生きるためには金が必要なのはわかる。
絵を描く時間が、お金になったらありがたいとは思う。
でも、私は一生涯、なにをしていても画家だから。
それは揺らぎようがない。
画家の本分は、観察にあると私は考える。
あらゆる角度から、距離から、対象を見る。
てらいなく、歪みなく、まっすぐ目を凝らして見る。
触れて、手にとって、肌触りを確かめて、皮膚の言葉で見つめる。
語りかけ、対象の声を聞く。
自分とか、そういうものから離れて、まっさらに対象と対峙する。
だから絵って、自己表現ではないんじゃないかな。と、思う。
自分という幻は、世の中を、命の表面を反射する鏡の役割をしているだけで
肉体はシステムで、心はただ光を映すだけの鏡で
自分の気持ちというのは、占い師が見つめる水晶玉に浮かんでは消えるイメージみたいなもので、命は、本当は何もかもを投げ出した自由な存在で
その命をこの世に結びつけているのは、他でもない、「所有したい」という欲。
本当の意味で望みを叶えるためには、何もかもを捨て去る必要があるのだろう。
私が画家であることは変わらない。
何かにぶちあたるたび、私は心の中で筆をとる。
いつもいつも、何かを描き続けている。
観察する自分を観察するという合わせ鏡の迷宮みたいな、堂々巡りを、袋小路を繰り返しながら、何度も何度も筆をとる。
その動作が実感覚としてある。
ああ、眠るのも、憂うのも、話すのも億劫だ。
辛いとかさみしいとか、好きとか嫌いとか、そういうのがなくなって、奇跡も運命もカルマもない、道のない、時間のない、空間のない真っ白な場所にいる感じ。
2016年12月28日水曜日
2016年12月14日水曜日
相性と縁と、全ての糧
何があっても助けになるように、ここに色んなことを書こう。
嫌なこと、幸せな感情、退屈も、焦燥感も、流れの中の緩急が何故あるのかなと考えた。
全ては自分と出会うように仕組まれているのかなと思った。
それは運命というより縁というべきもので、自分が知らぬ間に選んだ言葉、確信的に選んだ行為などが撚り連なり、糸になり、現在と未来と過去、どれが前も後ろもなく、様々な色の糸を編みこんで生命の布地が出来上がっている。
2016年12月2日金曜日
孤独の本質をみつめよう
さみしいって友達が言ってた。
わたしも時折、とてつもないさみしさを感じるときがある。
それが例えば仲良しの友達が引っ越したとか、彼氏と遠距離恋愛とか、そもそも恋人がいないとか、理由はいろいろ考えられるけど、その状況が変われば「さみしさ」はなくなるんだろうか。
また別の状況によってさみしさを感じるんじゃないか。
さみしいという感情そのものが想起する根本について考えることのほうが、何かで誤魔化したり見て見ぬ振りをするよりもずっと精神衛生的にも人生を歩んでいく知恵としても有効なんじゃないかと思う。
さみしいの自体は仕方がない。
ではなぜ私はさみしいと思うのだろう、この感情はどこからやってくるのだろうと考える。
本質についていつも考える。
そうすると、人間の価値観から解放されるんじゃないかな。
私は善悪で何かを判断したくない。人との比較もしたくない。制服も前ならえも行進も給食も校則も国歌斉唱もかなりいらない。
社会的な地位が欲しい反面、人に評価されることの無意味さを感じる。
お金欲しいけど、働くのは好きだけど、社会システムを肯定せざるを得ない立場にはなりたくない。
評価されるのはとても嬉しいけど、本当はそこどうでもいいんだと思う。
私が目指してるのはやっぱり、社会的な実績より、人の心と響き合うことかな…
人の声や言葉に触れていたい。人の人生の一部を味わいたい。
絵を続けられてるのは褒められるからじゃなくて、たった1人の誰かの心に響く瞬間があったからだと思う。
沢山の人の評価とか、褒められた数じゃなくて、誰かに気に入ってもらえたことが嬉しかった。
誰にも受け入れられなくても続けられるのかは、そういう目にあってないからわかんないね。
でも下手だから続けられてる気もするし、まあ、そもそも、やめる選択肢なんてないんだけど……
描くのが大好きだからね!!
サバイバル能力が高くなってくことや成長していく楽しさが、自分を自然に喜ばせてくれてるなあって感じる。
孤独は時に苦しくて、時にワクワクさせてくれる。
2016年12月1日木曜日
今を生きろ
Art Workに依頼されて描いた格闘家の皆さんの肖像画をアップしました。
難しかったけど楽しかったし、とても勉強になりました。
私は似顔絵描きとかではないんで、ライトな似顔絵依頼はやってないんですが
友達の大切な人とか、友達のウェルカムボードとか色々描いたことがあります。
今回、心のこもったご依頼で、本気を出しました。
男性とか格闘家とか外国人とか、描いたことないんで新鮮でした。
坊主頭だったりアフロだったり、髪型も表情も服装もテーピングも全て新鮮。
精神と肉体を共に鍛えていて、日常に飼い馴らされていない「強い」人たちという印象があったので、五百羅漢のようなイメージで描きました。
会った事ない人がほとんどだけど、性格とか勝手に想像するのが面白かった。
本人たちの声とか聞いてみたい。でもこわい。迫力がすごくて。密室ででっかいお兄さんたちに囲まれるの結構びびる。小心者なんで。
とにかく・・・本気で描きました。
難しかったけど楽しかったし、とても勉強になりました。
私は似顔絵描きとかではないんで、ライトな似顔絵依頼はやってないんですが
友達の大切な人とか、友達のウェルカムボードとか色々描いたことがあります。
今回、心のこもったご依頼で、本気を出しました。
男性とか格闘家とか外国人とか、描いたことないんで新鮮でした。
坊主頭だったりアフロだったり、髪型も表情も服装もテーピングも全て新鮮。
精神と肉体を共に鍛えていて、日常に飼い馴らされていない「強い」人たちという印象があったので、五百羅漢のようなイメージで描きました。
会った事ない人がほとんどだけど、性格とか勝手に想像するのが面白かった。
本人たちの声とか聞いてみたい。でもこわい。迫力がすごくて。密室ででっかいお兄さんたちに囲まれるの結構びびる。小心者なんで。
とにかく・・・本気で描きました。
2016年11月24日木曜日
先輩ありがとう
最後の手段という名前で活動してる先端の先輩、3人組。
2学年上で、学生時代からたまに手伝わせてもらってる。
とてもとても優しくて、あったかくて、芯があって、物を作らないと気が済まないという人たち。
その情熱、眼差しが圧倒的で、尊敬してる。
絵を描くことが好きで仕方なくて、まっすぐ物作りをし続けてるところにいつも感動する。
高校3年生の時はじめて取手校舎のアートパスという展覧会に行ったとき印象に残った作品が彼らだった。
先端の1〜3年生と油の学生が出展してるからたくさん観たはずなのに、よく覚えてるのは連くんと有坂さん(通称サブさん)の作品だった。
大学1年生の時にアトリエで1人絵を描いていたらドアを開けて覗き込んで、話しかけてきた先輩たちが連くんと浩貴だった。
(浩貴はメンバーではないけど絵描きの先輩)
今日その話を連くんにしたら、そのとき天才だと思ったって、なんだってー
嬉しかった……
お世辞でも嬉しい!
先輩たちを天才だと思ってるから、舞いあがっちゃうね
先輩たちは努力の天才でもある。
好きって力がすごい。
あくなき精神がすごい。
私も積み重ねなきゃ。
先輩たちかっこいい。
性格も意欲も感性も情熱も、真の芸術家だ!!愛がすごい!!
て思う。
じーーん。
素敵な3人組なんだ。
みんな得意分野があって、相乗効果があって、物作りに貪欲で…
かっこいいなぁ……
展示やってるよ!
2016年11月19日土曜日
歩音の展示と楽しい公園
金曜の夜は、小学校から高校まで同じ学校という幼なじみ、庄島歩音ちゃんの展示のオープニングにお邪魔した。
ASAGI ARTSは3階に移転していて、行くときは迷子になった。
歩音の作品は、クラフトと絵画とテキスタイルを横断するような絵。
軽やかなのに軽薄になっていないピュアな絵画表現だと感じる。
やっぱり、彼女が積んできたキャリア、絵と対峙する時間が、軽やかさと強度をバランス良く同居させているんだろう。
女子はかわいいと感じるし、男性は真似できない質感だと感じるような作品なのかなあ。
あゆの1番かわいいとこが絵に出てるから、クスッと笑える。
久しぶりの銀座楽しかった。
帰り道に日比谷公園で魚介のイベントに遭遇し、一人で生ビールを飲んだ。
久しぶりの生ビールは美味しかった。
銀座と表参道が好き。何か買うでもなく、ただ通るだけなんだけど。
展示で、久しぶりに同級生たちに会った。
学校で浮いてたの思い出したよ。
でも私にとって同級生は家族のような安心感があるよ。
気が強くて繊細な、女性という可憐な生き物…
2016年11月18日金曜日
なにも、楽しむ必要はないのよ
なにも映りこんでいない写真
なにも描きこまれていない絵
そういうものに 私はなりたい
とことん暗くなればいいじゃない
だれが明るく元気に生きろと決めたのさ
なにも、楽しむ必要はないのよ
それがおもしろいんだよ
なにも描きこまれていない絵
そういうものに 私はなりたい
とことん暗くなればいいじゃない
だれが明るく元気に生きろと決めたのさ
なにも、楽しむ必要はないのよ
それがおもしろいんだよ
2016年11月17日木曜日
2016年11月16日水曜日
聖者の行進
最近
襟を正すような、常に常識を屈服させようとするような強気の正義感が私の思考において幅をきかせている。
説教くさくてチョット暑苦しい。
のびのびマイペースになりたいところだけど、きっと年齢やキャリアや将来への不安や過去の傷が急かすように尻を叩いて止まないんだろう。
でも、自分が未熟でほんとによかったと思うのは、私はもともと生意気で負けず嫌いで余計な一言を言っちゃうオマケにものすごい正義感強いタイプだから、完璧になんでもできてると思い込んだら他人の気持ちも理解できないだろうし苦しみも共感できなかったと思う。
「ひさびさに12時間働いて疲れたぜ」と思っても、毎日のようにそんな生活をしてる人もいる、育児や夫婦生活と両立しながらとか、独り身でも親元を離れてとか、色んな人が終電まで混み合った電車で通勤して……
て考えたらなるべく人の邪魔にならないように歩こうとか、座るのやめようってなる。
みんながぐっすり眠れますように、って思える。
辛さは比較のしようがないから、難民のことや飢餓のことや震災のことや事故やいじめや、色んなこと考え始めたらきりがないんだけどさ。
霊の供養もそうだけど、「忘れない」こと「気に留める」ことを繰り返し続けなきゃいけない事柄ってのはあるよね。
友達が教えてくれたどこかの大統領夫人かなんかの文章に、「残さなくても、置いてくる」ということが書かれていた。
私も。子孫とか作品とか残らなくても、私という存在はチリになりこの世に残らなくても、次につながっていく何かを必ず置いてくることになるんだろうと、残すことよりもどんな行動で何を置いてくるかが大切ということを、想う。
2016年11月14日月曜日
ちょっとした展示のおしらせ
小田急線 読売ランド駅の駅すぐ近く、リフォームプロのギャラリーにて
母の陶芸教室studio rindの生徒さんたちのグループ展を行います。
私も出ます。画家の友人である庄島歩音も出します。もちろん母も。
毎日のように、生徒さんたちがせっせと作品作りをしにきています。
私も作ってますよ。
最近の休日の楽しみ。
ワークショップや販売もあるかも。詳細が決まり次第お知らせします。
お近くの方はぜひ〜。ほんとにアットホームな陶芸教室です。
studio rindについてはブログの横にあるリンクから飛べます。
2016年12月1日(木)〜6日(火)
11:00〜18:00(最終日は16:00まで)
会場:リフォームプロ
小田急線 読売ランド駅より徒歩5分(もっと近いかも)
神奈川県川崎市多摩区西生田4-3-29 マイタウン西生田1F
母の陶芸教室studio rindの生徒さんたちのグループ展を行います。
私も出ます。画家の友人である庄島歩音も出します。もちろん母も。
毎日のように、生徒さんたちがせっせと作品作りをしにきています。
私も作ってますよ。
最近の休日の楽しみ。
ワークショップや販売もあるかも。詳細が決まり次第お知らせします。
お近くの方はぜひ〜。ほんとにアットホームな陶芸教室です。
studio rindについてはブログの横にあるリンクから飛べます。
2016年12月1日(木)〜6日(火)
11:00〜18:00(最終日は16:00まで)
会場:リフォームプロ
小田急線 読売ランド駅より徒歩5分(もっと近いかも)
神奈川県川崎市多摩区西生田4-3-29 マイタウン西生田1F
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