見直そうと思う意識いろいろ
独り占めしようという気持ち
所有しているという感覚
など
まだ色々ある。
これは自説なのだが
たった1つでも響くフレーズがあれば、その本は面白い本と言える
いろんなことに応用できると思っている。
意味がないと思うような仕事でも、たった1つ大切なフレーズを見つけられて
それを届けられたら、よい仕事なんじゃないかなと。
人生もそういう感じでよいのかもね。
私の絵は救いがあるって古川弓子さんに言われてから
ずっとずっとその言葉に救われてきた。
そして私の絵には、確かに希望とか、人を癒す力とか、他人の幸福を喜ぶようなあたたかいエネルギーが宿っているのではないかな、と思っている。
私は信じている。
誇りに思っている。
ありがとう。
2017年6月20日火曜日
痕跡
細い糸も未来につながっている。
太く編まれた綱も、か細い糸も、何かの力で未来と引き合う。おんなじ原理で。
時を越えて、何が残るのだろう。
私はこの瞬間、何を置いていくのだろう。
何かが終わらないと、何もはじまらない感覚がある。
終わってほしくない。
喜びを始点に飛び回る自由な実体を目指そう。
日々の当たり前の中にある 再死 再生 を観察する必要がある。
コップに注がれたお茶が決壊する瞬間
表面張力
今晩はこれを必死で撮ろうとしていた。
太く編まれた綱も、か細い糸も、何かの力で未来と引き合う。おんなじ原理で。
時を越えて、何が残るのだろう。
私はこの瞬間、何を置いていくのだろう。
何かが終わらないと、何もはじまらない感覚がある。
終わってほしくない。
喜びを始点に飛び回る自由な実体を目指そう。
日々の当たり前の中にある 再死 再生 を観察する必要がある。
コップに注がれたお茶が決壊する瞬間
表面張力
今晩はこれを必死で撮ろうとしていた。
良い絵
いい絵 がなんで いい絵なのか
いろんな外界の出来事に影響をうけて、私はこれでよいのか、私もなにかこの出来事に対してアクションを起こさなければ、などと考える時のこの揺動は後ろめたさからなる不安。
その揺動によって自分の中のズレとブレを認識する。
体幹が反応して体内時計が動きだす。
このぐらつきは俗世に生きているから感じるものなんだ。
SNSのおそろしさは自分の気持ちが正しいか、迷っちゃうところ。
自分の気持ちに、生真面目になりすぎちゃうところ。
いい絵、うまい絵、響く絵、違いはあれど
絵や世界と真剣に向き合う人の姿はやはり美しい。
活躍している画家たちは自分にないものをたくさん持っていて羨ましい、でもある。
羨ましい、悔しい この2つはなかなか乗り越えられないんだ。
この気持ちも大切なのだろう。
私が自然現象だとするならば、私の意志は自然に生み出される波なんだろう。
波とか、現象のすべてを観察しよう。物とか人とか、何もかもの区別なしに。
そういう風に受け入れて、通る、透明な声を発したいと思っている。
いろんな外界の出来事に影響をうけて、私はこれでよいのか、私もなにかこの出来事に対してアクションを起こさなければ、などと考える時のこの揺動は後ろめたさからなる不安。
その揺動によって自分の中のズレとブレを認識する。
体幹が反応して体内時計が動きだす。
このぐらつきは俗世に生きているから感じるものなんだ。
SNSのおそろしさは自分の気持ちが正しいか、迷っちゃうところ。
自分の気持ちに、生真面目になりすぎちゃうところ。
いい絵、うまい絵、響く絵、違いはあれど
絵や世界と真剣に向き合う人の姿はやはり美しい。
活躍している画家たちは自分にないものをたくさん持っていて羨ましい、でもある。
羨ましい、悔しい この2つはなかなか乗り越えられないんだ。
この気持ちも大切なのだろう。
世の中とのズレは簡単に捨てたり忘れたりしないほうがいい、じっくり向き合う価値のある感覚だと思う。
私が自然現象だとするならば、私の意志は自然に生み出される波なんだろう。
波とか、現象のすべてを観察しよう。物とか人とか、何もかもの区別なしに。
そういう風に受け入れて、通る、透明な声を発したいと思っている。
2017年6月12日月曜日
絵描きのきもち
ちょっと前に日曜美術館で「見つめる眼 震える心 由一 劉生 ニッポンの写実画のゆくえ」という特集があった。
現代の画家が何人も出てくる。こういうのみたかったんだ。
絵描きは基本的に好きだ。
感情移入しちゃったな。
写真に印刷して、それをひたすら模写して全体の絵を作っていく作家がいた。
絵を描くということは憑依することでもあるから、自分の意思も意識も排除したい、完全なオートマティックでありたいという気持ちはよくわかる。
描くことは観察すること
物の理をえがこうと、昨日から一枚
鉛筆を紙に押しつけ、手を動かしている。
無数の線が重なり内から外へ広がっていく
それは自分が描いている線だが、コントロールしているのは自分ではない気がする。
ここからこの広がりはどこへ向かっていくんだろうと、自然現象を観察するような視点を持っている。
描きながら観察し、描きながら考え、描くことではなく観察することに集中している時は「ぜんぶが調和している」心地になる。
折り曲がり、回り込み、奥まり、放出し、漂い、吸い付き、増殖し、絡み合う
紙の上で起きていることは自然現象の中の、目に見えていない微細な変化や成長と類似しているんだろう。
物の理を描こうとすることで、私という幻と物質界の現象を全て透明にできる。透き通って、境がなくなる。
鉛筆を紙に押しつけ、手を動かしている。
無数の線が重なり内から外へ広がっていく
それは自分が描いている線だが、コントロールしているのは自分ではない気がする。
ここからこの広がりはどこへ向かっていくんだろうと、自然現象を観察するような視点を持っている。
描きながら観察し、描きながら考え、描くことではなく観察することに集中している時は「ぜんぶが調和している」心地になる。
折り曲がり、回り込み、奥まり、放出し、漂い、吸い付き、増殖し、絡み合う
紙の上で起きていることは自然現象の中の、目に見えていない微細な変化や成長と類似しているんだろう。
物の理を描こうとすることで、私という幻と物質界の現象を全て透明にできる。透き通って、境がなくなる。
2017年6月11日日曜日
愛と夢と、リラックス
制作している時は大抵自分を追い込んで気が緩むのを許さなかったけど、私のいいところをいかすにはリラックスすることが一番大切なんじゃないのって、「愛と夢とリラックス」とか言ってたのに今ようやくわかった。
わたしは楽しんで安心したほうがのびのびした絵が描けるんだ。
2017年6月10日土曜日
魂を揺さぶる絵が観たい
始まったばかりの恋みたいに心の最高潮を更新するような体験も、
眠りに落ちる直前、無意識に浮かび上がった出来事の点がつながりあって星座を浮かび上がらせるような深く静かなざわめきも、
どちらも大切だと思う。
音楽や身体表現は人を恍惚的なトランス状態に誘うことができる。
絵は後者のような深く潜るトランス状態をもたらす。
絵でも激しく揺さぶりたい。
自分の命の本気を感じたい。
眠りに落ちる直前、無意識に浮かび上がった出来事の点がつながりあって星座を浮かび上がらせるような深く静かなざわめきも、
どちらも大切だと思う。
音楽や身体表現は人を恍惚的なトランス状態に誘うことができる。
絵は後者のような深く潜るトランス状態をもたらす。
絵でも激しく揺さぶりたい。
自分の命の本気を感じたい。
2017年6月5日月曜日
温かい波動
4月2日の誕生日に髪を切ってから、自分の変化が、めまぐるしい。
実感を伴うエネルギーの手触り。
とうとう額のチャクラが動き出した。
私にとっても、私という存在は宿り木なのだと思う。
だから、私を宿り木にして色んな人が休んでいけばいいと思う。
私がひとりじめする理由もないから。
これはボランティア精神やサービス精神とかそういう類の気持ちじゃなくて、存在論みたいな感じ。存在するということの、本来。
これはボランティア精神やサービス精神とかそういう類の気持ちじゃなくて、存在論みたいな感じ。存在するということの、本来。
温かい波動が私の中にぽたりと落ちて、身体中を巡っていくのを、確かに感じている。
こんなに鮮明に感じ取れるんだ。
俗世の速度と私の速度が違うので、私の目に映る世界は黄色っぽくて、ぺらっと平らでおぼつかなく見えた。
パラレルワールドにいるみたいだった。
大きな空を覆う大きな雲。
切り裂かれた雲間から見え隠れする月と星。
それだけがあまりにもリアルだった。
私がアートクラスを立ち上げたら「ナチュラルハイスクール」にしようかなというくだらない閃きが脳裏をよぎる。
そんな日。
2017年6月4日日曜日
友深
友深という名前のこと。
「友」という漢字は 手と手をとりあう姿から生まれた形。
「互いに助け合う・志を同じくする仲間」を表しているらしい。
姉の名前に入っている「侑」も、かばいあう、支え合うという意味があって、姉妹で同じ意味を持っている。
同志と出会うこと、深いところで繋がること
それはまさに自分の人生だなと感じる。
また一人、深い心の友ができた。
大切な人の大切な愛に触れると、魂が言葉にできない感情のさざ波を起こして涙を溢れさせることがわかった。
なんだかわからないけど、祈る気持ちになった。
昼間はギターを弾きながら歌を歌った。
なんでだろう。
それぞれが幸せでありますように、と願った。
PRAYER 矢野顕子
「友」という漢字は 手と手をとりあう姿から生まれた形。
「互いに助け合う・志を同じくする仲間」を表しているらしい。
姉の名前に入っている「侑」も、かばいあう、支え合うという意味があって、姉妹で同じ意味を持っている。
同志と出会うこと、深いところで繋がること
それはまさに自分の人生だなと感じる。
また一人、深い心の友ができた。
大切な人の大切な愛に触れると、魂が言葉にできない感情のさざ波を起こして涙を溢れさせることがわかった。
なんだかわからないけど、祈る気持ちになった。
昼間はギターを弾きながら歌を歌った。
なんでだろう。
それぞれが幸せでありますように、と願った。
PRAYER 矢野顕子
2017年6月1日木曜日
WEBサイトツクッタ
林友深ウェブサイト
ウェブサイトつくった。まだ、準備中のページもあります。
これからこっちに作品とか貼り付けて、ここは日記に集中します。
みやすくなるといいなー!
ご依頼など待ってます。
ウェイウェイ ( ^ ^ )/
ウェブサイトつくった。まだ、準備中のページもあります。
これからこっちに作品とか貼り付けて、ここは日記に集中します。
みやすくなるといいなー!
ご依頼など待ってます。
ウェイウェイ ( ^ ^ )/
2017年5月29日月曜日
魂の声を聴く方法
わたしがわかっているのは
自分のために声を出すこと。
なるべく静かな状況で、歌をくちずさんでみる。楽器を演奏しながらだと尚楽しい。
自分の声を、自分のために出す。
こういうことをしてわかるのは、表現ってかならずしも他者のためのものではなく、外部に開かれていなければならないわけでもないってこと。
自分のために声を出すこと。
なるべく静かな状況で、歌をくちずさんでみる。楽器を演奏しながらだと尚楽しい。
自分の声を、自分のために出す。
こういうことをしてわかるのは、表現ってかならずしも他者のためのものではなく、外部に開かれていなければならないわけでもないってこと。
人間のためだけでもないと思う。
優しくて豊かな自由を、獲得していきたい。
優しくて豊かな自由を、獲得していきたい。
人の弱いところもいっぱい知りたい。
全部放り投げろ あとは着地させるだけ
物理の法則知ってる?
放り投げたら、落ちてくるんです。
放り出しっぱなしにしたとしても、ちゃんとその洗面所の髪の毛たちは洗面所で生き続けます。腐る、汚すというパワーが働きます。自分で始末をしない限り。
世の中の速度にそって生きていられるわけじゃない。
足が棒になって、目を開いても脳がねじれて、地面がどんどん加速していく時がある。
立ち止まればゆっくり流れている雲や、季節や、蟻に気づくことができる。
自分の努力も我慢も、自分では気づかないことがいっぱいある。
無意識のうちに否定してしまう過去も、見ないふりをしていた課題も。
たまに、突然、わたしの魂に声をかけてくれる人が現れたり、芸術に出会ったり、現象を目の当たりにしたりする。
そうすると、自我と魂がひとつに結ばれるんだね。
自我が「ごめんごめん、突っ走ってた。追い抜いてた。」って言って戻ってくる。
すぐ離れがちなんだけど、きっと、ずっとそのトンネルは繋いでおいたほうがいい。
鍵をかけてもいい。このトンネルはちゃんと自分で設計して、組み立てたほうがいい。
魂は、けっこう頑張り屋で、無口で、繊細。
魂同士の言語があって、それを伝え合うことができると嬉しいんです。
自我は、魂あっての自我。
魂は、曇り空の満月のまわりにできる光輪みたいなもん。
条件が合わないと顔を見せない。
目に見えないけどそこにあるもの。
この文章、私が読み聞かせてあげるよ。 そのほうが伝わる気がするなあ。
きっとどこかに着地するから、全部放り投げていいよ。
あらゆる魂たちを喜ばせたい。
放り投げたら、落ちてくるんです。
放り出しっぱなしにしたとしても、ちゃんとその洗面所の髪の毛たちは洗面所で生き続けます。腐る、汚すというパワーが働きます。自分で始末をしない限り。
世の中の速度にそって生きていられるわけじゃない。
足が棒になって、目を開いても脳がねじれて、地面がどんどん加速していく時がある。
立ち止まればゆっくり流れている雲や、季節や、蟻に気づくことができる。
自分の努力も我慢も、自分では気づかないことがいっぱいある。
無意識のうちに否定してしまう過去も、見ないふりをしていた課題も。
たまに、突然、わたしの魂に声をかけてくれる人が現れたり、芸術に出会ったり、現象を目の当たりにしたりする。
そうすると、自我と魂がひとつに結ばれるんだね。
自我が「ごめんごめん、突っ走ってた。追い抜いてた。」って言って戻ってくる。
すぐ離れがちなんだけど、きっと、ずっとそのトンネルは繋いでおいたほうがいい。
鍵をかけてもいい。このトンネルはちゃんと自分で設計して、組み立てたほうがいい。
魂は、けっこう頑張り屋で、無口で、繊細。
魂同士の言語があって、それを伝え合うことができると嬉しいんです。
自我は、魂あっての自我。
魂は、曇り空の満月のまわりにできる光輪みたいなもん。
条件が合わないと顔を見せない。
目に見えないけどそこにあるもの。
この文章、私が読み聞かせてあげるよ。 そのほうが伝わる気がするなあ。
きっとどこかに着地するから、全部放り投げていいよ。
あらゆる魂たちを喜ばせたい。
言葉が持ち去る感覚
言葉は気持ちを覆う薄い膜みたいなもの。
イラストレーターのパスみたいなもの。
解像度をあげていくと、少しずつズレているのがわかる。
完全にフィットする瞬間は、モンスターボールがクリティカルヒットすることよりももっと神秘的で大波のような気迫がある。
写真を撮りながら、絵を描きながら
いろんな出来事が写真や絵の用語で置き換えられていく。
網膜に「焼き付ける」とか
ピントを合わせるとか
カメラができる前、この「焼き付ける」感覚は、なんと表していたんだろう。
展示でいただいたスパークリングワインをやっと開けた。
美味しかった。
ウィスキーグラスで2杯、もうそれだけで、酔った。
頭が痛くて2時に起きた。
鼻水が止まらない。
日が出てきたので、写真を撮りに行った。
輪廻が真実かはわからない。
イラストレーターのパスみたいなもの。
解像度をあげていくと、少しずつズレているのがわかる。
完全にフィットする瞬間は、モンスターボールがクリティカルヒットすることよりももっと神秘的で大波のような気迫がある。
写真を撮りながら、絵を描きながら
いろんな出来事が写真や絵の用語で置き換えられていく。
網膜に「焼き付ける」とか
ピントを合わせるとか
カメラができる前、この「焼き付ける」感覚は、なんと表していたんだろう。
展示でいただいたスパークリングワインをやっと開けた。
美味しかった。
ウィスキーグラスで2杯、もうそれだけで、酔った。
頭が痛くて2時に起きた。
鼻水が止まらない。
日が出てきたので、写真を撮りに行った。
輪廻が真実かはわからない。
だけど、毎日微かに自分の中の何かが死に、それを温床にまた何かが生まれ続けているような気がするんだ。
2017年5月27日土曜日
エネルギーを巡らせる仕掛けの価値を知った
同じじゃなくて良いじゃないか
相手と自分が違うのは当たり前だという当たり前を、時々人は忘れてしまう。大きなエネルギーを誰かに向けはじめると、その力に振り回されて混乱してしまう。
私は、ひとまず乗り越えられた。
なんでかな、と思っているけど
わかると確信してくれる人がいた。なんでかな、と思っているけど
ありがとう。
2017年5月23日火曜日
5月の展覧会鑑賞
先日、友人に教えてもらい、ワタリウム美術館の坂本龍一の展覧会を観た。
また、母校の先生の投稿で草間彌生の展覧会が最終日だと知り、いそいで観に行った。
坂本龍一…よかった…
草間彌生…細胞たちがみんなありがとうって言ってる。
細胞と、音と、風と、光と、物と、風景と
原子から宇宙まで、エネルギーの造形物たちが、ありとあらゆる「種」が呼応しはじめた。
全部が網目になっていて、単体では存在し得ない。
言葉では、それは「事実」なのだとしか言えない。
この網目の波を皮膚や網膜や全身で実感したとき、それは「真実」になる。
2017年5月22日月曜日
saisei
昨日女友達に偶然会って、二人ともあまりにピカピカツヤツヤキラキラしてたのでうかれた。
強い言葉が口をついて出る時がある。そういう時の自分は好きじゃない。
みんな笑ってくれるけど、私が言いたいことってそれじゃないのに、って心の底で思う。
日頃からいろんなことを素直に言いまくろう。
強い言葉は弱さの表れだと思う。
学部時代の「いつものメンバー」とも会った。
あらためて考えてみると、みんなの作品の作り方とか、考え方とか、まったく普通じゃないから好きだな。
ものすごく個人的なところが良いんだ。
自分の底から出てくるメッセージを紐解こうとしているように見える。
表面的な真面目さとか、浮き彫りになっている社会問題とかを、根こそぐような個人的感情。個人的意識。
個人的になればなるほど遠くの世界とリンクしていく。
綺麗事のように出来事を整理しない。優しさもほどほど。
CoolとかSmartって、恥や狂気の先にあるものだと思う。
そつなくこなしちゃう先にはなんにもない。
良い子ぶっても悪い子ぶっても良いけど狂気がないと現実に飲まれる。
狂気は心の拠り所になる。
ときどきふんわりした作家を見て、まだ自分の中の魔物と対峙してないんだなって思う。
他人は、自分の思った通りにいかない。
同一化したいと願う気持ちもわかる。
仙ちゃんに悩みを話すといつも「林がんばれよ!」 って言われてた。
私のおもーーい悩みを全部「林がんばれよ」で終わらすっていう遊びでもあった。
真剣に話を聞いてくれることと、アドバイスは別なんだ。
話聞いてくれるだけで良いんだよ。
これが差異性かなって。
自分が思った通りにならないとしょぼんとしがちだけどその差異はとても面白くてクリエイティヴなヒントにあふれていると思う。
みんながウンウンそうだね、ウンウンって答えて優しくアドバイスしてくれて、ウフフ!ウフフ!っていう世界になったら、多分わたしは憤怒して面の皮をはごうとすると思う。
ほんとはそういう世界が理想なのかもしれないけど、いや絶対にちがう。絶対にちがうと私は思う。
なんのために思春期があって、なんのために性欲が爆発する活動期があるのさ。
狂気と恥は、自我の深みと向き合うイニシエーションなんだと思う。
強い言葉が口をついて出る時がある。そういう時の自分は好きじゃない。
みんな笑ってくれるけど、私が言いたいことってそれじゃないのに、って心の底で思う。
日頃からいろんなことを素直に言いまくろう。
強い言葉は弱さの表れだと思う。
学部時代の「いつものメンバー」とも会った。
あらためて考えてみると、みんなの作品の作り方とか、考え方とか、まったく普通じゃないから好きだな。
ものすごく個人的なところが良いんだ。
自分の底から出てくるメッセージを紐解こうとしているように見える。
表面的な真面目さとか、浮き彫りになっている社会問題とかを、根こそぐような個人的感情。個人的意識。
個人的になればなるほど遠くの世界とリンクしていく。
綺麗事のように出来事を整理しない。優しさもほどほど。
CoolとかSmartって、恥や狂気の先にあるものだと思う。
そつなくこなしちゃう先にはなんにもない。
良い子ぶっても悪い子ぶっても良いけど狂気がないと現実に飲まれる。
狂気は心の拠り所になる。
ときどきふんわりした作家を見て、まだ自分の中の魔物と対峙してないんだなって思う。
他人は、自分の思った通りにいかない。
同一化したいと願う気持ちもわかる。
仙ちゃんに悩みを話すといつも「林がんばれよ!」 って言われてた。
私のおもーーい悩みを全部「林がんばれよ」で終わらすっていう遊びでもあった。
真剣に話を聞いてくれることと、アドバイスは別なんだ。
話聞いてくれるだけで良いんだよ。
これが差異性かなって。
自分が思った通りにならないとしょぼんとしがちだけどその差異はとても面白くてクリエイティヴなヒントにあふれていると思う。
みんながウンウンそうだね、ウンウンって答えて優しくアドバイスしてくれて、ウフフ!ウフフ!っていう世界になったら、多分わたしは憤怒して面の皮をはごうとすると思う。
ほんとはそういう世界が理想なのかもしれないけど、いや絶対にちがう。絶対にちがうと私は思う。
なんのために思春期があって、なんのために性欲が爆発する活動期があるのさ。
狂気と恥は、自我の深みと向き合うイニシエーションなんだと思う。
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