2015年2月1日日曜日

世の中のあらゆる形の「暴力」に対して

仏教の世界には色んな仏様がいる。
憤怒尊という怒った形相もあるし、それぞれが色んな役割を持っている。
それは、きっと人間の要素の1つ1つを表しているんだと思う。
その中でももっとも大事にされているのが大日如来。
一番大事な、大乗の心を表している。
大乗仏教は自分1人の悟りを目指すものではなく、生きるものすべての救済を目指す教え。
大乗の心というのは、他人を思いやること。

私は思う。これは人の心の有様の、最も安定した状態を表しているんだと。

人は怒ったり、喜んだり、とても様々な感情を持っている。
そしてそれらは肉体において、精神において、とても多様な役割を生み出している。
一番大事な思いやり。これを大切にすることで、それらは全てが自然に、スムーズに動く。思いやりを失うと、どこかにひずみが生まれてしまう。
大事なことはたった1つ。それを忘れてはいけない。そして一番大切にしなきゃいけない。

もしこれを全ての人が実践できたら、平和になる。


ありえない、と思うだろうけど。


私がこの世界に対してできることの一番最初の一歩は、他人への暴力を捨てることだと思います。



世の中の沢山の暴力に疲弊してしまい、家に帰ってからあゆねとメールのやりとりをしていた。

あゆねもメールしようと思っていたというので、同じ気持ちの人がいることに救いを感じた。
そしたらあゆねが「もう人のこと嫌ったり憎んだりしない。」って言って
私も、自分の心の中の暴力ぐらいは止めたいって、同じことを思っていたことを伝えた。
100%良い人も100%悪い人もいない。
憎しみ合うように仕組まれている感じ、人の優しさや弱さを利用して、人の心をかき乱して、挑発したり萎えさせたり、そういう政治の仕方をする人たちがいる。
それでも敵なんて本当はいない。
誰も人を殺したくないし、誰も殺されたくなんてない。
ある人が言ってました。「暴力の伴う革命は禍根をのこす」って。
暴力によって革命を起こせたとしたって、その時ひとはみんな、ボロボロのはずだ。

そんな話をしていたら、あゆねが「怒らないでいられるために、学んだり鍛えたりする。仏教だねえ」って言った。

まさかあゆねが仏教と言うとは思わなくて驚いたけど、そうだなあって思って、仏教の視点から感じたことを書いた。




禍根は惨劇だ。悲しみと痛みだ。ずるい人はそこにつけこむ。
心をかき乱し、人々の憎悪を膨らませる。
権力者がつけこめば、政治的に利用されれば、またしても人は人と、したくもない殺し合いをしなきゃいけなくなってしまう。
殺し合いを望む人なんていない。一番こわいものは、権力だ。






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