2017年4月18日火曜日

個展「透明な器の底」について

命は「器」にたとえられることがある。 実存という現象に引っ張られているため、自分の中身は不動でみっちり詰まってるものだと捉えがちだけど、ほんとは常に入れ替わってるんじゃないかな。
そして、中に入ってるものが器の中で反響するから、まるでそれが自分であるように感じるんじゃないかな。
割れた鏡に同じ像が沢山映り込むみたいに。
そもそも器自体が底抜けで、もっともっと深くて遠くの、自分とか自分じゃないとかの曖昧などこかに繋がってるんじゃないかな。
例えば太古の記憶かもしれない。
時間や自我を超越した、現実と地続きの、目に見えないspace。

会場には「円型」や「器型」の作品がたくさん展示してあります。
円は個展タイトルのまま「器の底」を連想できます。

そのほかにも、「望遠鏡(マクロ)」や「顕微鏡(ミクロ)」、「人体の断面」「トンネル」「曼荼羅」が連想できると思います。
また、本物の陶器作品は、側面に絵が描いてあります。

当たり前のようだけど、器って絵に終わりがないんです。ループするんです。
器には「輪廻」を想起するスイッチがあるんです。
だから、悪いものを循環させてはいけない。器にはいいおまじないを込めました。

あとは、造形教室で働いていること、最近お仕事でたくさん描いた龍が自然と現れてきました。
辰年だし、茨城では竜神峡の近くに住んでいたし、龍には縁があるようです。
もともと大好きな靴、靴下、手もいろんなとこに隠れてるのでぜひ探してみてください。
なんでこんなとこに?てとこにもあります。

私が世界で出会ったことがあるもの全て、私と縁のある存在だと感じています。
だから、私は目に見えるものでも見えないものでも、地獄でも天国でも、ハムスターもクマも描いてみたいと思っています。

振り幅が大きいほど、絵は強度を増して真実味を帯びると思って、選り好みせずに色んなモチーフを描写していきたい!


つい最近まで「猫」や「犬」を「愛玩動物」「口当たりのいい素材」として遠ざけていましたが、私の愛する範囲は徐々に広がっているようで、猫も観察したい、犬も観察したい、そして自分流に描きたいって思うようになってきました。


地獄もお仕事でちょっこっと描いて、あー、私も鬼とか描けるようになったんだなー、とか思ったりね。もちろん地獄にも、私は極楽を描かなきゃやってられないんだ。


そのほかのキーワード
壺中之天
反転
蕾(つぼみ fat bud)

遊び
ユーモア


みたらわかるでしょ。そのほかって言ってるけどね、めっちゃ大事なこと。 

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