様々な思考が常に人に向かうのは弱さでもある。
「素敵だなあ」「会いたいなあ」「幸せだなあ」「好きだなあ」という気持ちにヘラヘラしていると自分のあるべき姿が歪む気がする。
私は芸術家だ。私は常に何かと向き合いながら、常に闘い続けなければならない。
さみしいなあ、服が欲しいなあ、さむいなあ、と思ったとしても、それを満たすことが己を満たすことに繋がるのか。
寒さを少し「我慢」してみたり、体温よ上がれ!と暗示をかけてみたり、目の前の出来事に少しでも抗おうとすることで、拮抗は保たれる。
負けない。しなやかに、ぐにょりと曲がっても折れない。
私は真剣に孤独であろう。
4日に活動宣言会というのを行った。
自分が何故ここに来たのか。アーティストって、アートってなんなのか。
私の常陸太田での活動。そしてこれから取り組んでいこうとしている活動について。
皆さんのイメージと私たちのイメージの間に道を作るために資料を作ってお話した。
どうしても、前に座ってプロジェクターに投影しながら話すとなると堅苦しくなるし、眠くなるし退屈だと思って、めっちゃくちゃリラックスして友達に話すような気持ちで喋ることを心がけた。そしたらヘラヘラし過ぎたけど。
皆さんがどう感じたかはわからないけど、私的には、いい雰囲気だったかなあなんて思う。
突っ込みどころがあるほうが、良いんじゃないかと思ってる。
間違い探しじゃないけど。気持ちを傾けるきっかけになると思う。
私は得意分野のアートという切り口で、よそ者の目線で、でもしっかりとこの場で暮らしながら「地域」について「人間の営み」について考えようとしています。
皆さんがそれぞれ個性があり、特技があるのと同じで。と言った。
でも今思うと、人の一番の魅力というのは一番「不器用」と思う部分にあるんじゃないか。
一番「欠けているもの」のシルエットが、人の心の形になっているんじゃないか。
心は在るものなのか、それとも欠けた空洞なのか。
そもそも私はアートが得意分野ではないし。
得意だからやっているわけではない。うまくいかなくてもやり続けたいからやっている。
「特技」とされるものって、実はそういうものだよね。
発想が逆転してしまったなーと思った。
わかりやすいから良いんだが。
顔を見ると緊張してしまうので、自分の想いを言葉に乗せることだけを心がけて喋った。
丁寧に、真剣に喋った。
チラリと見える人の顔が、あたたかかった。
本当にありがたかった。
はあ。一年活動して、こんなに沢山の人がわざわざ、わざわざ私たちの話を聞くために来てくれるなんてな。。
嬉しいよう。
感極まって、くうっとなって、ああ人間〜、あの人、この人、優しい、あったかい、嬉しい、感動だって、ああこんな語彙が少ないのかと思うほど、ありきたりな言葉ばかり出て来てしまった。
自分の心にはいくらでも装飾ができるのに。
そしてスッと戦う姿勢に切り替わった。
私は好きだという気持ちを言葉で表現して、人に寄り添いたい寂しがりやだなと自覚して。
私にとって、とてもいい会だった。
自分の言葉で自分の意思を人にしっかり伝えようと心がけ、伝え切ったから。
そこからまた、別の流れがはじまっている。そうか。人に言うと、心は脱皮して更新されるんだなあ。
この会のあとから、なんでか、急に、男受け、とか、常識、とか、普通であること、とかを気にしなくなった。
もう皆の前で変なやつだってこと曝け出しちゃったからな。
「アーティストは変っていうイメージを変えたい」といいつつ、自分はやっぱり変だった。
すみません。私は自分でいうのもなんですが、変でした。
ま、一様であるほうが恐ろしいでしょう。
自分は普通だと思って恐ろしい裏切りを繰り返している人よりはマシでしょう。
よく噛んで食べる。
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