つい、生きるって言葉を使ったり
命、とか、重たい言葉を用いて熱く語る気質です。
以前はそんな自分と現実とのバランスに不安定さを感じていたけど、今はとてもしっくりくる。
とうとう写真家の仲田絵美さんのブログもアップされた。
人の文章を読んだり、人の考えていることを知る機会っていいものだ。
人のため、地域のため、そんなの詭弁だ。もろい弱い甘い。
全部自分のためだと言い切ったほうが潔い。
みんな自分のために生きているんだ。
利他性を持つことと、人のためという意識を持つことは全然違う。
人の、ため?まさかそんな思い上がり。
人を思いやることとは違う。
こういうのを、言葉尻に反応する屁理屈っていうのかもね!
尻と屁!
これは、再解釈して駆け巡るための修練です。
私は自分のしたいことが、利他性や他人との化学反応によってどうなっていくかに期待する。
昨晩はきもちわる〜〜いことを書いてしまった。
あ〜消したいって思った。
でもあえて消さずにいてみる。
私は赤裸裸でありたい。誰も興味がなくたって、自分から「物語ること」を続けたい。
人が思い上がらずに、自分にとって「しっくり」くる言葉を選びながら語る姿が好きだ。
だから私も実践している。
情報に踊らされない、卑屈にならず受け止められる。なぜだと思う?
それは大切な人を大切に思える気持ちのおかげじゃないかな〜と思うんだ。
利他性こそ、自分のためになるのだね。
人のためではなく、人を想う、それが自分のためになる。
ときめきに潤う女子のきらきらした瞳が見たい。
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