2014年12月3日水曜日

男にも女にもなりたい

自分を肯定できないのは辛いね。
さっさと肯定してしまって、もっと別のことを考えるべきだと思う。
私の頭の中はドラマチックだな。

5月の時点でも、まだ苦しかった。
10月くらいまで、苦しかった。
春先頃までは、ありえないほどに苦しかった。

恨み言ではありません。


苦しくてよかった。


出会いも、別れも、大切にできる人間に成長した。


別れはとてもこわいけど。



何が幸せなのかとか、わからないね。

2014年11月30日日曜日

the water is wide

雨に濡れた朝の紅葉はいつにも増して鮮やかで、美しい。
新しく開けるペンキは絵の具が柔らかく、滑らかな描き心地が程よい。

描いているものと、その場の風景が繋がってることが嬉しい。山を背景に、山を描いていることが嬉しい。
現実とイメージの世界が直接的に、親しげに繋がっている様子は私の創作意欲を余計に鼓舞する。
そして、ここに描いている精霊たちは、水府に住む子供達と繋がっている。
私は目に見えるものと見えないものを編み合わせるシャーマンだ!

最近とくに、繋がること、途切れてしまうことについて想ったり、感じる。

繋がり、途切れ、結び、解き、編み込む…そういったいろんな形の「繋がり方」や「余白」が作り出す絶妙なバランスの文様を、見つめられるようになってきました。

1年前とは生きている次元が違う。




2014年11月24日月曜日

あらためて繋がる

途切れていた何かが、少しだけまた繋がりを取り戻すように、動いた。
それでいい。

私が私を見失ったら、私と私は別々に引き裂かれてしまう。

色んなことが繋がっていくと、それがどんな形で、どんな配置なのかを考えてしまう。
それを絵にしたくなる。
この時の自分の心を全て、画面に打ち明けたくなる。
そしてその深淵を覗き込みたい。
私の謎を教えてもらうために、私は絵を描く。

空は青く、地上は浮いている。


yogee new wavesの歌詞にはよく「アーメン」とか「神」とか出て来る。
なんとなくキリスト教の文化を持った人なのかなと感じるところが多々ある。
私の中でだんだんと、色んな宗教の様々な教えの意味や本質が、全て1つのところで繋がりはじめている。
今までは「キリスト教はあんまり」とか「宗教ってのがな・・」とか思っていたんだけど
「宗教」自体がとても大きな大きな大きな、色んな意味を持つ単語に変わりつつある。

私は全ての事実を受け止めてこれからも受け入れて生きていくだけだ。

昨年から感覚が鋭く開きはじめた。
色んなことがなんとなくわかる。「なんとなくわかる」という感覚に気付くようになった。
感覚が鋭敏であるということはスピリチュアルであるということと同じことなんだ。
本来人は、全部透明で、目に見えないものを見ることができたり感じることができる、時空を越えることができるんだ。

感覚はどうやって開くんだろう。
なんで私は、あの瞬間から開き始めたんだろう。
なんか、自分の生きるべき道にしっかりと切り替わった、という大事な瞬間だったのだろうな。

絵を描く行為は、4万年の「絵画」の歴史をなぞる行為でもある。
洞窟画の時代にタイムスリップしたり、憑依する行為でもある。
学部4年生の時に7メートル×7メートルのベニヤを床に敷いて絵を描いたことがある。
そのときに、そう感じた。
絵を描くという行為そのものの長い長い歴史の中を旅しているという感覚。

そう考えると、あらゆる身体的な動きは、大昔の人々の動きと繋がっている。
その繋がりを作り出す装置がきっと精神なのだろう。
精神世界というのは時空を越えるエレベーター。

私はシャーマンのように絵を描く。
そしてチベット僧の「砂曼荼羅」という修行のように、祈りを込めて絵を描く。

yogee new wavesから感じるキリスト教の雰囲気。
The Inoccence Missionのカバーアルバムに入っている古い民謡?あるいは賛美歌?のような伝統的で宗教的な曲。荘厳な祈りを感じる。そこにもキリスト教の一片を感じる。
これまではそういうのを「自分と違うな」と思っていたけど、今は宗教の違いにとらわれなくなったのでそうは感じない。
大きな意味での「祈り」や人間の本質みたいなものを強く、感じるようになった。
美しいと思う気持ち、好きだという気持ち、むかつく気持ち、色んな気持ちで色んなものと結びついて揺れている。

こうやって心境を吐露するだけでなく、思考を組み立てなければならない。
私の安定した城をいったん築いてみないといけない。
そこから見える風景も描写しなくてはならない。
芸術家だから。

先週、作家のお手伝いで荒川修作の話になり、読んだことあるやつだったけど、本を貸してくれた。
そして、あらためて読み返している。
その作家、弓子さんの息子の名前は「渉」。
とても尊敬している山洋平さんという画家の息子の名前は「ルアプカシ(道を歩く)」。
つい先日子供が生まれた、今もっとも東京で熱い女にして最愛の親友の名前は「歩音」。
最近つい「歩く」ということに気を向けることが多い。
こんなに人を変化させた慧くんは偉大だ。
これからずっと、私は彼の研究者だ。
偉大な人が、生きてそばに存在していることが嬉しい。
偉大な「アーティスト」である以前に偉大な人間味の塊だ。
人間であることを受け入れて、でも、受け入れていない。
それが人間らしさかもしれない。
あがいて、あがいて、あがいているところが、胸を打たれる。
悔しいとかさみしいとか嫉妬とかそういう気持ちではなく、ぐっときたり、感動したり、嬉しくなったり、わくわくしたりする。
なんだかとてものびやかな心持ちになるのだ。
草原にふわりと横たわるような開放感が呼び起こされるのだ。
リラックスしながらも、世界に声を発したくなる感じ。

優れた作家は、作品によって、鑑賞者の全身の神経や器官を目覚めさせる。

ああ、最近いろんなことが辛かった。
疲れていた。
ありがとう、色んな人にありがとう。
感覚が蘇ってきた。
よみがえってきた。

残らない日々

タンタンタン ピアノの音に耳を澄ます。
Somewhere a Star Shines for Everyone. La La La La.... 音に乗せてふるえる美声が骨に響く。

私が救われる瞬間は、言葉を紡ぐ時。自分の言葉が溢れてくると安堵する。
ギターを抱えている時。指で弾いて正しいチューニングで音が重なると、安心する。
絵を描いている時。そこには必ず救いと祈りが含まれているから。

The Innocence Missionのアルバム「now the day is over」を聴いている。
Over the RainbowとかMoon RiverとかEdelWeissが入ってる。なんて素敵な声なんだ。
自分の心の青みがかった闇にロウソクの火が灯る感じがする。
私はBye-LoとNow the Day Is Overという曲がお気に入り。
途中、インストゥメンタルも入る。
Sonata No.8は昔、ピアノでよく弾いていたから好き。

私にとって最も落ち着く、原点の衝動が「会いたい」という気持ち。
「ああ、会いたいな」と誰かを想う時って幸せじゃないかな。

出会い、別れても心に留まるあの人、この人。
軌道がまた交差する相手もいれば、もう二度と会わない人も、いるだろう。
どうであろうと心にふっと現われる。あの人、この人。
嫌なことも良いことも、心は不意に引っ張り出してくる。
感覚が作り出すリズム。私の呼吸。

今はこんなセンチメンタル。

忘れちゃうんだよな。
書き方、喋り方、考え方。
私のリズムを忘れちゃうんだ。
最近、その日その日で精一杯で、夕方になると今日が何日なのか思い出せない。
さっきから今日が何日か全然思い出せなくて、明日の予定から今日の日付を割り出してみたけど、まったく腑に落ちなかった。
どうして11月24日なのだろう。
何がどうしたら11月24日になるのだ。
私の心はいつから止まっているのだろう。

泣きたい。
散歩しながら恋人に電話したい。
恋人いなかった。

人の、優しい声は、ほんとにほんとに、私の想いを、悲しみを、ぎゅっと抱きしめてくれる感覚がして、泣けるよね。
昨日電話で話したお友達にありがとう。
心からのありがとう。
倒れ込んだ私を優しく受け止めてくれたその温もりに心を解いてもらったよ。
どれだけ彼女に元気づけられたか・・・。

この前2人で行った飲み屋がすごく美味しくて、あの日がとても心に残る。
残らない日々で、私をうっとりさせてくれる出来事。
また会ってあの店に行きたい。
会える日を楽しみに待つ、残らない日々。

2014年11月18日火曜日

観念と経験的観測と常識と一般論、言い切れないこと、言い切りたいこと、鋭く 切り込むことで自分の心を乱すこと

予備校時代の恩師である古川弓子さんのアシスタントを微力ながら、かつ短期間ですが、させていただいております。現代美術家として活躍するアクティブでエネルギッシュで美しい弓子さんとお話するのがとても新鮮で楽しいです。絵を描く行為、作家の生き方などは、今の私にとって一番リアルなテーマです。
時間は有限で、しかも止まらない。考え過ぎて思い詰めることもある。それでも日々は流れるので金もかかり、それに伴って働く必要性が生じ、思考をどこにも着地させられぬまま、追い立てられるような生活に息が詰まる。そうしているうち、いつの間にか日常に埋もれそうになることがある。
自分を覆う観念や習慣を「皮膚」と考えるのか、「壁」と考えるのか。それだけで視点がガラリと変わる。いつも何かを選択したり、削ぎ落としたり、判断したり認識したり疑ったり構築したり解体したり回避したりする。疲れる。
言い切りたいけど言い切れない時、自身の寛容性が問われる。


一つの確信をたずさえて、あらゆる可能性の中でもがき続けることが私の人生だ。


2014年11月12日水曜日

愛にまかせ 風にまかせ

本日の仕事が終わったので自分の時間。0時28分。

先日、焼酎飲んだ瞬間に涙ポロポロ流す事件があったばかりなのに、なんと一升瓶の焼酎を頂きました。芳醇で甘く、一滴一滴が食道を熱く焦がしながら胃に駆け下りてゆきます。

寒い。

明日は7時に起きて壁画を描くのだ!

いそがしい!

書くことが思いつきません。
最近すこしナーバスなので。
お。目の前にあるものが全部、澄んだ薄黄緑色だ。
1000札も含め。

yogee new wavesのPARAISOというアルバム聴いてます。
はいはいキスとか離れたくないとか会いたいとかね。
はいはい。
でも
「愛にまかせ 風にまかせ」って歌詞すきだよ。

2014年11月11日火曜日

文字も絵も歌も繋がっている

スーパーからの帰り道、甘そうに黄色いお月様と、真っ黒いシルエットのお山。光と闇のコントラスト。まるで昔話の世界。


最近ブログがかけません!

2014年11月3日月曜日

一年

はじまって溶けてゆく恋も
強がって崩れてく嘘も


今は何かためる時期なのかな。
言葉になる、なり方が違うのかもしれないな。


昨年の12月からどんどん精神世界と現実世界が繋がっていく。
感覚が鋭敏に、豊かになっていく。
契約はまじないだ。
縛りつけることで魔除けにもなるけど、自由になるべき心を深く閉ざし封じ込めることにもなる。

悪魔と契約しないことだな。

移住して一年が経つ。

明日は委嘱状交付式だ。


移住してはじめて行ったイベントは里美のかかし祭りだった。
今年のかかし祭りはお客さんではない。
一年はあっという間だけど、そのあいだになんという沢山の学びがあったのだろう。
三年間で慣れる部分もあるだろう。でも新鮮さを失うことはないだろう。

ふてぶてしさが少し身に付いてしまった。
そういうのはよくない。
でも私はギラギラし過ぎているのでつい鋭く切り込みそうになる。
ごたくは良いのでシンプルにやっていこうよってさ。

人にどのように愛を持つか
底知れぬ愛を感受する気持ちを、しっかり携えよう。
脇に抱えず、懐に抱こう。

人に自分をよく見せようとはしない。
でも、自己プロデュースはしっかり自分で行うこと。
素直でまっすぐであること。

2014年10月22日水曜日

fish///

手先が冷える季節になってきた。
作家やキュレーターが二週間うちに滞在し、多いときは5人で暮らしていた。
1人初対面の方がいて、ミヤタさんにとっては2人いて、なんだかとてつもなく濃かった。

何かがはじまると、何かがおわる。
風が吹けば、そこに留まるもののいくつかは飛んでいってしまう。
新たな風が吹いて、季節がめぐり、また出会うのだろうと思う。
ふいに会いたいと思うのは、とても自然なことなのだ。


このごろ最も素晴らしいアルバムはFISHMANSのKING MASTER GEORGEです。


こんな中、家から足をはみ出して夜を過ごしている人がいるなんて、どうか風邪をひかないように祈る。

2014年10月19日日曜日

アートイベント、1年の締めくくり、無事終了。

終わったよ。
終わったよ。

なんて濃い日々だったんだ。

気持ちがあとからあとから、じんわりくる。

私は、もとの場所に戻って来たような感覚だよ。

しみじみと、わくわくが、まだ心の内でせめぎ合っているよ。


あー!!


おわったよー!!!!






2014年10月2日木曜日

昨年カレー屋でバイトしてたとき、毎日毎日25年もカレーを作り続けてるこのおやじは、この頑固おやじは、魂を守っているんだな。と思った。
ここでカレーを作ることで。

彼は魂を守っている。だから旅に出ることができない。
彼は魂を守っている。だから旅人たちが訪れるんだ。



好きな女の子、好きな男の子の話をしている時と、ビールを手に取った時の私は満面の笑みだそうだ。


インド占星術のホロスコープも、それを見ることがない人間と、見ることがある人間に別れるらしい。
友達にホロスコープの話をしたら、私は見なくていいって言っていた。
彼女は出会わなくていいということなんだなと思った。
単なる占いではないということを感じる。


素麺を二束食べてみたら、苦しい。お腹が、いっぱい。
なんとなく素麺の盛り方が複数のかたまりに分けた盛り方だから、二束くらい使う気になっていた。
お腹いっぱい。


今日は絵を描き直す。ぐうたらとのんびりと、描き直す。

2014年10月1日水曜日

開け その感覚を

ギリギリのものを食べて食中毒か
疲れてるのにおビールのんでイチョウがイテテなのか
お腹痛いから寝転びながらできる制作をしようと思い
絵画作品に取りかかっていた

疲労と痛みによる高揚感の中、感覚を鋭く研ぎすます
踊ろう
自分で歌い、指揮をとる。
ふわっ ふわっ と手をゆらす

心のままに おもむくままに
風のように 何も持たずに踊ろう

全てを捨てて 感覚のままに
心も頭も捨てて 体のままに

そう 感覚を開くとは 肉体の感度を全開にすること。

迷いながら 感極まりながら 踊りながら 歌いながら 線をただ傍観してみた。

開け その感覚を

祈ろう 君の感覚に

私の全てをこの画面に捧げよう 美しい純度100%のエキスになろう

2014年9月25日木曜日

熱と低気圧



自分に悩みがあることに気付いた。
1 心の温度の低さ。
2 タダ飯を食っているような気持ち。

人に感情を出せない。
本当の気持ちを言えない。
素直な態度で接することができない。
熱くなれなくて冷めてる。
どうしたどうした。
何が足りない。

地域での取組みもアーティストとしての成長も、すぐに成果が見えるものじゃない。

モヤモヤすることが多い生活をしている。
何か、自分だけで立っていない感、ちょっとした不和。
そういう感じのとき、自分を戒める、自分に言い聞かせる、ゆがんでいるぞ、「物の見方が」って。

いつもいつも主観的。
ひと呼吸どころか、ふた呼吸くらいおいて、ようやく客観的な捉え方ができ、自分に言い聞かせることができる。

なんで、大切な人と、どうでもいい人がいるんだ。
どうして、それが自分の都合で変化するんだ。
なんで平等に対等に全ての人に優しく、素直に接することができないのだ。
全ての人を大切にしたいのに、なんで自分のことすら大切にできないのだ。



なんとなく思考も少しずつ大人になってきて手に入れた能力は「諦める」こと。
いろいろ、考えないようにしたり、考え方を変えたり、もう諦める。
諦めてたらなんとなくいろいろ、感情が薄れる。
人を区別する見方をする。誰の気持ちもわからないし、わかりたくないし、わかろうとも思えなくなる。すべてがどうでもいい。


アーティストとしても社会人としても人間としても中途半端、事業も関係性も途上だから焦ってるんだな。


誰かが言う。正しいことを。
私は思う。「それ知ってる」。
「それはわかりきったことだろ」とは言わない。
「でもそこにはこういう裏があるじゃないか、読み取れよ」とも言わない。

考えたフリ、知ってるフリ、わかっているから何もしない、フリ。

みたいに思える。

自分は、頭で考えただけだと、だめなんだ。
なんでも言わなきゃ、伝えなきゃ、だめなんだ。

これは私の真面目なところかもしれない。良い意味でも悪い意味でも。

私が目指していることには形がない。見本もない。
ルールもない。自由でも、不自由でもない。
だから判断しなきゃならない。選ばなきゃならない。色んな場面で。


最近読書欲、研究欲が増している。
寒くなってくるし、冬場はなるべく読書やデスクワークで過ごしたい。
小さな絵を描きためたり。やりたいことを書きためたり。

でも、そんな弱気ではいられないよ。
もっと寒い思いをして、それも乗り越えて、活動している同志がいるんだから。


心強い、大切な人ってのは、きまって、
自分が弱っている瞬間に心に現われる。
誰が大切なのか、それですぐにわかる。

そして現われるたびに「ありがとう」って思う。
生きてると少しずつ、そういう人が増えていくね。

ああ。エゴを捨てたい。


今日は今日で沢山の気付きがあったんだ。
岡崎乾二郎の「ジャクソン・ポロック再考」を読んだりして。
高かった。ART TRANCE PRESSのほうが高いけど、そっち買えばよかった。

でもどうせ読まないと思って、我慢する。これだけ、じっくりじっくり、何度も読もう。


明日は楽しみにしていた月に一度の会議的なやつ。

ともみはあれが好きだ。会議とか。好きなんだわ。


ああ、文章まとまらなかったから、めっちゃモヤっとする!!


朝早いんだから寝よう。

最近お布団はいるとめっちゃウキウキします。

2014年9月22日月曜日

私の疑問

表面の言葉や行為がにがて。
逆に何もかも包み隠さずオープンで素直で純粋な人は、とびきり偉大で凄くて感心する。そうであるということは、その分自分の内面と向き合っている証拠だしね。
とても偉いと思う、というか、私はそういう人間を目指しているから。
でもそんな人なかなかいない。

私がすきなのは「散歩」
風景とも相手とも会話ができる。自分の心とも体とも会話できるから。
全方向から光が射して透明に広がれるような、そんな心地というか〜
自分の特質に合ってるんだろうな
観察して分析するのが好きってところ
空に向かって喋るってところ

誰かに向けて話すのはとても緊張するけど
空に向かって話すとリラックスできる。


そうだ。私、人と分かり合えないことを受け入れるべきなんだ。
そうでないと、相手も自分も、許すことができないままだから。
それじゃいつまでも忘れられないから。
もう心にも、視界にも、一生映らないでほしいのは
その濁った関係性だから。

この葛藤を解くのは未来の恋人とかじゃなく、今の私なんだろうな。

絵画の在りか展を観て

18日、合間をぬって初台のオペラシティのアートギャラリーで行われている「絵画の在りか」展に行ってきた。

展覧会というのはそれぞれの作家のストーリー、作品のストーリーから大きなストーリーを組み立てるスペースだ。
展覧会自体のストーリー。そして立ち並ぶ作品たちのストーリー。そして作家自身のストーリー。
そういう3つくらいの視点を今は冷静に持つことができる。
これで展覧会を以前より楽しめるようになった。
最近、色んなことがわかるようになってきたなあ。
その分、わからないことへのワクワクの強さが際立つ。
さいこーだぜ。

何よりも「体験」だ!

そんで色々思ったのだ

ってここまで書いて放置していたこの投稿。
長くて厄介だったんだ。まとめるのが。まとまらない。


絵描きは色んなものの表面を、表面に描くのが基本。
木の葉、表と裏、どっちにしろ外側から見えるもの。見えている表面の他方に向いた側面を描く。立体感を描く。
何もかもが、多重の側面で、多重の表面で構成されている。
絵画も平面で、現実も平面なんじゃないかと思った。
逆転の発想だ。
多重の平面が、この立体的な世界を作りだしている。
それをさらに平面の1つの側面へと写す。それが描くこと。


イメージは湧いているけど言葉がどこかに消えてしまったかもしれない。
もうすこし早く言語化するべきだった。そしてもっと掘り下げないと。


とにかく今は、眠い人は明日にそなえて寝るべきだ。


色んなことを言語化したい。

分かり合えないことのすばらしさ

自分ちの駐車場で横転した。
両ひざから血が出た。
あほな感じだった。エンジン切らないまま降りて手で押したらグーンと前に走り出してしまった。
軽い事故でも、音は本格的だし、傷も痛い。生傷に絆創膏、小学生の時のよう。
原付は重たいから、横転した原付を起こすのが大変だった。
眠気と疲れだ。これが油断だ。
道路でなくてよかった。庭先でよかった。みやたさんの車に突っ込んだりしなくてよかった。コンクリートに一本、線ができた。
ふー。
とにかく今後はより気をつけます。メンテナンスとね、誤操作しないこととね、注意することね。

確実に「眠気」が危険だと実感。
この眠気は昨晩の湯浅政明オールナイト映画イベントの影響だな。
睡眠不足の時は運転しない。睡眠不足にならないようによく寝る。これだ。

イベントはとても素晴らしかった。
観たことあるのが5作中3作。でも面白いから眠れなかった。
湯浅さんの世界はすごいし自分を形づくる成分にとても響く。

作品を観ると「やりたい」「私ならこんなふうに」と思う。
私なら、という気持ちが出る。
私と違うところが見えてくる。自分のイメージが違う方向に湧いてくる。
そしてそれを表に出したくなる。

そこから考えたけど、人と人はやっぱり違うし分かり合うことなんてできないんだろう。
でも作ることは語りかけることであり聞こうとすること。
観ることもそうだと思う。
分かり合えないから会話する。違うから表現する。
分かり合えないから分かり合おうとする。
永遠に同じにはなれないから、受け止めようとするし伝えようとする。
分かり合えないことは悲しいことじゃなくて素晴らしいこと。

2014年9月21日日曜日

人が起こす自然現象

これまでの当たり前が覆ってしまう出来事は、良いことの場合でも、悪いことの場合でも、人生の中で時々起こる。

失って気付くこと、気付いたからこそ失うもの、そこから得るもの…
それを善や悪、正しいか間違いかで判断したくない。


小さな小さな認識と感覚の違いが現象の中には紛れている。
人が起こす自然現象を、私はそのまま感じ取り、まっすぐに受け止めようと思った。

認識のズレ。それ自体も魅力的な現象だ。
人は常に本質を見ることができるわけじゃない。
自我中心で生きているから、少しゆがんだり、モヤがかかったりもするもんだ。なかなか透明になるのは難しいもんだ。




2014年9月20日土曜日

会う

会わなきゃはじまらない
会わなきゃおわれない
「会う」のだいじ。
めぐりあう、出会う、対面することだいじ。
全ては「体験」なのだから。


本当に出会えて良かったと思う人
今日その人にほぼ4ヶ月ぶりに会えた
今生においても、今日に関しても、会えてよかった!

うんうん。


私はなぜこんなに素直な気持ちになれるのだろうと思っていたんだ。
少し悩ましいくらいに、考えていたんだ。
でもやっぱわかったよ。
やっぱそうだったよ。
ブログで以前書いたようなこととおんなじだったよ。
愛なんだね。

2014年9月15日月曜日

day after day






9月15日(月)。こんな茄子くれるなんて、愛されてるな。

2014年9月14日日曜日

WALKING IN THE RHYTHM

fishmansのwalking in the rhythmというアルバムを聴きながら外を歩いてきた。
お勝手から外に出ると途端に黒い自然に覆われる。
すっぽりと覆われる。
空を見ながら歩いているだけで、空という地面を見つめながら歩いている気分になる。
空に着地して地面が揺れる。
地面のような空が、歩いている方向と逆に流れてゆく。

瞬く間に星が2つ流れた。
流れた星の光の跡には1人の内臓と透明の衣服がただよう。
fishmansは色んな記憶を呼び起こす。
亡くなった友達がくれた服を着て、出会った思い出の曲を聴いているから。

星空からはいつもインスピレーションをもらう。
何かと繋がっている感覚をもらう。
暗闇に光があるせいだ。

灯りの少ない田舎ですら、外灯が眩しくて邪魔になる。

3日ほど、風邪で寝込んでいた。
その間中、夢と現のはざまにいた。
私の夢によると、このブログの読者は5人いる。

惚」で検索したら意味に「魅力または呪文によるように影響される」と出て来てその文章が呪文みたいだと思った。

歩く流れ。
歩かざるなかれ。

RHYTHM ギリシア語で「流れ」

いつも愛らしい手紙を受け取る。
葉とか花とか空気とか。毎日違う風とか。そういうの「便り」って言うよね。
お返事を書くよ。そんな気分で絵を描くんだ。