PCメガネにマスクをするとレンズがくもっちゃう。
目と鼻と口を、同時に守らせてはくれない。
そこでお湯を飲むのです。
画期的かと思いきや、お湯でもレンズが曇る。
「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで」
憎んでいない。割り切れないだけ。
心の中で、吐き気がするほど醜い人に吐き気がするほど醜い暴力を向ける私。
なんで君たちは、平和に、大切な人を傷つけずに、幸せを得ることができないの。
世界で起きている出来事と、同じ。
君たちがニュースをみて「ひどい」「なんてことだ」「さいていだ」と思う出来事と同じように、君たちの幸せは私を裏切ることと引き換えに得たものだと本人たちは認めない。
自分たちのしたことを自覚できない。行動と言動を顧みることができない。人の気持ちを考えられない。主観を一切疑わない。
厚顔無恥の偽善者と、厚顔無恥の偽悪者。
人を裏切るって激重なんだぞ!げきおも!
おかげで少し成長できた。憎しみの種になんてしない。私こそ忘れよう。
心の中で巻き起こる暴力を、止めよう。
いまだにこんなこと言ってる自分に少し虚しくなりました。
何かが少し変わるってすごいことだよ。
人の意識が変わるって、小規模であってもとてつもなくすごいことだ。
それを成し遂げたのはディレクター1人の力でなくても、事業全体の成果であっても、個人的な手応えであっても、誰の成果であってもいい。
みんなで成し得た一つのとっかかりというだけで、手応えを感じて喜ぶべきことだ。
手放しに喜べなくていいんだ。でも、掴んだまま喜んだっていいよね。
一つ一つを大切に生きるってそういうことだよね。
私は私のやるべきことを、やるんだ。
NODA MAPの「エッグ」を観て来た。
ネタバレな感想は暇なときにかこう。
卒展のことも書きたいのになかなかかけないなあ。
私は考えることも大事だ。仕事でもプライベートでもいい。
けど、同時にだ。仕事もたくさんしよう。
エッグの劇中歌「喪失」をリピートで聴いてる。
不遜な幸せ。
デジャブ。きらい。
歌詞の端々から演劇の内容を思い出す。忘れたくないんだ。
演劇は非現実だ。
でも、その肉体は現実だ。
彼らの感情は、フィクションから生じたリアルだ。
それは生々しく観客に届く。
その時点でそこには大きなうねりが生まれている。
芸術の力だなあ。
私、恋愛と友情を混同しない。
だけど、区別もしない。
言わなくても届いている気がすることを、愛って呼んだりもする。
語ることで分かち合うそのやりとりも、愛って感じる。
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