2015年1月15日木曜日

星を食べる

ときどき悪い気持ちにおかされて悪いこと言いたくなる。
そういうときはわざと憂いを帯びることで抑える。
悲しみのほうへ流れて、不安を意欲に変える。
したくないことをすること、したいことをすること、果たして違いがあるだろうか。
「したい」か「したくない」かより、1つ1つにやりがいと意思を持つべきだと考える。

コミュニケーションの幅広さと、伝わることの温度差。
自分を責めることって無意味。
責めることより考えること、次を考えることが大事なのに。
現状をしっかり把握することは大事だけど
己の感情がいかに浅いものか 変わりやすいか 翻弄されやすいか
無自覚に覆われているか
己の限界を知らないとわからない。
立派な人と立派じゃない人に分けられない。
人はみんな愚か者だ。

私は思春期に、自分の隙という隙を、悪という悪を、罪という罪をえぐり出しては問いただしてきた。
そんな癖が今も少なからず残っている。だけど、聡明な人間が世の諸問題について丁寧に手厚く触れている文章を読むと、やはり芸術しかない。目に見えないものを伝え続けるしかない。私の信じるものをしっかりと信じ切るだけの努力と問答をしていくんだ。と、少し救われます。


たまの「星を食べる」は永遠に聴いていられる。
永遠にこれを聴きながら、無言で友人たちと鍋を囲みたい。
無言で焼酎をお湯で割ってあげたい。
かつお節と昆布と梅を入れると美味しいらしい。
「ずず」とお湯割りをすすり、鼻から大きく息を吐くその音色に耳を傾けたい。

星を食べる は 永遠を食べている無常の現実を歌っている気がする。
食べることが愛なのか 食い殺すという罪なのか
永遠は愛なのか 無常が愛なのか

歌詞には闇と光が登場する。
この世界は、闇と光が関係している。

矢野顕子や岸田繁の歌詞でよく登場するのは「距離」の概念。
遠くにいても感じられるとか、会いに行くよとか、旅をするとか。
遠くにいったり、近付いたりする。
人と人を繋ぐコミュニケーション、場所と場所を繋ぐ移動距離。

私はエネルギーにどこまでも着目して、その真髄へ迫らなければならない。


心のねじれが自分の創作意欲を引き出している。
私は内にこもりやすいけど、今日のように、気合いをいれて勢いよく外に飛び出してみると、案外心が晴れるものだ。

1つ弱音を吐いていいですか。
私はなんて中途半端な芸術家なんだ。



椎名林檎のインタビュー、今日とてもグっときた。
読んで欲しい。

椎名林檎「いつも死を意識」「子供5、6人産む」5年半ぶり新作




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