2018年7月5日木曜日

林的満月をすぎて

親しい人が国をつくるのが夢なのだと言っていた。
国とはなんなのだろう。
いろんな人がいろんな考えと言葉を持っているけど、国という表現はとても新鮮だ。
そしてめちゃ規模が大きい。
その話の続きを聞くのが楽しみである。


私がやるべきこと

徳島の方への作品制作にとりかかる(シヴァナンダヨガをはじめて瞑想を深める)
依頼されたデザイン作り2点
タブローへの取り組み


私は空回りと不安を繰り返す。
それを持ち直すために、瞑想が必要だ。
瞑想は、かならずしもヨガによって得られるものではない。
ヨガ が与えてくれるものではない。
なにもかも全て、入口でしかない。何も与えてなどくれない。
与えるのも見つけるのも決めるのも動くのも、全部自分だ。
そして自分というものがいかに曖昧な境界線上を漂うぼんやりとしたものかを思い知る。

全て入口だ。裏側も、現れた瞬間に表面に反転する。
それを繰り返している。
だから、どちらか、という分け方はできない。
無意味だ。

言葉すら無力だ。
私の言葉もずっと空転している。
声を出さなくちゃ。
サザンオールスターズの秘密のデートを弾き語らないと持ち直せない。

今自分がどこにいるかわからない。


直感に従うことが要だ。

それで大丈夫。

なんだかこわい。あまりに空回っていて、なんか苦しい。
絵を描く時だ。

女性は毎日生きることは変化ばかりなんだ。
変化ばかりなんだよ。ずっとずっと。

生理のことで悩みのない人は一人もいない。
ありとあらゆる痛みとありとあらゆる苦悩とありとあらゆる弊害がある。
それは私の偏見ではないはずだ。
まじ大変だなと毎月思っている。

あ、今生理なのかな、と読んだ人は思うかもしれないけど違う。
違っても違わなくてもどちらでもいいのに、違いますからって言いたくなるこの感じ、すごく自分でもいやだ。

林的満月というのは、叫びたくなる日のことを言う。
それがホルモンのバランス的にどのような地点なのかはよくわからないけど、様々な波が複合的に私を形成している。ということを常々感じるのが女性という生き物なのだ。

0 件のコメント: