2015年9月30日水曜日

2015年9月28日月曜日

2015年9月23日水曜日

まず、何にも媚びない、私のやりたいことをやり切る制作をはじめないと。
 

2015年9月17日木曜日

辛い部分はあまり書かないようにしてる。
辛い時に辛いと言っても辛さがなくなったり、和らいだりしないとわかった。


2015年9月16日水曜日

読書の話

自分の気持ちや発言に常に疑いを持つというのはスーザン・ソンタグに学んだこと。
良心の領界読み返してるけど、時代を想うーテロへの眼差しと反解釈もあらためて読み返したい。
そして他の本も読んでみたい。

小説は普段全く読まないけどガルシア・マルケスの百年の孤独はすごく良かったから好きで、今はコレラの時代の愛を読んで「くつつううう!」と悶えてる。
先輩も同じタイミングで読んでたので面白いですよねって言ったら、日本語訳を読んでる時点で正確には日本文学なのかもしれないが、マルケスやコルタサルの文体ってゾクゾクするって言ってた。
確かに。ほんとに。ゾクゾクするの!不思議な感覚!
そして翻訳という言葉もずっとキーワードになってる。訳文。ベンヤミン、いろいろ読まなきゃいけないものがあるな。
自分の父のように本の虫になりつつある。
やっぱり本て瞑想に近いな。旅でもある。
生身の旅もしたいな。



2015年9月15日火曜日

言いたいことがありすぎる
どうしようもないこと、たいしたことないこと、でも私の中に満ちている
表現したいという欲が私は強い
さみしがり屋でもある
押しに弱い部分もある
奥手なところも大いにある


2015年9月13日日曜日

世界との接点

常に自分と異質なものに対して深く傾注し、思考する癖を感じる。

自分の表現とはまったく違う分野、まったく違う表現方法にいつも興味が注がれていることに気付く。
例えばもの派とか、建築とか、翻訳とか、写真とか。

学部に入った頃はコンセプチュアルな作品も作ったし、いずれにしても社会への革命心なんかを心中にたぎらせて制作していた。赤軍とか大好物だった。
表現が自分の身の一部でありながら、社会との関わりを強く含んだ現代美術という新しい学問でもあったからかなと思う。

それはいい状態だった。

それから絵を描くことを選択し、自分と表現の距離が近づけば近づくほど、盲目的になったり遠ざけたい気持ちが増幅した。でもだからこそなのか、そこにしか救いがないという希望は存在していたと思う。

今私が何をしたいのか、何をすべきなのか、どう社会と関わり、どのように表現をしていくのか。
どう思考し、思考を出力していくか。

新しい答えが欲しい。

さあ、今から結婚式だー!


2015年9月1日火曜日

Have a good day

眠たくて言葉にならないけど
友達といい話をした
私も世界が広がりつつある
立ち止まるような時もあるけど

みんな少しずつ目に見えないもので繋がっていることも感じたり。

明日もぐっと良い日に
good 良い日に

「図書」。
毎月届く父からの贈り物。
開かずにテーブルに置きっぱなしで積んでいたものを今読んでいる。
高橋源一郎の「見える戦争と見えない戦争」、胸を打たれた。若者の辛い思いも社会の闘争も言葉にしてくれた。
今度全文ここに転載しようと思う。
 







2015年8月27日木曜日

夢のかけらが一つ。
誰にも明かせない扉が一つ。
それが自分の一片であり、大切なものの鏡だと気付く。

何もなく、金もなく、暇を持て余しながら時には苦しみと対峙する。
空っぽな私は今、何もない何も生み出せない苦しみの乗り越え方を学んでいるんだ。



2015年8月25日火曜日

やさしい気持ち

ここ数ヶ月以上…?ずっと感じられなかった「やさしい気持ち」に気付いた。
意味なく微笑むような、ほっとする穏やかな喜びみたいなもの。
この感覚、なんて久しぶりなんだろう。
そこでcharaのやさしい気持ち聴いて見たら、あぁ、今朝はcharaだなぁって思った。
しおりちゃんとやさしい歌うたいたい。

この気持ちよさは、きっと天気のおかげかな。
でも明日からずっと雨。








2015年8月17日月曜日

1年前の自分からの手紙 2014.6.20-2015.8.16

新潟から茨城に戻ってきたら、
1年前の自分から手紙が届いていた。

BankArtの展示会場にあった、名前忘れたけど有名な作家の作品で「未来郵便局」というのが設置されてたので友達と二人で1年後の自分に向けて書いた手紙。
2014年6月20日の私から。
こういう手紙って「未来のともみ、元気にしてるかな?私は今こういう感じだよ」的な内容だと建設的じゃないし、未来の自分が面白くないだろうと思って、オモテ面は展示の細かい感想を、裏面は未来の自分へアドバイスを書き残していた。
あまりに予言的でしかも正論だった。
ありがとうともみ。
抜粋。

「AIRがんばってる?成長した?恋なんかは?それより大事なことあるよ」

「と、いうわけで、人生に迷わないよう1年後の友深にアドバイス。
人に振り回されるな。それは、自分の軸で人の目線に立っている。主観的というのよ。
相手を思いやるには客観的になれ。
太田の自然と向き合えてる?目を見開いてる?
見極めて。あと恋愛はするな。とかいって。理由は、ともみの振り回されやすさが裏目に出るから。付き合うなら『無理させないでくれる人』の一択。会話なら◯◯くんや◯◯くんのような。」

恋愛はするな   に笑った。
確かに◯◯くんや◯◯くんとの会話は無理しない。そういう相手を選べとのアドバイス。正しい。

この頃はほんの少し男性という存在ヘの拒否感が解けてきた時期だったな。

展示の感想面白かった。






2015年8月14日金曜日

夢見て起きた

夜中に2つも電話があり、起きた。

自分に都合のいい夢見ちゃった。つかの間の幸せ。

ほんと束の間よのう

こういうときは現実じゃなくてがっかり、ではなく、いい夢見たな、にしよう…

わたし、小学生まではポジティブだったんだから。


留守電に父から寺山修司のモノマネメッセージ入ってた。
父のメランコリーな雰囲気のおかげか、やはりタモリの寺山修司モノマネより似ている。
タモリに父が勝てるのはきっとこれだけだね。


2015年8月13日木曜日

尾崎放哉

句会に出られない代わりに句を読む


変なところに付箋があった




俺物語!!

毎回俺物語の放送日はいつもブログに書きたくなる。
友深は毎回泣いてしまう。


今日のノルマは達成した。

お給料が入らないとお金のやりくりが大変だなあ




2015年8月7日金曜日

Constellation

ロンゴロンゴ文字というのがある。






まったく解き明かされていない。口頭伝承の言葉で、文字にできるのは少数だった。
文字を残す行為はとても神聖な行為だったそうだ。

佐々木中の本に書いてあるけど、芸術の根源にも文学が繋がっている。
読むこと、書くこと。ああそれは、絵を描くことと深く通じている。
6歳の時「おおきくなったら・・・」に書いた「本をつくる人」という夢。
そこからもう繋がっている感じがする。
読むこと、書くことへの意識。
大きな意味でも、最も単純な行為としての意味でも、大切だ。
読み取る、書き取る、頭の中でも心の中でも常に繰り返されていることだ。
輪廻の環みたいだな。

ここのところずっと、自分の過去をさかのぼることも困難なくらいふさぎ込んでいたけど、今は過去から現在までの自分の活動を思い返しながら「自分らしさ」を生み出している布置について思考することができるようになった。また明日どうなるか、わからないけど。





2015年8月2日日曜日

アートは考える一歩であって「良いこと」ではない
でもまるで良いことかのように振る舞うのは耐え難い

体調不良

ひどく辛い。
何をしていれば辛くないというんだ。
かなしい。


人生なんてほとんど他人には非公開だよ。


2015年8月1日土曜日

小林あずさ展示 & 庄島歩音個展「Tomorrow, So Bright」&クマに鈴 w/オマー ル エビ live

東京駅の丸の内ビルディング内のH.P.FRANCE WINDOW GALLERY MARUNOUCHIにて開催中の庄島歩音個展「Tomorrow, So Bright」を観に行った。
たまたまアートアワードトウキョウ丸の内も開催中で、審査員賞を受賞した同級生である小林あずさちゃんの展示も拝見し、挨拶もした。(Hug and hug)

あずさちゃんのは卒業制作展で観たのと同じだったので、あらためて繊細で緻密で、あずさちゃんの世界を感じた。


歩音の展示は新宿ルミネ1のエレベーターのために描いた横長の絵や、大きな絵画が3点と、インクやオイルパステルで描いた小さな作品群を目にした。

日々の小さな小さな気付きの積み重ねを感じて、重層的な物語性を感じた。

どちらもとても二人の世界観が見える展示だった。

爆発力やハイコンテクストよりも、内に広がる世界と外に広がる世界が重なりあう独自の物語に浸るような、日常の中の晴れやかな世界が垣間見える内容だったように思う。


そのあとすぐに下北沢とびらというタイ料理屋さんでのクマに鈴のライブを観に行った。

前回観てから虜になり、二度目。
尊敬する絵描きの平木元さんも当然のようにいらっしゃった。
平木さんの絵が自分のすわったソファの横に展示してあって「わあい」と思った。
良い空間で、良い空気の中でのライブだった。
クマに鈴の前に出たオマールエビのライブとっってもよかった。
ノリまくっている私がレオくんのインスタグラムに上がっていて恥ずかしい。
私というのは外から見ると全然違って見えるものだ。
でもそれが別になんだと気にするつもりもない。
どうでもいいことだ。

毎日いい感じに早寝早起きができていたけど、夜のプログラムがあるとそれがずれこんで体内リズムが変化してしまう。それに適応したいけど、若いからそういう日もあっていいかくらいに思っておこうとしてる。


他人といるとリズムがぶれてしまう弱さがあるので、そこが心配だ。
酒と煙草と人間というのは、自分にとっては多過ぎるとふらふらしてしまう存在だ。
実際、狭い空間で一気に沢山の人が煙草を吸っていたので、ふらふらした、、。

クマに鈴、やっぱり声の幅が面白い。リズムの幅が面白い。音楽性の幅が面白い。


仲良くて連絡とりあって会う友人はみな女の子なのが最近とても不思議だ。

でもそういえば、男友達と会う機会は大抵展示やイベントだ。
慧くんにはしょっちゅう一言メールをするけど、そういうことができる男友達って大事だなあ。男性では、なかなかいないなあ。

やっぱり男女のバランスは大事だなと思う。

昨日は新見くん、塩野谷くん、匠くん、aokidくんとお喋りできてとっても新鮮で嬉しかった。たまに会える男友達はいいもんだ。みんなが大好きだ。


ともちゃんはともちゃんの好きなことをやるのが、一番他人も喜ぶことなんだよ、と言われたことを何度も思い出しながら刻み付けよう。ちゃんとやりたい。

嬉しいし、ありがたいし、これはお世辞でないこともわかる。
現実的なアドバイスだということが凄くよくわかってる。
これを励みにジャンプしないと、ともみはともみなんだから。と思う。


今日は色んな縁について思う日だった。

縁が繋がって、めぐりあって、同じ満月の下で、それぞれのことを精一杯やっている。
そして交わったり、遠くても、感じることがある。


あまりここに自分の日常に思っていることを書かないようにしてたけど、今日は少しこんなことを独白したい心持ちだな・・


嬉しいことを書き留めたかった。大事なことを、書き留めたかった。


ほんの些細な嘘も上辺の言葉も使いたくないと思う。
人から引用する言葉はとても不安定だ。人が言ったことを自分のことのように言わないことはとても繊細に気にかけたい。

客観性とリズムを取り戻す適応力、切り替えの重要性を、弱ってからゆっくりのんびり感じながら過ごしている。


冷静さを心の内からきちんと取り出していこう。


2015年7月31日金曜日

「ダンスからこんにちは」横浜ST

横浜STにaokid×橋本匠のパフォーマンスを観に行った。
とっても良かった。
空間を埋め尽くすような記号的、象徴的な出来事が面白かった!
様々に工夫を凝らした彩りのある「行為」そのものに目がいくような内容で、2人の良さや2人の特徴を感じるようなパフォーマンスだったなぁと振り返って思う。
新見くんや塩野谷くんのアドバイスをモノにしたら、もっとそれが際立つんだろうな。あの2人もほんと素敵だな。真摯で!

言葉、音、身体感覚、色んなものを吟味して眺めては並べ替えるみたいな作業を沢山してる感じがした。
感覚を研ぎ澄まして、どんどん身体性や内容が変化していくのが楽しみだし、見届けられないのは残念だなと思う。

こっからの4日間がものすごく楽しみ。

2人とも最後までとことん走り抜けてほしい。

クセをいかして走り抜ける!

身内の過大評価とゆう部分も或いはあるかもしれない。それはまだ自分でもわからない。けど、彼らのカラー、彼らのやろうとしてる方向が私はすっごく好きで、いいなぁ…って羨ましいの気持ちも込めて思う。

色んな人に観てもらい、世の中に晒されながらどんどん突き抜けて浮き上がって欲しいパフォーマーの2人。