くなってきた。
振り返れば、もちろん似顔絵も似てなかったり、もう少しクオリテ ィ頑張れたなとか、色んなことがあるんだけど、それは当たり前と して。
その瞬間に「やったー!すてき!」と思えるものが描けるようにな ってきた。
一体ここまでくるのにどれだけかかったんだって思った。
物心ついたときから、ほんとに絵を描いてばっっかりだった。
一生懸命塗り絵して、お父さんの持ち物だったライトボックスを使 ってセーラームーンを模写したり(特に毛先のくるんのとこ重要) 、幼児園の全学年の女の子達をお姫様の衣装で描いてあげたり、ピ カソの裸で踊ってる絵を見て、ものすごい深い謎を抱えたり、とに かく一日もかかさず絵を描き続けていたなって。
そしたらとても感慨深い気持ちになった。
今の自分を支えてくれる、幼児園のともみ、小学生のともみ、中学 生のともみ、高校生のともみ、予備校のともみ、大学生のともみに 感謝して仕方ないんだ。最近。
イメージ通りに絵を描く事って本当に難しい。
イメージができること自体、とても素晴らしいことだし、イメージ をめぐらせるのが好きって人はいつも感心する。
でもそれを起こしたい、って思うことに結びつかない人もいる。
結びついて、表現するのが好きでも、イメージ通りに絵にするのは とっても難しい。
諦めなくてよかったなあ。ずっとずっと悪戦苦闘してきてよかった なあ。
自分の絵なんてものがまったくなくて、自信はずっとなかった。
アユネは小学生のころから確立されたおしゃれなかわいい絵だった り、類がめちゃくちゃ肉体描くのがうまかったり、ミナトの絵はあ まりに大人びて技術があってなんじゃこれって思ってた。(卒アル みると、私と彼らとの差は歴然)
あゆねの絵を真似したり、真似してることがいやで違う路線を研究 したり、人物を漫画っぽくもなく、写実的でもなく、自分の絵とし て描くにはどうしたらいいんだろうとか、自信がなくてやめるって 選択肢はまったくなくて、どうしても描きたいから下手で死ぬ程だ さくてつまんないけど描きまくって、時々いいなって思っても誰か のパクリだったりしつつも、よく描いたなあって。
いや、絵を描く人はみーーーんなそうだと思うんだけど、それにし ても皆、よく描いてきたよねえ。根気づよくさ。
自分の中に熱意があったんだなってことを最近気付けるようになっ たよ。
もっと努力してる人は沢山いると思うけど、別に他人と比較するつ もりは一切ないんだ。
だから、こんなんで努力とかいってんじゃねえ!なんて、責めない でね。
月曜日から絶え間なく咳が出続けていて、昼も夜も眠れない、バイ ト先に迷惑かける、最悪な惨めな日々を過ごしていて、あまりに辛 くて夜中にラーメン食べてみたり独り言をぶつぶつ言ってみたりし ながら、最終的に自分の人生を振り返ってしまいました。
ちっちゃいころ、セーラームーンの塗り絵で「油断は大敵よ!」と いう言葉を覚えたんだ。
他にもあったけど、今は忘れてしまった。
20時間に一回くらい、咳が落ち着くときがあるんだけど
ちょうど落ち着いてきたようだから
寝ます。
(最後まで読んでくれた方がいたら本当にありがとう!面白くなく てすみません!)
身の回りにあるものが絵本、ぬりえ、画集と本の媒体だったからか
幼児園のころ、幼児園のみんなを集めて勝手に折り紙教室を開いて
近所の友達のお母さんに教わって、それをみんなに教えてあげるの
小学生に上がってからはローマ字入力を覚えてよくパソコンで遊ん
自分や友達をキャラクターにして絵にするのが好きだった。みんな
家ではスニーカーと横を向いた時の学生服とプリーツスカートのひ
かってに改造という漫画ではじめてコンバースっぽいスニーカーを
うちは小学校が私立だったから近所に友達がいなかったし、姉は塾
1人女の子の友達がいたけど、あれで結構上下関係みたいなのを学
わがまましおんちゃん。
今年の6月くらいから、アート教室で講師を始めたのをきっかけに
それと、最近は、友達の結婚式のために似顔絵を描いたり、友達の
振り返れば、もちろん似顔絵も似てなかったり、もう少しクオリテ
その瞬間に「やったー!すてき!」と思えるものが描けるようにな
一体ここまでくるのにどれだけかかったんだって思った。
物心ついたときから、ほんとに絵を描いてばっっかりだった。
一生懸命塗り絵して、お父さんの持ち物だったライトボックスを使
そしたらとても感慨深い気持ちになった。
今の自分を支えてくれる、幼児園のともみ、小学生のともみ、中学
イメージ通りに絵を描く事って本当に難しい。
イメージができること自体、とても素晴らしいことだし、イメージ
でもそれを起こしたい、って思うことに結びつかない人もいる。
結びついて、表現するのが好きでも、イメージ通りに絵にするのは
諦めなくてよかったなあ。ずっとずっと悪戦苦闘してきてよかった
自分の絵なんてものがまったくなくて、自信はずっとなかった。
アユネは小学生のころから確立されたおしゃれなかわいい絵だった
あゆねの絵を真似したり、真似してることがいやで違う路線を研究
いや、絵を描く人はみーーーんなそうだと思うんだけど、それにし
自分の中に熱意があったんだなってことを最近気付けるようになっ
もっと努力してる人は沢山いると思うけど、別に他人と比較するつ
だから、こんなんで努力とかいってんじゃねえ!なんて、責めない
月曜日から絶え間なく咳が出続けていて、昼も夜も眠れない、バイ
ちっちゃいころ、セーラームーンの塗り絵で「油断は大敵よ!」と
他にもあったけど、今は忘れてしまった。
20時間に一回くらい、咳が落ち着くときがあるんだけど
ちょうど落ち着いてきたようだから
寝ます。
(最後まで読んでくれた方がいたら本当にありがとう!面白くなく
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