2017年9月13日水曜日

マジックリアリズム

私は、魔法を知覚するときがある。
魔法はきっと「根拠のない自信」みたいなものだと思う。

なんとなく誰かと気持ちを共にしている気がして元気が出たり、その知覚が境目をなくしたとき、魔法を感じる。


「許されている」という感覚、「流れに乗っている」という感覚、「時間を忘れる」という感覚
色んな人間の知覚は、色んな宗教とも繋がっている。

生き物たちは神秘や魔法やエネルギーとなんらかの形で接続し、感じ取っているはずだ。

分子は温度が高くなると動きが早くなるらしいけど、「あー分子速い速い!」て感じたことはない。
めちゃ速いから目に見えないのかな?
ちょっと遅いから水は見えるの?
動かないから物はしっかりと見えるの?

私たちが見ているものはすべて動画だ。その前提があるから、絵だって物だって写真だって動画だ。

ミラーニューロンを知ってる?
他人の行動を見て、頭の中で同じことを再現してしまう脳神経の運動のことらしい。

絵を観てるとき、視線が動く。同時に脳神経も運動して、心も動く。
全てが動画なんだ。

目に見えるものを信じるという人も、極めれば目に見えないものを見ることになるだろう。
何故ならそこに境目はなく、延長線上にあるから。

目の前の出来事を乗り越え続けたら、人は世界の感じ方を更新していける。

2017年9月12日火曜日

「あなたが何事もなく元気なときは、必ず誰かの無償の愛が支えになっている」という言葉をこの頃よく思い出す。
普通に元気だな〜、ポテポテ
って歩いてるときにこれを思い出して、もしかしたらあの子やあの子やあの子のおかげかもしれない。と思って、ありがとねっ!て心の中で言う。
ブワーっと気持ちが外に広がっていく感じがする。
ごめんね。とも思う。
自分では気づかないことって沢山あるから。
きっとみんな、もー、て思いながら、チャラにしてくれてるんだよね。

2017年9月11日月曜日

追従したり手放したり

サラリーマンはクーラーが効きすぎる車内で私をあたためてくれる。大きく電車が揺れても微動だにしない。毎日混み合ったラッシュアワーで仕事へ行き、ヘトヘトでも満員電車に乗って帰宅する。会社大変なのに。
心に余裕がなくても我慢する。
サラリーマンは満員電車のマナーもルールも身に染み付いているプロフェッショナルだから、いつもありがたく思う。私は小学校1年生から満員電車で通学してたから、勝手な仲間意識がある。
満員電車に慣れない人たちはすぐわかる。肩かけカバンを前に抱えない。ポニーテールがしゃかしゃか顔に当たる。すぐふらつく。
満員電車リテラシーは別にあってもなくても良い。



高校の職員室に行くと先生たちがみんな同じ格好をしていて、自分もよく見ると似たような格好をしていて、笑っちゃう。

昔はスーツが苦手だった。
制服の子たちに囲まれるのも苦手だった。
いつのまにか慣れてすんなり受け入れている自分も変だなと思う。
学校にも制服、卒業して就職してもスーツ。
抗わないほうが簡単だけど、何かおかしいとは思わないのかな。
創造することに本気を出す機会はあるんだろうか。

本気で手に入れたものは、その人を高める良い循環を生み出してくれる。
金がいくらあっても、本気でお金を使うのは難しい。


移動中は制作ができない。
踊るしかない。
心の中でも思いきり踊ることができる。

最高潮を更新するために生きたい。



誰のため

自分のために作品つくってるんだ!と思うときと、他人のために作品つくる以外のどんな理由があるというんだ!と思うときとどっちもある。

根を掘っていくと、自分や他人の区別なく「魂」に向けて制作意欲を燃やしているんだと気づく。

自分も他人も。
人間だけのためだけでもない。
私はこのエネルギーと関わりあっているんだ。

地球のエネルギーをちゃんと感じてる?
土地のエネルギーの呼吸感じてる?
しっかり吸い上げて、エネルギーの媒体になるんだよ。


生きる活力を支える曲
ウルフルズの「あついのがすき」
くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」
元気でる!

2017年9月10日日曜日

目の前が暗くなる。
猫背になって下向きになり、体が閉じていく。
そんなときは手を開いて、体をふんわりと広げて、風になびく木々を見て、真っ暗な空を見上げて星の光を探す。
自分の心を宇宙に飛んでけってやると、自分の心がすっきりして戻ってくる。
不安なんてないな。
いつもちゃんとうちに帰れる。

今日は夏の大三角が見えた。

2017年9月3日日曜日

たとえば

気持ちを抑えると浅く淡い色味になりがち。
動揺して原色を使えばひとたび淀み濁る。
深く鮮やかな発色を目指して配合を変えて実験し続ける。
そんな時期

2017.9.2 note

一年前の私のトークを聞いた中学の後輩が、話が二転三転していくのがリアルで面白かったって言ってた。そしてそれを全て受け止める村上慧くんもすごいと。

私の作品はリアルと幻想と深層と表層とが行ったり来たりしてるから物の見方が崩れるというようなことを大学院の友人に言われた。

ノート開くと絵と文がごちゃまぜだったり、私はきっと色んな垣根を曖昧に生きてるんだな。

ニュー

私がなりたい、というか私ができそうな先生は正しい答えを教えてくれる先生じゃなくて、人それぞれにかける言葉が違う先生。

各々に問いかけを呼び起こす人になりたい。それは作家だ。
アーティストは必ずしも作品を作る人ではない。

私はアーティストという名に惑わされず、絵を描いたり遊んだり色んなことを面白がって試して、楽しく生きていきたい。

2017年8月31日木曜日

誇張も陶酔もしない切なさ

それはぼーっとした夕方の気持ち。

悲しくない、さみしくない、求めるものもない、ただぼーっと流れる切なさ。
誇張なく揺れる感情。

ほしいものなし。
こんなに私頑張ってるのに、というのもない。
私は自然に暮らしている。

いろんな気分を味わって、バランスの取り方を勉強している感じがする。

2017年8月30日水曜日

ネット販売はじめました

http://papillonner.thebase.in/

ポストカードは載せました。これから足していきます。

お手紙が届いた


わたしが元気なのが伝わったようで、うれしーな。
専門家に高く評価されているかは…わかりません…
手紙から、上京の旅が楽しみに満ちていたことがよーくわかった。
体力も食欲もあって。元気で何よりだ!

2017.8.29

言葉にもエネルギーがある。
力がある。
だから垂れ流しにはしないようにする。

2017年8月29日火曜日

個展がおわりました

今日搬出してきました。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
8日間で170人以上は来てくれたようです。
100人はビルで行われたイベントの来客者です。
私の作品を見に来たわけではなくても、これだけの人たちが観てくれたということ。


自分がどうしていきたいのかを、もちろん毎回変わりますけど
読み解いていく。

個展は5回目。
都内では3回目。
ご縁があって1年間でこんなに展覧会をさせてもらいました。
初めは慣れて当たり前になるまでやりたいと思っていた。
結構当たり前みたいになってきた。個展はできるものなんだと。
簡単ではない。
日々何かを作ることがどれだけ大事なことかがよくわかった。
間に合わせのもなんていらない。

仕事のない日は制作。
仕事と制作どちらも頑張りたい。
やりたいことがある。作家以外にも。
場数を踏んで、チャンスを虎視眈々と待つべし。

2017年8月26日土曜日

2017.8.25

人を愛することは恋愛に限らずだね。そしてその気持ちは末永く自分を支える力になる。

2017年8月25日金曜日

いい子になるより大切なこと

昨年の9月かな。吉原弁財天で壁画を描いていたらふらりと立ち寄った人に「曼荼羅を描いてくれませんか」と声をかけられた。
そのときは元気がなかったから難しくて、6月に「時が満ちたので描かせてください」と連絡をした。
それで本格的な曼荼羅を描きました。
なんとも不思議なご縁だな。

住んでいる徳島県から用事で吉原の近くに来て、歴史のある街だから一応見とくかみたいな感じで歩いてたら神社を見つけて、神社あったら入りたいタイプだから一応お参りするかという感じで立ち寄ったら私が絵を描いていた、ということらしい。
先日展示に来てくださり(なんてことだ)
色んな話をした。
この絵の前で座禅組みたいなとか、発想の仕方や絵の見方が興味深い。絵を自分のそばに引き寄せて見つめることができることはとても素晴らしいことだ。
壁を作らないでくださって嬉しかった。

絵に祈りを込めてください、とアドバイスをされた。

お菓子屋さんのエピソードが素敵だった。
知り合いのお菓子屋さんは毎日お菓子に声をかけてたんだって。
感謝する相手は必ずしも人だけではなくて、万物の全てだし、物の全てに声がある。対人じゃなくて対万物。
おかしがものすごく稀に返事してくれたこともあったらしい!笑
お菓子屋さんは信仰心はなかったけど、色んなものにいつも感謝をしていたらしい。
徳島の人も、毎日朝には玄関とトイレを掃除してるんだって。掃除すると嬉しいしありがたいと思えるみたい。そうやって感謝できる時間をライフワークにしているの。

それらの話を聞いて思ったけど、人に対して善人であるとか「いい子」になることよりも、黙々と功徳を積むことが何よりも人を豊かにするんじゃないかなって。

曼荼羅はちゃんと参考作品があります。でもトレースはしてないです。
毎日拝むものだから、疲れない絵にしようと思って色を選んだつもり。
ここから作品が熟成していくのかな。
私の曼荼羅はまだまだ。頑張ろう。


夏の中道

夏は暑ければ暑いほど、冬は寒ければ寒いほど良いのだと俳句の師匠が言っていた。
朝7時、この時間でこの暑さ!
昨晩は小さいお友達と「ここはサウナですか?それともサウナじゃありませんか?」「サウナです!」という遊びをした。
明治時代にかかれた本にもうだるように暑い、辛いって書いてあった。
暑ければ暑いほど、夏は良い。

誰かの人生を羨んでいる時は、自分の魂が泣いている時だ。
大切な人が目の前で泣いていたら自分はどんなことをしてあげるだろうって考えてみるといい。

怒りに満ちている人はその炎が自然に燃え尽きて消えていくまでちゃんと見守っていればいい。
見てるだけでも以外と大変。

悩んで苦しんでもがいている時はなんにも見えない。それはチベットの死者の書にある生と死の間の道「バルド」で出会うまやかしと似ているんだと思う。
そんな苦しい中で沢山選び間違えて失敗することは、死者の書では色んな世界への生まれ変わりに通じている。

仏教は宗教であり哲学であり、生活の知恵だと思う。信じるか信じないかの二者択一で測れるものではないと思う。
色んな教えが自分に巻き起こる出来事と重なってみえる。

この苦しみ、選択、乗り越えるの繰り返しは1人の人生よりさらにさらに大きな流れへと引き継がれて続いていく物語なんだろう。



2017年8月23日水曜日

2017.08.23

寝る前にブログ書きたくなるのね
考え事するせいだ
悔しくてね
半端に終わった制作を振り返りながら

あとから響く statement

人は遊びながら生きている



2017年8月22日火曜日

作家になれるか

乗り越える快感を持てなかったら作家活動はできない

と誰かが言ったそうな。
作家の友達と話してた時に聞いた。

確かに。

まだ未熟なのが嬉しいって思えるのは、成長する楽しみを持っているから。

希望を持ち続けられる。