2015年11月16日月曜日

曖昧な合間

あわいはそこら中に漂っていて
私の家の中での出来事や物の配置は、外で庭を手入れしたり畑仕事をする人たちの蔵の中の物の配置と、大きさが違うだけで似たところがあるんだろう。
外で鍬を取ったりちりとりで落ち葉を集めたり、色んな作業の音がする。
私は家の中で、絵筆を握ったり食器を洗ったりする。


autumn morning


夜霜と朝露の間
雨と晴れの間
そんなあわいに見る死と再生




人を非難したり、人を区別することはよくない。批判は人にではなく出来事にすべきだと思う。
でも人を嫌いになることはあるし、否定してもしょうがない。
とはいえ、嫌いは好きの裏返しだし、無感情と無関心は異なるものだと思う。

遠くを思う歌が多いのは、それだけ人と人の心には距離があるということだなぁ。

その距離を遠いと見るか近いと見るかでも変わるし、大きく見るか小さく見るか、繋がっていると捉えるか切れていると捉えるかでも変わる。

実際はとても曖昧で目に見えないものばかりが存在する世界だ。



2015年10月26日月曜日

アートなんてどうでも良いだろ

はぐれ者とは
汚泥に満ちた社会の中でなんとか生きてる人たちのことや
普通の感覚じゃない意識と次元を抱いて生活している人のことである
なんだか生の魅力を持った人たち、魔法を使う人たちをはぐれ者という

はぐれモンスターに出会いたい

田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの迷子の思い出をハンティングしたい


2015年10月15日木曜日

ミルクティー聴きながら
あったかい蜂蜜の入ったお湯を冷たい心臓に当てて
ただ音を聴くだけ
ただ空気を吸ったり吐いたり
冷たい風に当たるだけ


2015年9月30日水曜日

2015年9月28日月曜日

2015年9月23日水曜日

まず、何にも媚びない、私のやりたいことをやり切る制作をはじめないと。
 

2015年9月17日木曜日

辛い部分はあまり書かないようにしてる。
辛い時に辛いと言っても辛さがなくなったり、和らいだりしないとわかった。


2015年9月16日水曜日

読書の話

自分の気持ちや発言に常に疑いを持つというのはスーザン・ソンタグに学んだこと。
良心の領界読み返してるけど、時代を想うーテロへの眼差しと反解釈もあらためて読み返したい。
そして他の本も読んでみたい。

小説は普段全く読まないけどガルシア・マルケスの百年の孤独はすごく良かったから好きで、今はコレラの時代の愛を読んで「くつつううう!」と悶えてる。
先輩も同じタイミングで読んでたので面白いですよねって言ったら、日本語訳を読んでる時点で正確には日本文学なのかもしれないが、マルケスやコルタサルの文体ってゾクゾクするって言ってた。
確かに。ほんとに。ゾクゾクするの!不思議な感覚!
そして翻訳という言葉もずっとキーワードになってる。訳文。ベンヤミン、いろいろ読まなきゃいけないものがあるな。
自分の父のように本の虫になりつつある。
やっぱり本て瞑想に近いな。旅でもある。
生身の旅もしたいな。



2015年9月15日火曜日

言いたいことがありすぎる
どうしようもないこと、たいしたことないこと、でも私の中に満ちている
表現したいという欲が私は強い
さみしがり屋でもある
押しに弱い部分もある
奥手なところも大いにある


2015年9月13日日曜日

世界との接点

常に自分と異質なものに対して深く傾注し、思考する癖を感じる。

自分の表現とはまったく違う分野、まったく違う表現方法にいつも興味が注がれていることに気付く。
例えばもの派とか、建築とか、翻訳とか、写真とか。

学部に入った頃はコンセプチュアルな作品も作ったし、いずれにしても社会への革命心なんかを心中にたぎらせて制作していた。赤軍とか大好物だった。
表現が自分の身の一部でありながら、社会との関わりを強く含んだ現代美術という新しい学問でもあったからかなと思う。

それはいい状態だった。

それから絵を描くことを選択し、自分と表現の距離が近づけば近づくほど、盲目的になったり遠ざけたい気持ちが増幅した。でもだからこそなのか、そこにしか救いがないという希望は存在していたと思う。

今私が何をしたいのか、何をすべきなのか、どう社会と関わり、どのように表現をしていくのか。
どう思考し、思考を出力していくか。

新しい答えが欲しい。

さあ、今から結婚式だー!


2015年9月1日火曜日

Have a good day

眠たくて言葉にならないけど
友達といい話をした
私も世界が広がりつつある
立ち止まるような時もあるけど

みんな少しずつ目に見えないもので繋がっていることも感じたり。

明日もぐっと良い日に
good 良い日に

「図書」。
毎月届く父からの贈り物。
開かずにテーブルに置きっぱなしで積んでいたものを今読んでいる。
高橋源一郎の「見える戦争と見えない戦争」、胸を打たれた。若者の辛い思いも社会の闘争も言葉にしてくれた。
今度全文ここに転載しようと思う。