2016年7月8日金曜日

人に言われたり世の中では当たり前なんだけど、経験しないと実感できないことって色々ある。
大学時代は、先生の言っていることが理屈でわかってもどう実践していいかわからなかったり。たとえば「作品の強度を上げるためにはどうしたらいいか」とか。想いを込めることだ!みたいな結論にいたっても、想いを込めるためにはこれをすればいい、という決まったルールはないから。タイミング、技術、精神の状態、いろんな条件に左右されるし、その中で自分の軸をどこに持っていくか、超繊細なバランス感覚があると思う。「説得力のある作品」であることは変わらなくても、選び方によって大胆にも鋭利にも柔和にもなる。

他のことでいうと「自分を愛せないと他人を愛せない」とか「自分のペースで、ゆっくりでいいよ」とか。実際辛い時って、ゆっくりでいいよと言われても不安が消えなかったりするし。言われた瞬間できないこともあるし、たとえばそんなようなこと。
この言葉ではわかりづらかった、あとになってようやくわかる瞬間が来た、みたいなことってあるよね。
私はそういうことがあったとき、 自分も他人に対して色んな励ましやアドバイスをすることがあるけど、その人のその状態にちゃんと響いていないかもしれない、と考える。
もっと違う言い方、もっと違う視点で、何か表現する方法はないかなあと考える。
たとえば、元気ない人に「元気出せ!」て言っても元気出ないと思うんだけど、それを「今日飲みに行こう!」に変えたり、「話してごらん」と言ったりすると、気分転換をしたり人に打ち明けることで元気になるかもしれない。簡単に言うとそういうこと。
人にかける言葉ひとつひとつも緻密に丁寧に選びたい。時には強く、時にはふんわり、時には間接的に、時にはズバリと。
私はこういう辛いとき、こんなことに気付けたらもっと助かったかもなー、みたいなことを振り返って、今の自分ならどんなことを言えるか考える。これは私の性質の一つかな。

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